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| ●セレモニーとしての年末年始 |
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今年もあと2週間ほどとなってしまった。にも関わらず年末年始という『アノ』独特の雰囲気を感じなくなっている。別に私が繁華街に出かけなくなったからと言うことではないるどこにも出かけずに自分の町を徘徊するだけでも年末年始の空気は感じるはずだったが、最近どうも『ピン』と来ない。そしてこれは毎年加速度的に来なくなっているような気がするるどうしてなのだろう。冷静に考えてみると、正月の準備という儀式が無くなってしまったことに起因しているような気がする。煤払い的な大掃除も特にしなくなって数年たつ。いや、大創始をしなくなったのではなく、定期的に掃除をしているのて、わざわざ大掃除をする必要がなくなってしまったからだ。更におせち料理を作るなんて儀式はとうの昔に壊滅している。お餅をお米屋さんに頼んでつきたてを年末に配達してもらい、包丁でしっかり切り刻むなんてことを最後にしてから既に何20年以上過ぎている。確かに便利で後戻り出来ないがね元日からオープンしているコンビニや、2日から仕事始めのデパートなんていうことが当たり前になってしまうと、正月という儀式のもつ意味は消滅してしまったと言っても過言ではないだろう。大昔のデパートは早くて日からの営業であった。お年玉を貰い、その使い道を3日間もあれこれ考えるだけでも、私にとって正月は楽しいセレモニーだった。いやいや、お年玉をもらえなくなってしまったからそう感じるのかも知れない。余談だが私は25才ぐらいいまでお年玉を貰っていた。もちけん両親からではなく今は亡き祖父母からだ。当時はそんな年でお年玉を貰うことを恥ずかしいと随分拒否していたが、受け取ることが祖父母達を喜ばせると知ったとき、既に彼らは旅立っていた。 |
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2002/12/15
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