海津ヨシノリの気まぐれコラム/2001年05月分(0463〜0493)


0463 ●ペーパークラフトと折り紙
ネットサーフィンをしていて偶然ペーパークラフトを発表されている方のホームページを発見したるなんだか懐かしい世界だ。私が子供の頃の月刊誌の付録はほとんどが精巧なペーパークラフトであった。もちろんこのペーパークラフトは今でも子供雑誌の付録として生きているが、当時の精巧さと比較すると印刷技術の発達や多様な素材の流用などが逆効果となり、いまいち精巧さは欠如しているような感じを受ける。もちろ精巧なペーパークラフトを設計することは並大抵の作業ではないので制作されている方全てに敬意を表したい。そう言う私も実は折り紙に病的に陶酔していたが、一時期ペーパークラフトにも挑戦していた頃があった。更に調子に乗ってオリジナルペーパークラフトを作成し、ちょっとしたアルバイトをしたこともあった。ところで、折り紙やペーパークラフトは紙の持つ不思議な性質を実感するのに手頃な工作ではないだろうか。とにかく偶然発見したサイトから芋蔓式に様々なサイトを見学出来たのは楽しいひとときであった。ただし、一部のサイトでは著作権を無視したキャラクター類のペーパークラフトを発表している。本人はその問題点の大きさを理解していないような状況だが、見ている人は見ているわけである。個人の利用は印であれば良いが、広く一番公開してしまうことの問題点を大人が理解できなければ次の世代も理解出来ないと言う当たり前の事を浸透させる必要を強く感じた。もちろん、そんな方はごく少数だが、やはり気になってしまうのは職業病だろうか。ただし、例えば犬とか猫とかのポピュラーな動物のイラストを描いた場合、絶対に誰かが既に似たようなタッチを発表していたりする。いや、完全に似たというのは問題発言かもしれない。誰もが描くモチーフというものはそれだけ競争率が高いという事だ。
2001/05/01

0464 ●人畜有害の若きオバタリアン
花粉症で周りの人に迷惑になっては失礼とスポーツセンターに出かけるのを自粛して1ケ月半もたってしまった。流石に軽い運動だったとはいえ、体がなまりはじめたのと、花粉症も落ち着いてきたので先週からスポーツセンターの日課が復活したのだが、今日は流石にキレそうになった。何がって、オバタリアンの非常識さである。前々からオバサン族の無駄話には閉口していたが、ウォーキングマシンの横で馬鹿デカイ声でわめき散らすおばさん軍団には流石に罵声を発しそうになり、それではまずいとさっさと引き上げてしまった。聞きたくない人のゴシップ話とヨタ話を目の前で永遠と話し込まれているようなモノである。別のおばさんの非常識さが話題だったが、あんたらの方がよっぽど非常識じゃないか!・・って怒鳴っても良かったが・・・近所の人という状況は後々怖いモノがあるので我慢してしまった。しかし、暇つぶしにきているのは分かるが、そんなに時間かけてダラダラと無駄口たたいてトレーニングしても体脂肪は減らないぞっ。ところで今回私がキレそうになったオバタリアンは、どう見ても30代前半。もしかしたら20代後半のお母さんである。そんな年で知らず知らずにオバタリアン化するって、怖い話である。でも、失礼ながら私は50代後半でも少女のような(外見ではなくて内面の話)女性を知っている。実年齢よりも老化してしまったら人間おしまいじゃないだろうか。いやいや反面教師・・・私もオッサン族にならないように精進せねば・・・。
2001/05/02

0465 ●盗作防止のために作品を登録するサイト?
日本で盗作防止のために作品を登録し、その作品が誰のモノで何時制作されたかの証明書を発行する団体のサイトが登場した。話の流れ上、この団体をirとする。今はキャンペーン中で一切の費用がかからないそうだ。ただし、キャンペーン後は当然ながら作品点数に応じて登録料金がかかる。ここで普通であれば『なかなかすばらしい組織だ』となるのだが、国際組織でもないし、だいいね例えば次のような状況が発生した場合はどうなるのだろうか。【趣味でイラストを描いているAさんは作品をホームページにアップしていた。しかし、そのサイトは無名なので訪れる人は極端に少ない。また、irには作品を登録してはいない。もしここに登録されているイラストをBさんがキャプチャーし、それを下絵として類似イラストを作成後にirに登録したとしたら、作品の著作権はBさんのものとなってしまうのだろうか?】どうもこのあたりが不透明である。そもそも登録しなくては守れないような著作権とはなんなのだろうか。もしかしてこれは新手の珍商売の類だろうか。相変わらず著作権フリーとロイアリティーフリーの区別も付けられない会社が氾濫するこの世界で、またまた末端のユーザーを混乱のド壺に陥れる世界が台頭してきたようで、なんだか少し怖いモノがある。なんども繰り返すが、もし自分の作品に対して『この作品は著作権フリーではありません』なんて説明をする人がいたとしたら、それはとっても恥ずかしいお馬鹿さんであるということを自ら叫んでいるようなものだ。正しくは『この作品はロイアリティーフリーではありません』である。そもそも著作権は特例を除き譲渡したりする事は出来ないのである。つまり永遠に作った人のものなのである。さて話を戻すと、見知らぬ聞いたこともないような新しいサービスを見たら、まず最初にすべきことは『疑う』だろう。もし長生きしたければの話だが。
2001/05/03

0466 ●同時に存在出来ない悲しさ
かつて自分がいた場所。数十年前に確実に存在していた場所というものは誰しも心の中に持っているのではないだろうか。過去に背を向けて未来だけを見つめて生きているなんて人は、どちらかと言えば少数派かねあるいは皆無だと私は信じている。ただ現実問題として多くは環境破壊や地域開発などで本当に心の中だけの、あるいは古いアルバムだけの世界となっしまったはずだ。ところが、なにかの間違いで当時のまま、町並みは何も変わっていない場所というものが時々ある。しかも、予期せぬ偶然でそういった場所に突然出くわす時の衝撃は言葉にならない。予定外に遭遇してしまうからだ。心の準備のないままに遭遇してしまうのである。人は死の直前に走馬燈のように自分の一生を見ると言うが、そんな言葉がもっともふさわしいかのように驚きと興奮が津波のように襲ってくる。当時の自分が今そこに存在しているかのように。不思議なもので、そういった場所に突然自分が置き去りにされると、忘れていた当時の考え方までが鮮明に思い出してしまう。もうこうなると意識だけが当時にタイムスリップ状態だ。ただし悲しいことに、私以外の人は全て当時の私の世界には無かった人ばかりだということに気がつく。思い出したあの人も、忘れていたあの言葉も今となっては何の意味も持たず、自分にしか分からない記憶の彼方の骨董品として・・・。
2001/05/04

