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| ●恩師との再会の詳細 |
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14日のセミナー後に恩師と再会した話をしたが、その後喉を痛めるなど体調をくずし頭がもうろうとしていた中でのコラムだったので、詳しい話が書けなかった。既に何度も書いているように、少し前に多摩美に恩師がいることを偶然知った。それを教えてくれたのは多摩美の教授でもあるJPCの猪股裕一理事長(雑誌MdNを立ち上げた方という方が判りやすいかもしれない)である。そして、時間があれば今回のセミナーの後に教務室を訪ねてと思っていたところ、夕方になり偶然男性のT先生を発見し、声を掛けたが総務室に消えてしまい、慌てて追いかけて受付の女性に些細を説明して外で待ったが、タイミングが悪かったのか?待てど暮らせどT先生は現れなかった。そして、とうとう諦めてパーテイー会場に向かおうとしたとき、古くからの友人であり、同校の講師でもあるJPCの菊池美範理事にその話をしたところ、O先生なら多分授業中かもしれないという事で、デザイン科に案内してもらい、その場に居合わせた女性に説明をしたところ、隣の部屋でまさに事業中という話を聞き、慌てて菊池さんと教室の前に行くと、そこにはまるで学生時代と何も変わっていないようなO先生が学生相手に授業の真っ最中であった。今にも教室になだれ込もうとしたが、流石にそれは不謹慎と思い、事業予定を聞いてさのままパーティーに向かった。パーテイーが終わった段階で再訪しても大丈夫と知ったからである。菊池さんには本当に感謝してしまった。そしてパーティーがひとまず締めの挨拶が完了したところで、再訪を決行することにした。もしタイミングが悪ければパーティーに戻って別の日に改めてと考えていたからである。そしてデザイン室に入ると先ほどの女性から、先生は隣の教室にいなければ、2階か3階のゼミ室にいるかもしれないという説明を受けた。私はもし会えなかった場合はということで彼女に自乗を説明するとともに名刺を渡して隣の部屋を除いてみたが、先生の姿は無かった。そこで2階のゼミ室に向かうがね指定された部屋には生徒さんしか居なかった・残るは3階の部屋だけである。事業中野生徒さんに迷惑がかからないように指定された部屋に近づくとドアは2階の部屋と同様に空いており、そして、そこには3名ほどの生徒と、O先生が座って話し込んでいた。そしてそれを確認したと同時に先生は私の方に気が付いたが、特に何も無かったようにまた生徒の方を向いて話を続けてしまった。私はタイミングを外されてしまい、そのまま先生に声を掛ける事も出来ずに階段の処まで戻り、先生が退室するのを待った。しかし、時間は過ぎるばかりで、あまりにも不自然に立ちつくす私は完全に不審者そのものと化していた。やはり後日正式にアポをとって再訪したほうがいいだろうと考え、帰ろうとしたとき、先生が教室から出てきて私の方に向かってきた。そしてそこから学生時代の師弟関係に戻ったのである。先生は私のことを覚えていた。私は79年卒なので、既に23年経過しているはずなのだが、そこには23年のブランクは何もなかったような空気となった。なにかとても不思議な体験をしたような気分になった。出来れば当時の仲間が全員この場にいれば・・・と。余談だが、後から判明した事として、仕事や交友関係で頻繁にお会いしている方の多くがO先生とも親しい関係である方が大変多いことに驚いた。やはり世の中は狭いということなのだろう。 |
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2002/11/17
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