| 0555 ●勧善懲悪の世界 |
| 善玉と悪玉の戦いは、最終的に善は栄え悪は滅びるという、勧懲小説(坪内逍遥の文学用語)は曲亭馬琴の読本(よみほん)がその典型とされているらしいが、他の国ではどうなのだろうか。それはさておき、このような世界は既に死滅し、本当に小説の中だけの絵空事となってしまった感があるが、それは本当だろうか。大騒ぎのわりには投票率の低下した第19回参議院選挙に雨後の竹の子のように乱立した、所謂タレント候補も結局は総じて全滅したような状況だった。比例区に至っては、かつての全国区300万票なんていう候補者は無くなり、100万票を取得したのはほんの一握りの立候補者だけであった。思うに様々な論評が見垂れ飛んでいるが、結局、国民はそんなに馬鹿ではなかったという証ではないだろうか。個人的にも絶妙のバランス結果ではないかと感じている。さて政治の話に蘊蓄をタレる気はないのでこのくらいにするが、勧善懲悪の世界という事を考えると、例えば身近な交友関係ではこの理想郷は立派に生きているように感じる。知人(先方はそう感じているようだが、私はそう感じていない)に、八方美人面して色々な人に近づき、自分にとって利用価値のある者だけを選別し、ある者は自らの手下のように使い倒し(大人なのに、自分が単なる使いっ走りだと言うことにまったく気が付かない彼らにも問題はある)、ある者はその者の人脈様々なノウハウを全て吸収し、それらを巧みに利用して、右も左も判らない善良な者たちを洗脳することに余念のない人がいる。もちろん自らの立身出世のためだけにである。もうここまで書けば普通の人であれば『そんな阿呆は近づきたくもない』という捨て台詞で終わってしまうが、最後の最後まで信じていて裏切られた人(知人にそのような方が実在してしまった)にとっては、人間不信に陥るのにさして時間はかからないはずである。しかし、このように人を足蹴にして生きる魑魅魍魎は、たとえ一時期はどこかに君臨出来たとしても、ジワジワと大切なモノを、まるで崖が崩れるように失っていることに気が付いていない事が多い。最後の最後まで信じて疑うことを知らなかった友を一人裏切ったと思っていても、実はその人の後ろに何百、何千の交友関係が繋がっているからだ。私もその一人だったのである。そして、これこそ私流の『勧善懲悪の世界』ということになる。業界は本当に狭いのである。 |
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2001/08/01
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| 0556 ●猛暑時の朝食 |
| 暑いと食欲がわかなくなるが、さりとて食べないと死んでしまう。だからと言うわけではないが、暑いときの朝食は色々と工夫している。例えば【冷やしたカステラに牛乳定食】【パナナサンドに人参ジュース定食】【寒天に黒蜜少々と黄粉たっぷりにトマト丸かじり定食】。要するに口当たり優先にしてしまうという発想である。最近の諸説によると朝食はとらない方が良いというものもあるが、さりとて、まったくとらないと脳に酸素が運ばれないとか・・・いったい何を信じていいのか判らない健康情報の氾濫状態では、当たり障り無く両者を取り入れるしかないという側面も含んでいる。取りあえず、今のところはドクターストップがかかるほど太っているわけでもなく、また、体に爆弾を抱えているわけでもなく、タバコも止めちゃったので、細かいことを気にしないで、季節の味を楽しむようにしている。もちろん暴飲・暴食は御法度だが、よく考えてみると季節の味を楽しむなんて事は今はもう死語だったかもしれない。真冬に西瓜が食べたいなんてわがままを言ってもあっさり解決出来てしまうではないか。そもそも私自身が季節を代表する果物や野菜を時々間違えてしまうようになって久しい。まったくもって恥ずかしいことだ。世界でも数少ない四季を味わうことの出来る日本は、便利さと引き替えに、何か大切なものを無くしてきてしまったのではないだろうか。 |
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2001/08/02
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| 0557 ●写真付き切手はいつ正式に販売? |