0467 ●日帰りの奈良見物なんて私ぐらいだろう
本当は2泊3日ぐらいを予定し、土壇場まで走り回ったが、結局ホテルがとれずに、4日・・・日帰りで奈良見物を強行してしまった。なんだか大馬鹿者な私である。とは言っても東京からでは当然限界がある。新幹線の始発を利用しても、平等院、春日大社、東大寺、二月堂、三月堂、四月堂、正倉院で新大阪に向かい、ギリギリの新大阪発の新幹線に乗るのが精一杯だった。実は、薬師寺も強行突破しようと考えていたが、奈良駅から春日大社までのバスが大渋滞に巻き込まれ、途中から徒歩に変更したものの、思わぬ時間を費やしてしまったので断念した。当然帰りも渋滞のためにバスは意味が無いと奈良駅までは徒歩を強行した。ところで、この奈良強行軍も私にしてみれば高校の修学旅行以来である。だいいち、細かい部分を完全に忘れていたからか、見るモノ全てが新鮮な驚きであったのは収穫であった。特に平等院の中にある展示室は興奮寸前までテンションが上がってしまった。本当は京都や神戸も歩き回りたかったのだが、どうやらホテルがとれなかったのは、ユニバーススタジオジャパンの影響もあったようだ。来年はもっと前に予約をしておいてゆったりとした見学をしようと思う。本当は京都か奈良に別荘が欲しいくらいだ。当然、一生そんなことは無理だが。さて・・・しかし、どうでもいい事かもしれないが、近鉄奈良駅付近には特攻服姿のジベタリアンと、東京では既に死滅寸前のルーズソックスの高校生にはちょっと吹き出しそうになった。特にルーズソックスではない女子校生を結局私は発見することが出来なかったからだ。でも・・・休日なのに制服来て何していたのだろう・・・あの集団は。とにかく疲れにいったような強行軍となってしまった。こうして最後の楽しみとなった駅弁を新大阪のホームのキヨスクで購入したが、なんとこのJ社の鰻弁当が腐っていたのには絶句した。既に新幹線は東京に向かって走り出しているからだ。このどうしようもない怒りをとりあえず携帯電話からメーカーにぶつけようとしたが、既に留守番モードとなっていた。現物は家にもっていっても仕方がないので東京駅に廃棄した。でも怒りの収まらない私は翌日ホームページで該当メーカーを探しだし、休日でも受け付けてくれる予約コーナーに事の真相を報告、返金をしてもらうことにした。どうやら運悪く朝作成した弁当が最後まで残ってしまったことと、その残り弁当が一日中保温期の中に収まっていたことが原因のようだった。こんな時代の落とし穴だろうか。
2001/05/05

0468 ●お土産屋にあるアイドルグッズの意味は?
この一週間、またまた衝撃的な事件が日本を走ったが、流石にいちいち関係コラムを書いていると私の神経もズタズタになってしまうし、日帰り奈良見物の後遺症で一日頭の冴えない私なので、今日ことはコラムを休もうと思っていたが、流石に1年以上続けていると体が自然に動いてしまう。これって既に病気かもしれない。ということで奈良の話の続きである。昨日は腐った弁当の話で終わってしまったので。さてさて、どうして今ごろ奈良なのかという事は置いておいて、私なりの今の視点で見た古都奈良は大変有意義な時間であり、空間であった。特に東大寺は全体的なイメージが予想以上に新鮮であった。唯一南大門から大仏までの間に屋台が連なっていることを除けば。そうそう春日大社も屋台が多かった。屋台を否定するものではないが、鎌倉の鶴岡八幡に出かけた時のコラムでも触れたように、なんとなく不自然な気がするのは私だけだろうか。あと・・・お土産屋にあるアイドルグッズと春日大社や東大寺との関係はなんなのだろうか? 知らないのは私だけ? 誰か説明してほしい。ちなみに今回の私はコレと言ったものを買っていない。しいて言えば、東大寺で祈願蝋燭を作ったことぐらいだろうか。これは祈願瓦どうように祈願したいことを自分で太い蝋燭に書き、それを東大寺側が大仏の蝋燭として利用するというものだる信仰心はあまり無いが、そのプロセスになんとなく自己満足できた一瞬である。
2001/05/06

0469 ●価値観を消滅させたインターネットの功罪
インターネットと言えば『無料××』というほど『ただで何かをゲット出来る』というイメージが定着してしまった。事実ありとあらゆるモノが無料で手に入る。特に画像関係の無料サイトは、いくら広告収入で運営とは言っても、相変わらず『著作権フリー』などと宣言している低次元なケースが少なくない。恐らく下請けのデザイナーやイラストレーターが雀の涙ほどのギャラで泣いているのだろうことは大いに想像がつく。そんな本当はもっとも大切な部分などお構いなしで無料サイトに人は群がるのである。私も色々な方から・・・『本当は海津さんにお願いしたいのだがね予算がないので、そこそこ使える画像がある無料サイトをどこか紹介してください』というのが多い。一度どこかのパーテイーで(失礼ながら)外交的に名刺交換した程度の方からである。流石に私も記憶がない。大抵は『よくわかりません』と丁重にお断りするのだが、たまに無視出来ない方が出てくる。そういった方へは複数のサイトを紹介するが、肝心の私はそのどのサイトの会員でもなかったりする。そして、その方からは『ありがとうございます。予算がとれるようになったら必ず海津さんに・・・』という殺し文句が決まって届くが、それを最後に永遠に連絡が途絶えてしまったりするものである。だいたいこの手のケースや出世払いでお願いしますといった場合で、約束を守った人を私は知らない。もしそれが半分でも実現するものであれば、私は今頃別荘の一つや二つ・・・と言っても単なる愚痴にしかならないが、一度でも現状より『安い』という環境を知ってしまったら、人間は誰しも元には戻れないものである。私自身も・・・。そして、この知ってしまった環境であるインターネットの世界で新たに有料化の動きがある。果たしてそれがどう展開するかが今から気になるところだ。
2001/05/07

0470 ●ドラム式全自動乾燥洗濯機用洗剤が消滅
ドラム式全自動乾燥洗濯機(ドラム式洗濯機)専用の洗剤が大手メーカーから販売されている。いや、正確には販売されていた。つまり今はどこにも無いのである。馬鹿みたいに車まで使って走り回って探したが、どの店にも無い。まさか買い占めということもないし・・・と思って、何気なくあるドラッグストアの店主に質問してみて初めて現実を知った。なんと突然の製造中止なのだそうだ。しかも各メーカー口裏を合わせたようにって・・・何があったのだろうか? 表向きの理由は消費が伴わないからだとか。しかし、代用品の無いドラム式洗濯機ユーザーは途方に暮れてしまう。従来の洗剤では泡が出過ぎてしまうのである。量を調整すればいいのだが、どのくらいに調整したらいいのかの目安がどこにもない。だいいちね各メーカーのホームページには販売中止などのアナウンスは皆無だ。本当に消費が伴わないから販売中止となったのだろうか? 全てノメーカーが揃ってって・・・やっぱり変だ。もしかして何かまずい成分が入っていたとかじゃないだろうか? こうなったら外国製の洗剤を求めるしかない。いやいや、何か洗剤に頼る今の洗濯に改革の道は無いのだろうか。例の超音波洗濯機の実用化は・・・やはり洗剤会社の死活問題が自然保護よりも優先されるわけか・・・。
2001/05/08

