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| ●書籍を訪ねて30日 |
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私は、本を探し歩くのが楽しい方だ。かつてお金のなかった頃は、三軒茶屋界隈からお茶の水、神保町ね九段あたりまで歩いて探し回ったこともあった。交通費も書籍代にしたかった頃の話である。当然食費は切りつめていた。かくして部屋の中は本だらけという異常な時代もあったがね今のその痕跡は部屋の一部にしか残っていない。いや、本が嫌いになったわけではない。むしろ年とともにボルテージは上がっているが、個人の蔵書としての考え方が変わってしまったのである。以前にもコラムネタとしたが、いくら神奈川県寄りとは言え、東京で住んでいる者にとって、スペースの無駄遣いは許されない。限られたスペースを有効に使うためにはいつ読むか分からないような蔵書は処分しなくてはならなくなってしまう。そして気がついた時には、各種雑誌の創刊号のコレクションも、限定販売の怪しい全集も消え失せていた。しかし、まだとっておきのコレクションは残っている。なんと手作りに近い限定和綴じの和紙事典である。これだけは処分出来なかった。というよりね持っていることすらあまり語っていなかった逸品である。別に大したことではないのだが、いや・・・馬鹿げた買い物だったのかも知れない。でも、そもそもコレクションとは第三者から見たら限りなくゴミに近い収集物であることは確かだ。それが骨董品だろうが、蔵書だろうが同じである。価値とは本来そういったものだ。さて、いきなり長い脱線をしてしまったが、本に対する異常な執着が根底にある私は、1ケ月ほど前から探している本があった。それはまだ店頭に列んでいる新刊本なのだが、不思議なことにどこにいっても在庫がない。そりとてベストセラーではない。だから、注文すればいいわけだが、どうしても手にとって直接レジに運んで購入したかった本なので、その拘りに頑固になってしまい、とうとう1ケ月も彷徨ってしまった。知っている大きな書店は全て回ったが在庫は無かった。なんだか馬鹿げた行動をしいるように感じている私もいるのだが、それをうち消すように探し回ることを強要する私がいる。はたして出口は見つかるのだろうか。いや、見つからないことを楽しんでいるのかも知れない。だからこそ誰にも探している本のタイトルを明かしていない。それは断念しなくてはならなかった本に対する執着の裏返しなのかも知れない。最近なにか仕事以外のことに以上に興味を覚えるのは年をとった証拠だろうか・・・。 |
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2001/10/23
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