| 国際切手展で試行販売された写真付き切手が予想以上にブレイクしたようだ。現物を見ていないので詳しいことは判らないが、どうやらプリクラが切手になるといったニュアンスのようだ。実際に販売されるようになれば、遊び心があっていいんじゃないかと個人的に感じてしまった。またね既に海外では販売されているとも聞く。ただ、気になることとして、ドラエモンの切手が出た時、一部の地方郵便局員が単なるキャラクターシールと勘違いして別途料金を徴収しようとして大問題になった事件があったことを思い出した。身内に理解されていないのではなく、単に怠慢なだけなのだが、このあたりが民間企業ではないと、マスコミの突っ込み方もキツクなってしまう。しかし、私が利用している銀行のインターネットバンキングで支払先を間違えた時の対応で、一番近い支店の課長がインターネットバンキングそのものを知らなかった!という、ちょっとした事件を思い出した。当然私は唖然を通り越して背筋が寒くなった。知らなかったとしても知っているぐらいのそぶりをするのも管理職じゃないの? そういえば、何かのCMでパソコン使えないと窓際みたいなものがあったが、洒落にならない状況だ。たまたま私が普通の人よりは少しだけ詳しかったので問題にはならなかったが、もしあまり詳しくない人がこの課長にトラブルの対応を説明したとしたら、考えただけでも恐ろしい状況である。だいぶ話が脱線してしまったが、今まで堅苦しい規定でガチガチであった切手が突然柔軟なものに本当に変化出来るのだろうか? やっはり民営化してからでないとダメかもしれない予感がする。もっとも民営化の先輩格であるNTTも未だに公務員時代の影が消えていないのだから、あまり厳しい注文はかわいそうかもしれない・・・。 |
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2001/08/03
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| 0558 ●iPhotoとPhotoshop Elements |
| どうやらAppleがAdobeのPhotoshop Elementsとおもいっきり競合するらしいiPhotoというソフトのリリースを準備しているようだ。ここのところのAppleとAdobeの関係は冷ややかなのは、これに関連しているらしい。しかし、Adobeの肩を持つわけではないが、Appleのソフトの完成度が仮にPhotoshop Elementsより高かったとしても、AppleはMacintosh版しかリリースしない事に注目すべきである。何を今更馬鹿なことをと想う方もあるかもしれない。しかし、いくらMacintoshが好きでもWindows環境を一切否定することは出来ない。だから、両プラットホームに共通するアプリケーションが存在していることが重要なのである。もちろんビツトマップ画像なので、データをコンバートしてしまえば共通の環境の必要性は薄らぐかもしれない。しかし、業界全体を見ると、どちらかのプラットホームにのみポイントを置いて開発・リリースするソフトや、特定のプラットホームにしか存在していないソフトで爆発的にヒットしているのは、さして多くないはずだと思うのだが、これは私の勘違いだろうか。さて、プラットホームの話は置いておいて、まだ現物を見ていないのであくまでも絵空事だが、どこまでPhotoshop Elementsに類似するかもユーザーの関心事ではないだろうか。まさか、いくらなんでもPhotoshopに似るなんてことは無いだろうと想う方が圧倒的だとは思うが、かつてAdobeでPhotoshopの開発に関わっていた知人がAppleに入っていることを知っている私は妙な気分である。あっ、でも、このiPhotoって、もしかしてMacintoshにバンドルするのだろうか。そうだ!バンドルだ。iMovieやiDVDのようにバンドルに決まっている。だとしたらAdobeがカリカリするのは納得だ。Appleは、そのうち全ての分野の定番ソフトの類似品をMacintoshにバンドルしたりするのだろうか。いったいどうなってしまうのだろう。 |
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2001/08/04
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| 0559 ●断水スレスレの水不足が危機感を鈍感にする |