0471 ●帰ってきたウルトラQ
DVDでウルトラQが発売されるそうだ。当時の16mmフィルムや新たに発見されたセリフ専用の16mmシネテープからデジタル処理されて放映当時のままに復活した映像がもうすぐ拝めるとなるとうずうずしてきた。石坂浩二の絶妙のナレーションや、最近建設会社のCMにでている万城目淳を演じた若き日の佐原健二に再会出来ることも嬉しいが、やはり、物語だ。記憶の彼方にある【ペギラが来た!】【ガラダマ】【虹の卵】・・・。突然TVで始まった和製版ミステリーゾーンは第一回目の【ゴメスを倒せ!】で子供の頃の私をすっかり虜にしてしまった。その後これをきっかけに友人と様々な怪獣イラストをノートに描いては独自のストーリーまで考えていた日々が思い出した。ウルトラPの怪獣達である。思いっきりパクリだが、怪獣のデザインは完全なオリジナルであった。余談だが、当時から既にのめり込むととことんという性格は出来上がっていたようだ。円谷プロからは既に初代ウルトラマンとウルトラセブンのDVDは販売されており、パッケージデザインの美しさに思わずグラグラと購入に走りそうになったウルトラセブンとは違い、このウルトラQは問答無用でゲットしてしまうだろう。全てが揃う11月25日が今から待ち遠しい。
2001/05/09

0472 ●4ケ月ぶりの散髪
予定外の花粉症の長期化で散髪を4ケ月も止めていたが、流石に長すぎるので重い腰を上げて今日(9日)散髪に出かけた。もっとも私はこの20年来美容院にしか行かないので、散髪という表現は妥当ではないかもしれない。さて、4ケ月というと途方もなく長く感じる方もいるだろうが、教科書的なサラーリマンのヘアスタイルで、散髪せずに4ケ月も経過すればとんでもない事になってしまうが、もともと長いヘアスタイルであったので、あまり気にはならなかった。ただし、家で仕事をしている時は流石に鬱陶しいので大きなクリップ型の櫛のようなものを利用していた。人には見せたくないおぞましいシーンかもしれない。ただし、時々宅配便の受け取りにそのまま出てしまうことがあるのはご愛敬だろうか。いい年したオジサンが真っ昼間から家にいるのだから、それだけでも不気味なのに女性用の大きな髪留めをしているのだから不気味さは否が応でも増幅する。もっとも、私は持っていないが、最近はカチューシャをする男性が増えている。もちろん誰も彼もというわけではないが、それを思えば大したことないかもしれない。まっ、人に危害を加えないので有れば何やってもOKかもしれない。もちろん精神的危害というのを除けばの話である。何もそこまでして長髪でいる意味があるのか?という突っ込みは無し。
2001/05/10

0473 ●カウンターが消滅した日
5月10日深夜・・・カウンターを削除したる理由は特にない。しいて言えば、カウンターの数に左右しなければならない理由が見つからなかった事ぐらいだろうか。平たく言えば視聴率など私には関係ないという事にしておくと格好がいいかもしれない。いや、実はとてつもなくサイテー(何がサイテーかというと・・・設置の意味が理解できないとでも言うか・・・)なホームページを偶然発見し、それが異常なカウンター数だったのも影響しているかもしれない。なにか壊れているような場所のほうが来訪者は多いようだ。視聴率を気にする方は一度ホームページを自らの手で破壊してみるのも一考ではないだろうか。更に、あまり親しくない関係者(変な日本語)から時々届く『海津さんのカウンターをもう直ぐ抜きますよ』という意味不明の呪文から逃れたいという気持ちも働いていた。私としては『別にあんたと競争しているわけではないのだけど』である。だいいち私は自分のところのカウンター数を知らない。いやいや、ここまで読んで気分を害した方も多いかもしれない。真意が伝わるか不明だが、私はカウンターを設置することを否定しているわけではない。だから、将来カウンターを再開する可能性だって大いにある。ただ、今はなんだかつまらない事に振り回されそうで消してしまったのだ。結局くだらない事を言う輩がいる事が問題なのだが、それを気にし始めた私の精進が足りないと言われれば返す言葉が無い。だけど、唐突にカウンターを削除してしまったので、いったいカウンターが幾つまで続いていたのかを確認していなかったことだ。
2001/05/11

0474 ●大人の約束はリスクが大きい
約束というものは事の大きさに関係なく友情を崩壊させるのにもってこいの武器かもしれない。貸したモノが20年も戻らないなど。ちなみに私は貸したカメラ2台が20年、貸した本が20年戻っていない。それぞれは別人に貸したが、結局誠意がないので付き合いを止めてしまった。当然モノは戻ってきていない。そして、こんな経験は誰だってあるのではないだろうか。一種子供の喧嘩のようなものかもしれない。でも誠意のない人とは付き合えないのが私の信条なで、子供の喧嘩と言われても直らない。だいいち貸したモノを返すのは当然のことのはず。困った人はいつの世にも確実に生息しているということだ。さて、貸し借りは何も金品ばかりではない。はやりの言葉で言うとコラボレーションを約束したにも関わらず、何の打診もなく突然単独プレーに走ってしまった相棒の一人なんていうのはどうだろう。しかもそれが元で人格が豹変すれば、もう完璧に嫌な奴に進化している。いやいや現実は超進化かもしれない。当然そんな人とその人の打ち出す世界を私は無視するようになった。それらの世界を否定はしないが、率先してフォローする気など無くなってしまった。かつてはその世界では熱狂的な伝道師であった私は、こうしてあっさり蚊帳の外に出てしまったのである。いや正確にはこれが最後通告のように私にのしかかったというべきかもしれない。不愉快な思いを1年も我慢してきたのに、突然とどめを刺されたみたいなものだ。思えば、それは結果として妙な宗教団体のような世界から決別できようなものなので、良かったのかもしれない。私が伝道師をすることの意義は重要なことではないと思うが、何事も妙に宗教がかってしまうと、本当の伝道師は去ってしまうものである。もちろん宗教を否定するわけではない。私の言う宗教とはカルト宗教のことであり、言わずもがなの例え話である。
2001/05/12

0475 ●何が正しいかを自分で判断する大切さ
新内閣が異常に支持されていることで野党は一斉にとまどいを隠せないようだ。従来のように、古き良き時代の化石のような内閣であれば突くべき場所はいくらでもあったのに・・・というのが、今の野党の本音だろう。あとは一部の報道機関の事実を歪曲した洗脳とも言える報道がいかに嘘であったかが今やっと暴露されつつある状況かもしれない。民意と称して、まったく逆の意見を報道してきたその報道機関には反省を促したい。もっとも彼らの姿勢は今に始まったことではないので、今更馬の耳に念仏かもしれないだろうが。さて、そんな屈折した報道機関などどうでもよい。なぜなら国民はあの人達が思うほど馬鹿ではないからだ。ところで、民意とはなんだろう。TVなどの『世論調査によると・・・』が代表的なモノだ。でも、それがまったく逆に報道操作されていたとしたらどうだろうか。ごく少数の誤差にもならない程度の人だちしか支持していない意見をあたかも国民の総意のように報道していたとしたら・・・。さらに屈折した思想をもった著名人を巧みに織り交ぜるなどすれば効果的かもしれない。こうして新内閣はタカ派的内閣で危険だと騒いでいる人達の意見が国民の総意ではなく、ごく少数の誤差にもならない程度の人だちしか支持していない意見であったことは世論調査で明白となってしまった。いや・・・本当はこの高支持率こそが報道操作されたものなのだ!と吠える方もいるだろう。真実はこれだけ文明が発達していても時間が経たないと分からない?のは何故なのだろう。
2001/05/13

