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●ATOKが関西弁に対応

次期バージョンのATOK15が関西弁変換に対応するそうだ。個人的には興味はないが、グローバルな意味で私はこの新機能を歓迎する。そもそも標準語は公用語としての意味は大きいが、それぞれの地域で生きている方言をわざわざ死滅させる必要はないと思う。例えば全国ネットのニュースなら標準語での放送も納得出来るが、ローカルニュースに切り替われば、アナウンサーもその地方の方言で話せば面白いのではないたろうか。文化としての方言を意図的に死滅させる必要はないのである。学生の頃、地方から来た同級生に、それぞの地方での方言について質問した時の解答がいまだに忘れられない。なぜなら、当時ですら既に若い世代にとって地方特有の特殊な方言を話せない者がいたからだ。かつては地方の言葉を話すことが恥ずかしいという次期は確かにあった。所謂『田舎者の踏み絵』のようなものだったからだ。地方出身であることを隠して生活していた方が一世代前は普通であったことが、今振り返ってみると異常さえ覚えるな。確かに、裏面でそんなアブノーマルな世界が作り出していた標準語の浸透により、様々な分野で我が国は飛躍的な成長を遂げてきたのも確かだ。でも、実はそれはそれぞれの地方にある独自の文化が下地になっていたのはずである。古くは藩制度に由来しているのは特に説明の必要は無いだろう。だから今こそ地方文化を見直してもいいのではないだろうか。かつて日本を見直すと言う旧国鉄(既にJRになっていたかの記憶は定かではない)のキャンペーン(Discover Japan)が流行ったことがあった。我が国の大きな歴史のうねりの中で見ると、明治維新直後から行われた東洋文化蔑視によって全てが西側を向いてから100年余り経過した軌道修正なんて言ったら大袈裟だろうか。どちらにしても言葉は全ての文化の核であることは確かだと思う。ちょっと大袈裟だろうか。

2001/10/30


このコラムは私自身の体験等を整理したもので、内容を推奨・保証するものではありません。






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