| 数日前に深刻な水不足というニュースが流れた。今年は梅雨らしきものも記憶に無いほど雨が少なかったので、気にはしていたが、予想外に早く水不足の警告がニュースに乗ってしまった。断水と言えば、私が子供の頃に一度だけ東京で断水になった記憶がある。あくまでも曖昧な記憶ので実際どうであったかは覚えていない。しかし、小学校高学年以降に断水は無かったのは確かだと思う。つまり都民(23区)は、私の記憶に知る限り相当長い年月断水という経験をしていないことになる。もちろんその間も断水の危機は何度も訪れている。しかし、その都度ギリギリ間一髪のところで何度も危機を免れてきている。もちろんこれは様々な人の努力によるところが大きいのは言うまでもない。しかし、このどうにか切り抜けてきてしまった綱渡りのような水源降雨問題が、逆に都民の水不足に対する危機感を思いきり鈍らせているのではないだろうか。『ギリギリで水源地に雨が降ってなんとかなるに決まっている〜今までもそうだった』と心の隅で楽観視している都民が大多数ではないだろうか。実は私もその一人に近い。この危機感の甘さは実は水源降雨問題ではないのだが、平和ボケしてしまった今の都民、いや日本人全体に言えるのではないだろうか。『考えすぎだよ』と思っている方がいるとしたら(それが大多数の今の日本人だが)、自分とはまったく異なる意見や考え方をシミュレーションしてみるのも悪くないかもしれない。水源降雨問題とは異なり世の中の動きの真実は一つとは限らないからだ。特に情報操作が極めて巧妙な現代は・・・。 |
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2001/08/05
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| 0560 ●都会の夏の盆踊りの実態 |
| 盆踊りの季節だ。東京も儀式化してしまったとは言え、毎週どこかで開催されている。少なくとも大田区ではそうだ。そして、都会の盆踊りに面白い共通現象があることに気が付いた。余談だが、私は昔から踊らずに見るだけである。さて、何が共通現象かというと、踊っているのはまず大多数が50代以降の方達ばかりである。しかし、それでは場が白けてしまうので、子供を集めるために、お菓子を配ったりするのである。一定時間になったら配布したりするルールが一般的のようだる結局、お菓子を餌に子供を集めなければ盆踊りが成立しないということの裏返しである。確かに昔は盆踊りの会場の脇には様々な屋台がひしめき合い、少ない小遣いを握りしめてはそれらの屋台で金魚すくいをしたり、綿菓子を買ったりと、それなりの楽しみがあった。もちろん今も同様だが、少々様子が異なってきている。まず屋台は町内会の有志がレンタル会社から機材を借りて行うというケースが増えてきている。所謂トラブルの耐えないテキ屋を閉め出すという方向なのだそうだ。ところが、テキ屋を閉め出してしまい、素人がテキ屋もどきを行っても雰囲気は出ない。雰囲気を取るか、安全を取るかの選択を迫られれば、役員としては後者を選択するのは当然だ、しかし、だからと言って、それとは別にお菓子で子供を集めるというのは、何かが違うような気がしてならない。でも、どう見てもオモチャのおまけにラムネが付いているという逆転現象のお菓子が店頭に氾濫している現代の子供達にとっては 、たいした問題ではないのかもしれない。聞けば奈良時代頃の悪戯書きにも『今の若い者は』という下りがあるそうだ。愚痴が出るようになると、完全にオジサンモードに突入といったところだろうか。気を付けないと深みに填ってしまう・・・。そう言えば数年前に一度だけ近くの某神社の盆踊りを見に行った時の恐怖を思い出した。ここで踊っている人は確実に60代後半以上であり、テキ屋の人も全て60代後半以降の方ばかり・・・そして見渡すと、会場には本当に60代以上の方しかいないのである。私以外は。しかもテキ屋で売られている様々なオモチャ類はどう見ても私の子供時代にすら見たこともないような古い作りのものばかりであった。更に境内も異常に古く、音楽も気のせいかテンポが今風ではない。なんだか突然背筋が寒くなった私は足早に自宅にもどったが、あの神社は今どうなっているのだろう。あれは本当に現実の世界だったのだろうか。 |
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2001/08/06
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| 0561 ●米俵の重さの謎 |