0476 ●大人免許の交付が急務?
昨今の幼児虐待は何を意味しているのだろうか。もう尋常な世界ではない。しかし、これは大人になり切れていない見かけだけの大人が単なる快楽の副産物として子供を作ってしまうからではないだろうか。いつから人間は動物以下になってしまったのだろうか。確かに子供をしかる場合はお尻などを叩く事もあるだろう。しかし、肋骨が折れるとか、熱湯をかける、タバコを押しつけるというのは育児から逸脱した行為である。いや行為ではなく犯罪だ。そう言えば、今年の年明け新春特番の『世にも奇妙な物語』で大人免許というのがあったことを思い出した。真の大人としての学習を教習所で受けない限り大人として認められないという話である。滑稽だが背筋が寒くなった。冗談抜きでその必要性を検討したいくらいだ。ところで、虐待には暴力を物理的に実行するものと、精神的な暴力がある。たとえば、まだ幼稚園の年少さんほどの子供や乳飲み子を同乗させてているドリフト族の夫婦がTVのニユースに出ていたが、これなど典型的な精神的暴力ではないだろうか。社会人として、大人として生活するという意味などまったく理解していない自分勝手な似非大人は、ごく一部の馬鹿だけであることを信じたい。そして、その馬鹿は永遠に私の親族や友人の前に現れてほしくないものだ。
2001/05/14

0477 ●洒落を通り越して嫌がらせに近いレイアウト
かれこれ8年近く前から毎号原稿を執筆しているAgosto(雑誌名は数回改名されており、Agostoは現在の名称)のページ数がしばらく2ページという制約となり、内容に困ってしまった。もともと私は制作手旬を完全に見せてしまう方式の執筆であったので、ある程度のページ数が無いとそのスタイルは維持出来ない。結局色々と試行錯誤した結果、前回(4月10日発売号)の原稿のスタイルを継承し見開き両側に画像を配置し、あとは成り行きの文字原稿に決めてしまった。当然細かい解説は不可能なので、コラム風に処理し、両脇を作品で固めるというわけである。こうして前回は簡単なレイアウトを添付したが、今回(6月10日発売予定号)は作品の方向性が多すぎたので、レイアフウトに困ってしまい。InDesignを開封した勢いも手伝って、とうとう寸分の狂いもない完璧なレイアウトを作成してしまった。この問題のレイアウト指定のPDFは144ppi程度で作成しているが、そのまま高解像度で作成してしまえば、あるいはinDesignのファイルで納品してしまえば、無修正(文字校正がなければ)で印刷に回せる完成度となっている。私としては迷惑をかけたくない一心で作成してしまったが、実際にデザインを行う方にとってはもう完全な嫌がらせ状態だ。申し訳ない事をしてしまったかもしれない。でも、少ないページ数にネタをてんこ盛りにするにはアノ方法しかない。しかし、よく考えてみたら、一度でもこのような事を実行してしまうと、次からはそれが最低限の処理となってしまうのも世の常である。もしかしたら私は墓穴を掘ってしまったのかもしれない。
2001/05/15

0478 ●極悪非道の横浜暴走族
地下鉄の駅の暴行死亡事件や浅草の通り魔刺殺事件・・・つい数年前までは非行青年の犯罪と言えば多くは暴走族などが一般的であったはずだ。もちろん今も暴走族は生きている。ただ、暴走行為はエスカレートしている。大昔の雷族の世界などではない。そんな中で突出しているのが、暴走中に暴行を行う極悪非道の横浜暴走族は昨今有名だ。神奈川県警も防弾チョッキ着用で検挙に当たっているそうだ。もうこれは戦争である。思うに、検挙された彼らは直ぐに釈放されてしまう。法律を改正して検挙されたら確実に10年ぐらい投獄させることは出来ないのだろうか。あまりにも罪が軽すぎる。また、もう一つの社会現象であるストーカー問題も、ストーカー予備軍であることが分かっていても彼が犯罪を犯さない限り一人の民間人である私にはどうしようもない・・・なんていう現実もある。江戸時代には、かりに少年であっても法を破る者は極刑であった。確かに未来ある子供に更正の道を作ってやるのは大人の温情かもしれない。じゃ・・・その馬鹿な子供のために命を落とした罪もない人はどう報われるのだろうか。いまだかつて私は明確な説明を見聞きしたことがない。動物の世界では種族間のルールを破った者は追放か死が待っている。ルールを守らず他人の人権を抹消した者に人権が何故あるのだろうか?
2001/05/16

0479 ●意外と多いAdobe Illustratorフェチ
数々の神話を生んでいるIllustrator使いの中で、幾度と無く様々な方から聞いた話としてもっとも有名な逸話は、『Illustratorで請求書を作成する』である。なんでそんな面倒な事をするのか?と仰天する方も多いようだが、例えばPhotoshopをワープロ代わりにしている方もいるそうだから、世の中は想像以上に底なしに奥が深い。そもそも私自身ですらつい最近までこれを実際に行っていた。いや請求書こそFileMakerに変更したがFax原稿はいまだにIllustratorで作成している。どうしてIllustratorでなくてはならないのか?という疑問は全くなかった。つまり、それだけかゆいところに手が届くソフトだったのである。もちろん、それは一般的なデータベース系ソフトと比較してという意味である。だからと言ってデータベース系の専門ソフトが使いにくいわけではないのだが、デザイナーにとっての拘りは実に細かい部分だったりする。結果としてEPSデータを綺麗に配置調整出来るIllustratorで全てをやってしまえ・・・という流れである。しかも最近のバージョンではPSプリンタ以外でも綺麗な結果を得ることが出来る。だとすると、この分野に特化した、例えばデータベース機能を強化した単機能のIllustratorもどきのソフトを作成して販売したら案外売れるかもしれない。もちろん一般小売店で大々的に宣伝を行って売るようなものではなく、流行のオンライン販売でという条件である。実は、ワープロの代用としてIllustratorを利用している人すらいるのである。流石に私にはそんな根性は無いが、思えば最初に購入したワープロソフトは8ビットマシン用の単漢字変換であった。つまり漢字一文字ずつしか拾うことが出来ないワープロなのである。これを使って徹夜でA4一枚の文書を作成し、充実感で迎えた朝の心地よい一時を思い出した。今となっては馬鹿げた話である。でも、多くの人は結局便利な代替えソフトに巡り会えなかったり、気が付かない人は案外多いということかもしれない。情報は氾濫しすぎるとどれが正しくてどれが間違っている・・・あるいは本当に欲しい物は何処にあるということが逆に見えなくなってしまうのではないだろうか。いや、散々偽物に騙されてきたために自己防衛機能が強く働きすぎるのかもしれない。まっ、どちらなしても、何を使おうが結果オーライで良いのかもしれない。
2001/05/17