| 話題の『米百俵』の話を調べていて、ある歴史の本で『一石とは米俵3俵の事であり、安土桃山時代から江戸末期、明治に入るまで使われていた単位』とあったが、それでふと、気になったことがあった。それは別の資料によると、【1合=180ミリリットル/1升=1.8リットル/1斗=18リットル/1石=180リットル/米1俵=4斗=72リットル=60キログラム】という流れになっている。つまり、この換算で言うと【1石=米2.5俵】になってしまう。更に別の資料によると【米俵1俵=70キログラム】というものもある。どれが本当なのだろうか。色々調べた範囲では、どうやら米1俵の重さにバラツキがあるようだ。米という物質の関係で、容積と重さが同一になることはあり得ないので、重さで考えてはいけないのかもしれない。しかし、米俵1俵=16貫というレートを多くのケースで確認している。つまり【4貫=15キログラム/1貫=3.75キログラム/16貫=60キログラム】ということになる。どうやら【米俵1俵=60キログラム】と考えて良さそうだ。ちなみに現在も真珠の重さの単位として世界共通に使われている【匁】は【1匁=千分の1貫】である。少々不謹慎なネタで恐縮だが、【貫】と言えば、【百貫でぶ】という比喩が昔は使われていた。意味の根底を理解している方はどれほどいるかは疑問だが、数学的に計算すると、【百貫=375キログラム】ということになる。これってほとんど小錦の体重ではないか。普通の人間ではまずあり得ない体重だ。多分言葉の語呂合わせから出たのだろう。ちなみに1貫ほど太ってしまった私は現在17貫である。もっとも身長比でいうと私の理想体重は16.8貫なのて、まあまあ許容範囲と言ったところだろうか・・・。 |
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2001/08/07
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| 0562 ●マクドナルドの『マックビジョン』に唖然 |
| 久しぶりに意味もなく近所のマクドナルドに入ってみた。暑くて頭がクラクラだったからだろうか。この店は例の McVISION (『マックビジョン』とは、マクドナルドオリジナルCS放送の事で、1998年12月より都内マクドナルド各店でテスト放映中の『マックビジョン』が、2000年12月より首都圏・関西圏の計500店に設置店舗を拡大し、最新の音楽や映画などのエンタテインメント情報やレポート、ゲストライヴ等、すべて『マックビジョン』だけでしか観ることのできないオリジナルコンテンツが、2週間ごとに通信衛星から配信にされ店舗内でエンドレス放送される)というもので、『映像と音楽のマルチコンテンツメディア、あなたの街の『マックビジョン』に乞うご期待! 』という鳴り物入りの企画である。私としては特に興味は無かったのだが、大音響に誘われてついつい内容に目が行くようになり唖然としてしまった。マクドナルドと言えばハッピーセツトを求めにくる子供が多いレストランにもかかわらず、18才未満お断りスレスレの映画の予告や、日本では無頓着なバイオレンス映画の予告編などが平気で放映されている。しかも私の入った店は、この McVISION が設置してある2階は禁煙席で、ほぼ子供が半分という世界なのである。子供のためというのは単にオモチャ付きのセットを販売すればいいというものではないはずなのだが、もしかして本家USAでもこんなものなのだろうか? 確かに昨今の食品の安全性という観点から考えた場合、マクドナルドやケンタッキーが使う食材の安全性が極めて高いことは有名な話だが、だからこそ子供にも安心して食べさせることが出来るから子供連れが多いはずなのに、これでは子供を閉め出しているようなものである。いや、そう解釈されてもしかたがない。また、まさか関西芸人の下ネタ低俗バラエティーような番組など放送していないだろうかと心配になってしまった。私とて何もそういった番組を目くじら立てて否定する気はない。しかし、何事もTPOというものがあるのではないだろうか。どうも、このTPOということに最近の日本人は無頓着すぎるような気がしてならない。考え過ぎだろうか。 |
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2001/08/08
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| 0563 ●四字熟語の謎 |
| 四字熟語というのは昔から国語の試験問題の定番で、漢字四字で構成される熟語、成語、成句である。成句とは、昔から多くの人に知られ、しばしば引用される名句やことわざを言い、二語以上の語が習慣的に結び付いて、ある決まった意味を表す言い回しなども指すと言うことになっています。また、慣用句もこの仲間だ。 ちなみに慣用句とは、二語以上が結んで全体が一つの意味を表すようになり固定したもの、あるいは、二語以上が、決まった結びつきしかしない表現を指します。だとすると、例文とは無関係に【□肉□食】という単純な穴埋め問題があった場合、【弱肉強食】または【焼肉定食】のどちらも正解となるはず? ちょっと屁理屈が強いだろうか。そもそも四字熟語というものに定説は無い。確かにいくつかの定番はある。【賛否両論/意見が賛成と反対と二つに分かれること】【未来永劫/未来にわたって永久に果てしないこと】などがそうだ。でも、上の屁理屈か言うと【割烹料理】【狂犬注意】【海上保険】【特色印刷】【銀行強盗】なんてのも四字熟語になってしまう。もちろんことわざにはなっていないが、こういった馬鹿げた屁理屈を突き詰めていくと、なんだか言葉遊びが面白い。かつて外来語を必死になって日本語に訳していた明治の人々のセンスは既に崩壊してしまったが、それらのセンスを越えるセンスを我々は持っていない。つまり、単なるカタカナ表記でお茶を濁している事を良しとする風潮は思わぬところに弊害となって現れるのではないだろうか。取り越し苦労の老婆心丸出しと言われたら返す刀は無いか、何かそんな予感がしてならない。 |
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2001/08/09
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| 0564 ●Corel Painterの真価 |
| ついにCorel Painter 7がベールを脱いだ。ユーザーの一人としては、大変気になるバージヨンである。なにより経営危機が囁かれていたCorelだけに起死回生のバージョンと思っていたが、会社が持ち直した途端、競合メーカーであったMicrografxを買収してしまったのだから、理解に苦しむユーザーは多かったはずだ。同じようなソフトをいくつも抱えて、どうするつもりなのだろうか。そんな疑問を持つユーザーに対する一つの解答が、Procreateという子会社?からPainter7がリリースされたということだろうか。すると、Micrografxの製品もまた子会社を作って、そこからのリリースとなるのだろうか。ちょっと私の頭では理解の限度を超えてしまっている話だ。うまい例えにはならないかもしれないが、Adobeが、Photoshop、Photoshop LE、Photoshop Elements、PhotoDeluxeを出しているのとは意味が違う。さて、ネガティブな思惑を張り巡らせても、何の解決にもならないので出来るだけポジティブに理解を深めることにする。今回のリリースに伴い、メディアヴィションより英語版を使わせていただく機会を得た。個人的に一番気になっている部分は、今回のPainter 7が、既存のCorel製品とのシームレスな関係が新たに構築されているかという点だ。あるいは、Procreateという会社の製品という割り切り方を貫き、既存の主力製品との関係は無視しているのだろうか。私自身はCorel Draw はWindowsのバージョン5でアップデートを止めてしまった(当時は既にWindows版のIllustratorやPhotoshopを使っていたので、性能に不満であったのではなく、あえてCorelを使う必然性がなかっただけである)ので、具体的に検証することは出来なかった。さて、全体的な雰囲気は旧バージョンと大きな違いはない。これは大変大切なことだ。既存ユーザーが混乱してしまっては意味がないからだ。次に注目したのは既にプレリリースなどで話題となっている水彩機能である。これはもう目から鱗の完成度で『待ってました!』と声を出したくなるほどの出来である。ただし、旧バージョンまでの水彩機能にドップリ浸かっている方にとっては、相当違和感があるのではないだろうか。このあたりは賛否両論となる気がする。なお、バージョン4〜6までのブラシ、テクスチャーなどが随時選択出来るようになっている。これにより復活したテクスチャーなどもあり、古くからのユーザーにとっては有りがたいはずだ。 |
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2001/08/10
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| 0565 ●千と千尋の神隠し |
| 10日、大森キネカ1で宮崎駿監督の最新作『千と千尋の神隠し』を見てきた。既に今更何を言うと言われるぐらい熱狂的な宮崎ファンの私には想像を遥かに超える完成度の作品であった。長編アニメーションの聖域であったはずのディズニーアニメ(バグズライフなどのピクサー作品は除く)は既に陳腐化して久しい。もうディズニーにかつてのアニメを期待することが出来なくなってしまった現在、良質アニメは宮崎駿氏に期待するしかないのかもしれない。さて、この作品の狙いとして宮崎氏自身が語っている事が興味深い。曰く『今日、あいまいになってしまった世の中というもの、あいまいなくせに、浸食し喰い尽くそうとする世の中を、ファンタジーの形を借りて、くっきりと描き出すことが、この映画の主要な課題である』ということだ。