0480 ●NTT-X Storeに初っぱなから幻滅
【NTTグループ安心のオンラインストア】というNTT-X Storeを今日になって知った私は冷やかし半分で探していたソフトなどを検索したら一発で引っかかり・・・それだったら・・・と、調子に乗って欲しかった物を数点ピックアップし、そのまま決算に入って脳天が割られるほどショックを受けてしまった。代引きと銀行振り込みしか決算が選択出来ないのである。まっ、クレジット決算がまったき出来ないというのは表現上誤解を招くかもしれない。なぜなら運送会社が行う代引き処理について、その運送会社への支払いにクレジットカードが使えるというわけだ。でも代行手数料というものが上乗せされるる当然と言えば当然だが・・・やっぱり何か変である。いまどきストレートにクレジット決算が出来ないのは何か別の理由でもあるのだろうか? これNTTですよNTTの話ですよ。まず【NTTグループ安心のオンラインストア】ということで私は極端な話・・・電話番号と名前を入れればそれで自動引き落としぐらいしてくれると信じ込んでいた。電話料金の自動引き落としを使ってである。49.195km譲ってもクレジット決算ぐらい有っても罰は当たらないはずではないだろうか? 私は何か変な事を言っているのだろうか? 私にとって買い物というのは瞬間芸であり、買うと決めたら速攻でないと気が済まない。余談だが、だから並んでまで買うとか、食べるということは死ぬほど嫌いである。その悲しい性格からね秋葉原の有名なラーメン屋さんにはいまだに入ったことが無い。さて話を戻すと、これって日本の社会の信用に対する文化の低さを露見しているようなものではないだろうか。クレジットカードって、やっぱり怪しいと思っている人が多いそうだ。まっ、確かに怪しいと言えば怪しい。手数料を客から取る飲食店は多いが、実はあれは違法行為なということを知っている人は少ないようだ。またまた話が脱線してしまったが、天下御免のNTTがこれじゃ・・・日本って【退化改新】でも始まったのだろうか?
2001/05/18

0481 ●好き嫌いの境界線
食べ物の好き嫌いは理屈ではないが、幼児体験など外的要因が原因だが。極端に好き嫌いが多いと食生活以前に社交的にも困ってしまうことがある。例えば私は生魚がダメということは以前コラムに書いたが、未だに直らない。多分一生直らないだろう。だから寿司屋に入って食べられるのは甲殻類(烏賊、蛸、海老、貝、蟹)ぐらいである。もうこれだけで誰も江戸っ子とは認めてくれない。親族中でもこんな変態は私だけだ。で、もう一つ嫌いな食べ物が私にはある。それはピクルスだ。漬け物は好きなほうだが、ビクルスだけはダメだ。身の毛もよだつと言ったら少しオーバーだが、何かの間違いでハンバーガーを食べなくてはならない時は確実に指でその怪物を取り去ってから食べるようにしている。なんだか昔、野菜が大嫌いという知人が何かの間違いでチャーハンを頼んでしまい、泣く泣く細かく切り刻まれた野菜を一つ一つ取り除いている光景(ハンバーガーからビクルスを取り除くのとは違い、あれはあれで神業のようだった。)を思い出した。彼と私はどこも違っていない。まったく馬鹿みたいな奴だ。ところが、そんなに嫌いなピクルスもタルタルソースには入っていないとダメなのである。ビクルスが入っていなければタルタルソースとは言わないかもしれないが・・・。話を戻すと、日本人の食生活の中でピクルスが登場するケースはまだまだ少ないから良いが、生魚はやはり困る。なにより刺身は日本食の定番である。更に山の中のホテルでも何故か刺身は出る・・・。出ないと思って泊まった時のショックは大きい。ところで余談だが、やはり刺身も料理というのだろうか? 単に素材をカットして盛りつけただけなのに・・・。
2001/05/19

0482 ●オリジナル便箋が減らない
かつて、まだオリジナルドメインを取得する前に専用の便箋を2種類20セットほど作成したことがあった。1セットは100枚綴りである。確か4年ほど前の話だ。しかし・・・早く使い切って新しいデザイのものを作成したいのだが、これがまったく減らないのである。それはそうだ。手紙を手書きする習慣が既にないからである。そこで贅沢にも単なるメモ用紙に使っている始末だ。ところでこの便箋は、普通の上質紙とは異なり、万年筆の使用に最適化した用紙なので、太字のボールペンを使っても気持ちの良い書き心地である。そそして、こんな贅沢がまだ12セットほど残っている。でも、実は使い切ったのはまだ4セットなのである。数の合わない4セットは、欲しいという方に差し上げてしまった。こんな事だったらレーザープリンタ用かインクジェット用の用紙で作成していれば良かったと今更ながら後悔している。いや、無理すればレーザープリンタでも使えないことはない。ただ・・・・そうすると確実にプリンタの寿命が減るのが目に見えているから実行しないだけである。世の中思うようにいかないものである。そう言えば専用の封筒こそ作っていないが、封筒の下部に張り付ける住所シールは既に使い切り寸前だ。これは当初使い切ったら新しいデザインで追加印刷を考えていたが、インクジェットプリンタで小ロットずつ好き勝手なものを作成したほうが合理的な気がしてきた。これってイイ事なのか嘆かわしいことなのか?というちょっとした葛藤が私の中にある。
2001/05/20

0483 ●ストラップとイヤフォンが合体
どこで見たのか?バタバタと資料探しの真っ最中で、しかも突然マシンがハングアップしてしまった結果・・・それをどこで見たのか忘れてしまった。携帯電話を首から提げる時のストラップの紐の中にウォークマンで使うようなイヤフォントが縫い込まれている・・・もう見ただけで欲しくなってしまうほどお洒落なアイデア商品だ。しかも、なにかのキャンペーンのオマケのようだった。うっすらとAcrobat 5.0のキャンペーン?程度に残っている記憶(多分コレはInDesign日本語版に付いていた自動車の付いた短い携帯電話ストラップのインバクトの影響かもしれない。あっ、一度に色々と注文したので、これも勘違いかもしれない。)を頼りにアドビのサイトにいったが、見当外れだったようだ。仮にAcrobat 5.0のキャンペーンだったとしてもすでにアップデートをすませている私には意味プーである。更にヒツコク立ち寄りそうなオンラインショップをチェックしたが、どこにも無かった。もしかして私の夢だったのだろうか? いやそんな事はないはず。確かに今時の高校生のように携帯電話グッズにやたらと詳しいほど暇をもて遊んでは居ないので、すでに世間の常識的製品なのかもしれないが、オジサン的私にはとても新鮮なインパクトがあった。そもそも私は夏場はよほどの事がないかぎり携帯電話を首から提げているからだ。更に小型のウォークマンを持ち歩くことも多い。だから、この瞬間目の中にはいった製品が手に入るものなら手に入れたい病に犯されてしまった。馬鹿な話だが、手の届かない価格帯の製品なら諦めもつくが、手に入れるのに大きな出費もないような小物だと、いやでもムキになってしまうのは私だけだろうか。
2001/05/21