ロボットも宇宙船も美少女も出てこないアニメーションにもかかわらず、既に日本映画史上新記録を打ち出してしまった事実が全てを物語っているのではないだろうか。そして、徹底した日本的なノスタルジーの世界を描ききった本作品はある意味で名作『となりのトトロ』に通じるものがあるように感じた。そのせいか、作品中には『となりのトトロ』に出てきた一部の妖精も再登場しているばかりでなく、随所に『となりのトトロ』のイメージを思い出させるシーンが出てくるが、これは実際に見た人だけのお楽しみだろう。説くかに歴史は作られた。長く語り継がれる永遠の名作の誕生として。そして私もまた、『となりのトトロ』と同様にラストで涙腺を止めることは出来なかった。悲しい映画ではないのに・・・。 |
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2001/08/11
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| 0566 ●史上最低のスタート |
| 今日(12日)から、毎年出かけている下田のホテルでの夏休みということで早朝に自宅を出発した。予定では11時前後に当直するはずであったが、なんと9時間もかってしまった。東名⇒小田原厚木道路⇒真鶴街道、という道順はどう転んでも3時間ほどのはずだが、お盆を前にした日曜日ということもあり、まったく読みが甘かったことを思い知った。結局ホテルに到着しても夕食をすませて寝るだけである。これでは3泊4日ではなく、3泊3日ではないか。行き場の無い文句を言っても建設的でないので、すっかり忘れて次の日に備えることにした。いつもはノートパソコンを持参して最低限のメールチェックだけは深夜に行うようにしていたが、こんな状況ではパソコンでメールチェツクするぐらいしかやることもなかったので、早々にセッティングを開始していて仰天してしまった。今年のMac World Expo Tokyoの時の設定のままとなっていたiBookをもってきたのだが、IPアドレスなどの肝心のデータがすっかり消滅している。ただし、これらのテータを1つファイルにしてパスワードをかけて私にしか分からないように圧縮してあるので、それを解凍させれば・・・と思ったが、それが見あたらない。焦る心を抑えつつ冷静に思い出して私は唖然としてしまった。つい数日前にこの丸秘データをアップデートするためにiBookにあったデータを削除していたのである。もっとも、ここまで読んで大抵の方は、ノートンユーティリティーで復活させればと思うのではないたろうか。しかし、悪いことは重なるもので、iBookにはノートンユーテイリティーは入れていなかったのである。もうこうなるとお手上げだ。自宅に戻るまで通信は出来なくなってしまう。メールを4日も読めない状況というのは今の私には相当ヤバイ状況である。『どうしよう!』・・・しばらく悪あがきをしていて『ふっ!』と思い出したことがあった。『@nifty経由』という手があるではないか。少なくともこれであれば自分のHPにたどり着くことぐらいは出来る。と思ったが、よく考えてみるとパスワードを覚えていない。 TTY回線は電話などで調べることは可能だし、最悪東京経由での接続とうことも視野にいれられる。だが、自分のパスワードを覚えていないのではどうしようもない。もうジタバタすることは諦めてしまった。ということで速攻で吉井さんに電話をして私のBBSに事情説明をアップしてもらうことにした。余談だが、普通こういったプライベートな情報をアップすると、留守を公言してしまうことになるが、我が家に誰一人いないという状況はまったくあり得ないので、ある意味でイレギュラーかもしれない・・・。しかし、先が思いやられる夏休みのスタートとなってしまったようだ。 |
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2001/08/12
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| 0567 ●ビーチサイドは戦国時代 |
| 毎年利用しているこの下田の白浜海岸にあるホテルにはプライベートビーチがあり、ルール無用のサーファーなどは閉め出されているので気分良く遊泳することが出来る。また私は2年目からはビーチパラソルなどを持参するようになったが、ビーチサイド内にあるホテルの売店で借りることも出来る。ところが今年は例年にない異変が起きたのである。ホテルからビーチサイドに降りる階段の降り口で担当者が一人一人に挨拶をし、パラソルや昼食のご用聞きをするのである。どうしてしまったのだろう。確か昨年から外部の海の家などが昼食のご用聞きを始めた話は昨年のコラムに書いたが、その影響だろうかと色々調べていて納得してしまった。なんとホテルの売店の横でホテルよりも安い価格でパラソルの貸し出しなどを行っているのである。プライベートビーチとは言え、完全に隔離されているわけではないので仕方のないことのようだ。ホテルの売店以外のでトラブルには対応出来ませんというホテル側の用意した張り紙に気が付いたのは夕方部屋に戻る時であった。そしてこの張り紙は今年から張り出されたそうだ。そもそも初めて利用した年に問題のホテルの売店に入れ墨をした一軍が大挙して屯していたことがトラウマとなって無意識に近づかないようになってしまったのである。ここへは5〜6年続けて来ているが、年々環境が悪くなっているような気がする。ルール無用のサーファーも実は時々発生してはセーフガードの人の注意を受けるというケースが昨年たりから多発している。そう言えば江ノ島が暴走族と花火族に占拠され、家族連れが近寄らなくなってしまったというニュースを見たが、下田も似たような状況になりつつあることは確かだ。なんでも、海岸の無い下田港でも熱海に見習って人工海岸を作成することになったらしい。昨年もかいたが、従来の団体温泉ツアー客の求めている『呑む、打つ、買う』という典型的なおじさんの求める遊びの世界は既に死滅している。観光地に来てまでパチンコをしたりする人は既に少数派というのが現実だ。つまり、海はやっはりビーチサイドがないとダメだということに今頃になって気が付いたのかもしれない。余談だが、渋谷の町が崩壊してしまったように家族連れに敬遠されような町はこれからは荒廃するばかりだということに観光地は気づいているのだろうか。 |
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2001/08/13
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| 0568 ●典型的な一見客相手の店 |
| 下田港にある東急ストアに買い出しに出かけたついでに市内で夕食を取るのが定番となっている。せっかく来たのだからホテルの食事より市内での食事というわけだ。しかし、長年来ているが、あまりコレといった店がなく、毎年定番の店というように落ち着いてしまった。ところが、その定番の店の一つに問題店がある。日本的に知らない人がいないファミリーレストランの老舗でるF屋がそれだ。軽い食事をしたいときに利用するのだが、下田のF屋は最悪である。まず店員がやる気がなく、注文してからモノが届くのに50分ほどかかるのである。そもそも挨拶も出来ない店員がゴロゴロ状態なのである。どう見ても中学生のような店員もいる。いや調理場にいる3人の調理師のうち、実際に動いているのは1人ということに問題があるのかもしれない。いやいや、大家族が注文した沢山の品物を1つづつ違う店員が運んでくるという馬鹿げたシステム?が問題なのか? 兎に角、多くの客は怒りくるって途中で退席してしまう。頭がおかしくなってきた。『そうだ! 2年前は私も注文して50分ぐらいしてから退席したんだった!』という事を思い出した。見ると今回は既に1時間経過している。やっばりココはダメだ・・・と退席しようとしてやっと注文の品が届いた。しかたがないので退席は取りやめとしたが、案の定アチコチの席で怒りをあらわにした客が大騒ぎをしている。後から来て隣に陣取った若者達は、ドリンクを注文しようにも水を運んで来た途端に突然小走りで調理場に向かった店員が、遂に戻ることなく煙草を数本吸ってからとうとう退席してしまった。まったくもって同乗してしまう。タイミングが悪すぎたが、私も出来れば退席したかった。もし夏場に下田港に出かけることがあったら、東急ストアの横にあるF屋には入らないことをお勧めする。典型的な一見客相手の店だからだ。しかし・・・全国チェーンでソレやったら他のF屋にも影響でるのではないすだろうか。もっとも、このF屋はどの店も統一感は皆無でバラバラにやっているという印象が強い。だからどうでもいいのかもしれない。いいキャラクターを持っているのに本当に商売が下手である。 |
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2001/08/14
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| 0569 ●行きの悪夢の再来 |