0484 ●最新型の?非iモード?をゲット
18日、3台目の携帯電話(Paldio 631s)を購入したついでに、1年ちょっと愛用していたデジタルムーバーP208を機種交換した。私のようなぞんざいな使い方だと、たとえキーロックが可能でもキートップがむき出しの機種は使いにくかったからである。いや持ち物が多すぎるのがいけないのかもしれない。最初に買った時はむき出しに懲りて、初めての機種交換ではキートップが隠れるものにしたが、3代目の機種交換の時はDoCoMoショップではなく量販店でその場にあるものという交換の方法にした関係で、店員の巧みな言葉に騙された感じであった。ということで4代目は最新のP503iSである。ただし・・・i-mode契約はしていない。まだ必要性を感じていないからだ。もっとも、最新機種なので手続きさえすれば、いつでもi-modeは使える。なにより表示モニターがカラーとなったので細かい文字が辛くなってきた私には大いに助かる(本当の理由はコレだということは内緒にしておこう!)。ところで、気になったのはこのP503iSではなく、Paldio 631sである。どこに電話しても機種在庫が無い状態。量販店でも同様だ。仕方がないので一番近いと思っていたDoCoMoに電話したところ、『在庫が無いので予約は出来ない』と言われてしまった。げっ? ここは日本でしょ? 製造打ち切りとかであれば仕方ないが、在庫が無いと言うだけで予約も出来ない? なんとなく電電公社時代の影を感じ(だけど、DoCoMoとして販売されている携帯電話の梱包に一切スチロールが使われていないのはSONYのようで好感が持てる。もちろんSONYの大型製品については確認していないが、出来るだけ使わない処理をしているメーカーに対してはヒイキしたくなる)た。こうなったら・・・というわけで、片っ端から携帯電話を扱っている店に電話をしまくり・・・ついには疲れ果ててしまった。そんな折り、最後の砦ともいうべきDoCoMoショップが、案外近い場所にあることをサイトマップで知り、早速電話してみると若干の在庫があるとの事。早速、直ぐに買いに出かけるので、現物を取って置いて欲しいと言うと、『当社ではそのような処理はしていません』と、突っぱねられてしまった。もうPaldio 631sでないと困る状態(デジタルムーバーP601esでもよかったが、これは何処にも無かった。更に他社には求める機能の電話が無かった。いいや有るのかもしれないが分からなかった。なお、私は別にNTTの回し者ではない。)であったので、悪代官に媚びを売る越前屋のような状況で車を飛ばして、取りあえずゲットすることに成功した。なんだかとっても疲れた一日だった。しかし、ほぼ10年の間に3台、都合8種類の携帯電話を使ったことになるが、私の記憶の中で間一髪の重要な内容の通話というのは3件(うち1件はA社のIさん。)ほどしか受け取っていない。案外そんなものなのかもしれない。もっとも携帯電話の番号をほとんど明かしていないということもあるのだが・・・。と言うことで次ぎに機種交換するときはBluetooth対応型になるのだろうか???
2001/05/22

0485 ●自然保護という言葉を遊ぶ文化人ゴッコ
自然保護が本格的に叫ばれて何年たったのだろうか。かつて高度成長時代には『このままいくと21世紀には日本人は公害と汚染した自然により死滅する』という誠しやかな予測まであったが、どっこい当時よりも自然は戻ってきている。もちろんその反面、別の自然破壊は着実に進んでいる。そんな意味でダム建設廃止を唱えた作家知事の英断にはエールを送りたい。と、ここまで書いてフッと妙な考えが頭の中を走った。最近流行の自然保護に、地域の小さな自然を守ろうといった市民運動がある。それは大変良いことだと思うが、支援団体の方達の過激な雄叫びを聞くと、彼らは山奥の洞窟かなにかに住んでいて自給自足をしているのだろうか?と感じることがある。確かに今あるささやかな都会の中の自然を守ろうとしている彼らの行為は尊重されるべきである。でも、自分たちが住んでいる家やマンションや町がかつて犯してきた自然破壊は『無かったことに』ということなのだろうか? 自分たちが生活する事、あるいはその場所というものが成り立つために犠牲となった自然破壊などは無視してもよいのだろうか。もっと極端に言えば、自然に完全に優しく生きていめのだろうか? 確かに屁理屈の域を脱していないのは私も理解している。だが、よく考えてみて欲しい。人類が文明というものを得た時点から自然破壊は進められてきた。もちろん太古の昔はそれらも一定のサイクルで自然に戻る程度の自然破壊であったが、つい千年ほど前から自然破壊は爆発した。だからこそ今までの反省を込めてこれから破壊が行われる場所は断固として守るというのも一見正論のように思えるが、もしその場所に家を建てることを夢見て頑張ってきた人がいたとしても、それはその人のマガママということで処理されてしまうのだろうか。つい数年前に同じような志で家を買った人にだけ他人のワガママを非難する権利があるのだろうか? それこそ、どこかの国の内政干渉のようなものではないだろうか? 都会で生きながら自然保護やエコライフを唱えるということは、私自身の葛藤も含めてなんだか相当大きな矛盾を感じる今日この頃である。
2001/05/23

0486 ●進化が停止したのは電話機?それとも?
既に一般電話の契約数を携帯電話が抜いて数年経つ。そのせいかどうかは分からないが、一般電話の機能はどうしてこうもチープなのだろう。何故携帯電話と同等のインターフェースとしたハードがリリースされないのだろう。私が知らないだけなのだろうか。常時電話をしまくっている人なら別に問題ないが、たまにしか使わないと時々操作を誤ってしまうことがある。もし携帯電話と同じインターフェースであれば、混乱は少なくなるはずだ。少なくとも携帯電話の基本操作はどのメーカーも同じだからだ。思うに、これだけ携帯電話が普及してしまったのだから、一般の電話は携帯電話のステーション的な物に出来ないだろうか。一部には類似機能のものもリリースされているが、どちらかというと一般電話にPHSの付加価値をつけたものに止まっている。もう電話を最初に入れる時点で携帯電話しかいれない人も相当多いと聞く。つまり携帯電話が電話となってしまったのである。ところで、家出した子供の携帯電話の通話料金を払い続けている親って言うのは、何を考えているのだろうか? 今時小学生も持ち歩くご時世は通り魔犯罪が多発するが故、一概に否定はしないが、やっぱり四六時中そんなに電話で話す事って多いのだろうか? 進化が停止したのは電話機ではなくてどうやら人間のような気がして、不気味ささえ感じる。
2001/05/24

0487 ●やっとゲットのMP3プレイヤー
MP3プレイヤーが欲しくて色々と物色していたが、やっとアイ・オー・データのMDM-H2-USBに決めることにした。USB非対応の旧型なら半額以下で購入出来るが、Windowsにしか対応していないので断念した。また標準搭載メモリーが旧型は半分であった。なんで今MP3プレイヤーなのか?と言われそうだが、いつも持ち歩いているWalkmanが嵩張るように感じてきたことと、私のWalkmanはカセットテープ専用なので重い腰を上げたというわけである。もう私としてもカセットに新たに何かを録音したりすることも無くなっている。また市販の音楽製品などにカセットを見つけるのも困難に近くなってきたからだ。もうカセットの時代ではない・・・ということである。そもそもこのWalkmanは4年ほど前に購入した旧型である。ただし、110mm×78mm×20mm(大凡)と限界点に近づいた型の一つであったので、今まで使ってこられたのかもしれない。そしてMP3プレイヤーの全てが同一というわけではないが、このMDM-H2-USBは録音機能があるのも決定に拍車をかけた。6時間再生と4時間のボイスメモ機能があれば充分だ。でも・・・小さくて軽いから〜などとついつい色々なものを買い込んでは身につけていると、結局は重くなって苦労してしまうのではないだろうか。いや、操作方法をまともに覚えきらないうちに使わなくなってしまうような気がしてならない。でも、開発技術者の方には失礼かもしれないが、こういったオモチャはいくつあっても楽しい物だ。
2001/05/25

0488 ●金曜大工の薦め(私はFMUGの会員だった)
仕事部屋の奥・・・約3mほど先は既に人外魔境と化している。もうそこに何があるかなどと考える事すらしなくなって5年になる。だがね唐突にどうしても『そこに絶対にあるはず』というものを必要に迫られて探すことになってしまった。もう引っ越しをするような世界である。スチールの30段書類ケース2つの上にスチールの棚が乗っている。普通コレを見ただけで大抵の人は絶句する。しかもそのスチールの手前にはintuos GD-1218の2つ入り元箱ダンボール箱(購入した時の緩衝剤の関係で2つ入りのダンボールに1つ入って届いた)の中には旧SD1218と、それ相当の大きさの絵や資料が入っている。更にその上に読み過ごした雑誌3年分が無造作に乗っている。で、これを丁寧に隣の部屋に移動しつつ半日かかって目的のものを見つけることに成功し、隣の部屋に移動してあったモノを元に戻したのがそもそもの間違いであった。一触即発の不安定な状態となってしまった。見れば、5年の月日でスチールの30段書類ケースは上のスチール棚の重さに耐えられなくなり天部が凹んでいるのである。もう一刻の猶予も許されない。早速日曜大工専門店にいって適当な棚を探すが、どれも安いのはいいがフニャフニャで私の部屋では使い物にならない。もうこうなったら自作しかない!・・・と思ったが最後、一気に材料を2万円ほど買い漁り、そのまま家に戻って(もちろん車で)手持ちの工具で1800×240mm6段という豪華?な棚を完成させ、強引に問題の場所に押し込み、元あったモノを整理した。するとどうだろう。人外魔境として入り込む余地すらなかったあの場所に余裕で行くことが出来るようになった。こんな事だったらもっと早くに日曜大工をすれば良かったと後悔する5月25日の金曜日であった。ところで余談だが、この大作戦の副産物?として妙なものを発見した。それはFMUGのプロフェッショナルメンバーカードである。確かに裏面を見ると福岡FMUG事務局となっている。そう言えば入会した記憶がある。しかし・・・もう完全に除名されているのは確かだ。
2001/05/26

0489 ●便利さで消えた記憶力
数年前、暗記していた電話番号のことで驚異の目で見られたことがあったる私としてはかつては20件ほど暗記していたので、8件ほどしか暗記していなかった当時は、自慢するなどはほど遠く、情けないと思っているくらいだ。そして今では4件がやっと・・・。あとは携帯電話のメモリーがあるから覚えようとしなくなってしまった。これって、例えば以前ビデオの話をした時のように、覚えなくても物理的に何時でも確認出来る状態で複製が簡単に作成できてしまうことによる一種の退化ではないだろうか。かつて小売店では算盤を使って売り上げを計算し、お釣りを出していた。今はポスコードをなぞるだけでも顧客が何を買ったなど気にすることもなく液晶モニターに映し出されたポスコードの結果を読み上げるだけである。驚いたことに釣り銭すら計算はレジスターまかせだ。いや、そういった流れを否定しているわけではない。もし、昔の状態に戻したら、もうパニックになってしまうだろう。ところで、この考えないレジ係の弊害というものが時々発生する。それはポスコードのデータ入力間違いだ。私は昔、これで随分得したこと(多分?)があった。色々なものを買い求め、バタバタして支払いを済ませて電車に飛び乗って帰宅してみて初めて気が付く『計算が合わない!』状態。調べてみると本来5万円払うべき商品に対して5000円しか払っていない。早速店に電話したが担当者が居ない・・・ポス処理を間違えたらしき方が社員で、今はバイトしかいないとか。それでは担当者が戻ったら電話をくださいと伝言したが、結局電話は無かった。1週間ほどして思い出し、再度電話をしたが、なんと既に店は閉店(倒産)していた。私の買い物が原因とは思わないが、結果的にニッコリしてしまった。でも、コレって債権者に対して払い戻す義務があったのだろうか? いや? もともと大特売状況で(実際、大特売であった)5000円というのが正しい価格設定だったのか?は今となっては誰にも分からない謎となってしまった。だいぶ話が脱線してしまったが、便利になっただけ人間は脳を使わなくなってきている事を否定する人はいないだろう。最近のこの分野の研究報告では、脳を酷使しないと、惚けやすいそうだ。元々あんまり脳を酷使していない私は、いきなり酷使する訓練(訓練と言っても、もっとも触れることのなかったジャンルの本を読んだり映画を見るといった程度だから頑張ったところで・・・)に入ったりして・・・。でも直ぐに飽きてしまうのは火を見るより明らかだ。
2001/05/27

0490 ●初体験の後遺症は案外続く
食べ物って不思議だと思う。こんなもの嫌いな人はいないと言うものでも確実に嫌いという人はいる。今までで一番仰天したのはメロンが食べられないと言う女の子が同級生にいた(四半世紀以上前の話)ことだ。私が生魚を食べられない事なんてカワイイ事かもしれない(という風に逃げる)。刺身の食べられない日本人がいたっていいじゃないか。きっとインドにだってカレーがダメな人はいるだろうし、キムチが絶対に食べら無い人だって韓国にいるだろう(相当苦しい予感)し、そんなものだと思う(という風に更に逃げる)。ところで、狭い日本でも地方独自の食文化が開花しているのは誰もが認めるところだ。ただし、その独自文化も最初に味わった店が最低だったりすると、その人の人生は悲しい結末を迎えてしまうことがある。例えば私は20年以上前に長崎出身の方に、東京で一番おいしい皿うどんの店に連れて行ってもらったことがあった。ところがねこれがとんでもなくまずく完食するのに苦労した。いや強引に口に押し込んだという状況だった。それ以降私は10年ほど皿うどんを見ると嘔吐が走った。同じように先輩につれていかれた怪しい韓国料理店で初めて食べたビビンバがこれまた最悪で、やはり10年ほど【ビビンバ=犬の餌】というイメージしか私の中には無かった。これって相当特殊な例のように思う方もいるかもしれない。でも、案外日常茶飯事的にあることではないだろうか。運が良くて最初に食べた店の料理が本当においしければその人の人生はバラ色かもしれない。だから私の人生の中で10年近く食べる事に関して、無駄な時間が過ぎていたことは事実だ。でも、刺身に関しては寿司屋も経営していた魚屋の娘の子として生まれた私にはこの法則は当てはまらないはず。でもって私は、日本人にとって究極の料理は『塩にぎり(塩だけで握ったおにぎり)』ではないかと最近感じるようになった。
2001/05/28

0491 ●鳶が鷹を生むことは無い
28日、唐突に横浜市緑区にある四季の森公園(公園ヲタクという突っ込みは無し)に出かけてきた。ここは都内から近いわりには自然が豊富で、あまり人間の手で加工されていない公園として隠れファンの多いところだ。ただし、トイレも共通の公園内のシグネチュアは誰が作ったのかは知らないが、最悪最低のデザインで、トイレに至ってもどちらが男性で女性かが直ぐには判らなかった。違いは女性が黄色で男性がスカイブルーとなっており、形状の違いはスカートによく見ないと判らない切れ込みがあるのが男性(つまりパンツ)という呆れたモノで、流石にキレそうになった。そこでやっと・・・最初は判らなかったが、どうしてトイレの前でお年寄りが右往左往しているのかがやっと判った次第である。実は私もはじめは右往左往してしまった。ところで、ここにジャンボ滑り台という落差20m、長さ100m以上(数値はどれも目視による推測)という施設がある。自由に子供達が遊んでいるのだが、ここで親子連れの後に女の子と男の子の姉弟が滑っていたが、その直ぐ後ろからガラの悪い小学生3名が距離を開けずにもうスヒピードで、しかも足をのばしたままブレーキをかけることもなく『どけどけ!』と最後部の女の子の背中をに激突したのを偶然見てしまった。女の子とその前の男の子は更にその前に親子連れ(お父さんに抱かれた子供は幼児)に気遣って低スピードで進んでいたのが徒となってしまった。背中を強打された女の子の顔は苦痛で歪んでいた。私はそれを見てとっさにその悪ガキ3名をぶっ飛ばしに突進しようとして同行者に制止されてしまった。横に親が居たのである。それではその一部始終を目撃していた親に意見してやろうと矛先を変えたが、それすらも同行者に制止されてしまった。確かに私の行動は大人げない行為かもしれないが、親が意見できない問題行為は、それに気が付いた大人が注意して何がわるいのだろう。万が一、背中を強打したことで脊髄に損傷が出てしまったら命に関わる大事故である。そもそも彼らワルガキの母親達はことの状況を他人の悪口を大声で話しながらヘラヘラと見ていたのである。冷静に考えれば、そんな馬鹿な親に何を行っても逆恨みされるだけである。しかし、こういった小さい日常の事件を見るにつけ、常々『鳶は鷹を生まない』ことを実感している。鳶はあくまでも鳶しか生まないのである。馬鹿者は馬鹿者しか生まないと言い変えてもいいのだが、流石に少し自重すべきが大人の対応かもしれない・・・と。それにしても穏やかな日よりで人も少ない公園でゆったりと森林浴を楽しみたいと思っていた私の楽しみはこの事件でズタズタになってしまった。月曜だというのに小学生がいたのはどうやら運動会の代休のようだが・・・まったく腹のたつ週明けとなってしまった。でも一番嫌な気分を味わったのは、その女の子かもしれない。きっと、彼女にとってこの公園は一生嫌なイメージがつきまとうかもしれない。そう思うと、やっぱりあの場でワルガキをぶっ飛ばしておくべきだったと改めて後悔してしまった。
2001/05/29

0492 ●平成の梁山泊構想を思い出す
梁山泊とは、大辞林によると【中国、山東省西部の梁山のふもとにあった黄河の氾濫原。北宋末、宋江(そうこう)の反乱軍が拠(よ)った地。「水滸伝(すいこでん)」に宋江を首領とする一〇八人の豪傑が集まった所と脚色されて以来、慷慨(こうがい)の士や豪傑の集まりたむろする所】となっている。この梁山泊を平成の世に作ろうと豪語した友人がいた。もちろんその趣旨は【クリエーターが集まり、たむろする場所】である。もちろんこの梁山泊構想は同好会やユーザーグループ、あるいは○○協会の類ではない。結果として今現在それは実現していないが、似たような場というものが時々発生している。例えば先日も友人数名と突発にお茶会をしたのだが、その場の雰囲気はまさに梁山泊そのものであった。上下関係は存在せず、ひたすら相互の突拍子もない話に耳を傾ける空間である。こう説明すると、えてしてこの梁山泊構想と似たような発想を持っている人は絶対に多いはずだ。しかし、それらを実現しようとすると確実に失敗するのはどうしてだろう。実は私自身も過去に失敗をしている。たぶん人が増えすぎてしまうからだろう。人が集まってじっくり話の出きる人数というのはせいぜい5〜6人が限界ではないだろうか。もちろんそれ以上の人数が集まる宴会を否定するものではない。しかし、人が増えると当初の志とは違った志が台頭し、場合によっては派閥化してしまう。そしてやっかいなのはこの派閥が当事者に理解出来ていないことだろうか。どちらにしても梁山泊構想を現実化させる企画は現在消滅しているが、私はそれで良いと思っている。つまり、その時々に数名が集まって単発の梁山泊を実現するだけでも有意義ではないか・・・と。
2001/05/30

0493 ●思いこみの感覚が麻痺していることに気が付く
例えば20世紀から21世紀の節目として昨年末は様々な20世紀の映像がTVを占拠した。懐かしい映像と感じる人もいれば、初めてみる映像にびっくりした方もいただろう。ところで、ビデオが現在のように普及する前はそれほど気にならなかったが、普及してしまった現代、今見ている映像がいったい何年前に撮影されたものなのかが分からない事が多くないだろうか。ニュースもそうだがTVドラマも不思議な映像である。既に他界している俳優や、20年も前の若かりし頃の作品が、さも数日前に撮影されたかのようにTVで放映されている。数ヶ月前のバラエティー番組やドラマの再放送などであれば冒頭で最初に放映された時期を明記し、これは再放送である旨を告知するものが多いにもかかわらず、数年から数十年前の作品の再放送となると、どうして制作年度をクレジットに入れないのだろう。こうなると自分の感覚だけでどのくらい前の作品かを判断しなくてはならない。もし作品が現代劇であれば多少の時代考証は素人でも可能だが、時代劇になってしまうともうお手上げである。こうして自分の中ではまだ50代のバリバリとしかインプットされていなかった80歳を越えた俳優の死などを知ると、はじめてそのギャップに唖然としてしまうのである。逆にバラエティーの生放送に出ている、どう考えても70近い年のはずの女優さんが、実は50代であり、私が小学校の頃に見たその人の当時の年齢は30代ではなく10代であった事実を知った時の逆唖然・・・。人間の思いこみは想像以上に歪んでいるようだ。それでも生きているうちに気が付けばよいが、多くはそのままあっちの世界に旅立ってしまうものである。そう、これはTVの話ではなく、本当は些細な誤解から生まれた勘違いの話である。そう話を切り替えれば素直に理解してもらえるだろう。
2001/05/31





このコラムは私自身の体験等を整理したもので、内容を推奨・保証するものではありません。


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