| いろいろ腹の立つことの多かった夏休みだが、楽しいことたけを思い出すようにして、取りあえず無事に帰る日を迎えた。定番の帰宅コースは、ドールカーデンと、ティディーベア博物館を見るというコースに決めている。伊豆は怪しい馬鹿げた展示館や博物館が乱立している(よくもこんないい加減な施設をデッチ上げたと子供でも瞬時に見破ってしまうようなものが本当に多い。これでは伊豆のイメージが台無しになってしまう。私は伊豆の住人ではないが、観光協会はこういった馬鹿げた施設の乱立に毅然とした態度で対応してもらいたいものだ。)ので騙されないようにすることも大切だ。ところが今年はちょっと状況が変である。もういきなり昼ごろから渋滞である。もしかすると来たときと同じように9時間コースなのだろうかという嫌な予感が過ぎった。しかし、それが現実のものとなるのにさして時間はかからなかった。もうドールカーデンと、ティディーベア博物館はとりやめである。ひたすら一石も早く帰宅することだけを心抱けるようにした。しかし、焦る気持ちとは正反対に渋滞は永遠に続いている。悪いことに伊豆の道路は遥か遠くを見ることが出来るので、永遠に続く渋滞の脱力感は一般道の比ではない。そして鈍い私も小田原厚木道路にさしかかった頃にはじめて『今日はお盆の最終日』・・・ということは、ほとんどの人が帰宅状態・・・。予約をしたときに気が付いていれば回避できたことだったかもしれない・・・と思うのは既に後の祭りである。こうなったら、渋滞の時ほど事故が多いということを肝に銘じて慎重に運転することに神経を集中するだけである。余談だが、帰りの東名で現在の3車線を4車線にする工事の垂れ幕を見た時にダメだと感じた。どうせ工事をするなら先を見越して3車線を5車線ぐらいにしなくては緩和は一過性ではないだろうか。渋滞も無く気持ちよく予定通りに出かけられれば観光地はもっと潤うと思うのは私の浅はかな考えだろうか。でも、荷物の多い家族旅行の人たちを見ていると電車での移動というのは既に限界のような気がしてならない。宅配便を使うという手もあるが、甘えがあるだろうか。かしくして荒い運転の改造車を除けながらの運転で、とうとう帰りは7時間半コースとなってしまった。 |
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2001/08/15
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| 0570 ●観光地の禁煙状況 |
| 昨年の下田は禁煙10日ぐらいの時であったので細かいことは覚えていなかったが、今年はじめて観光地の禁煙スペースの現状に唖然とした。結論から言うと、どうしてスターバックスがないかという事に尽きる。つまり、一部のファミリーレストランを除き(ファミリーレストランであっても禁煙席の無い店もある)禁煙席など皆無なのである。客は、あるいは客の連れの一人は確実に喫煙者であることが当然という状況なのである。町は歩行喫煙者で溢れ、飲食店はスモックのように煙りが充満している。いつもこの手の話題で私が力説したいのは喫煙者を認めないということではないる喫煙者は個人の意志で喫煙をしているので、それは尊重されるべきである。しかし、禁煙者に迷惑をかけてはならないのである。当然レストラン系などでは禁煙席があって当たり前だと感じていた私は、あまりのギャップに呆然としてしまった。もっとも、加え煙草で乳飲み子を抱きかかえている父親や母親があちこちにいる状況もまた現実である。たまたまそういった人たちが固まってしまったのだろうか。出来ればそう考えたいものである。そういえばホテルのロビーも、このホテルにしては異常とも思える数の灰皿が設置してあり、臭くてたまらない。仕事の関係で他の地方の同一ホテルに滞在することが多い私には理解を超えた光景である。しかし、これも観光地という冠で全てがチャラになってしまうのかもしれない。煙草と言えば都心でも最近は女性の歩行煙草が目立つようになってきた。ビーチでも喫煙する女性の数に圧倒されたが、実は突然女性の喫煙者が増えたということではないらしい。もともと女性は様々な要因により、あまり人前で喫煙をしなかったが、近年それらの歯止めが無くなってしまったことにより目立つようになったらしい。実際のところは分からないが多くの方から似たような話を聞いている。そう言えば、とかく喫煙の話をするとマナーを守れば喫煙してもいいはずという意見が出てくる。でも相当マナーには気を遣ってきたつもりの元喫煙者として声を大にして言うが、外でマナーを守って喫煙することなど絶対にあり得ないのである。それは禁煙したことではじめて私も知った現実である。煙草会社のイメージ戦略に惑わされてはいけないのだが・・・。 |
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2001/08/16
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| 0571 ●運転免許更新手続きの簡略化 |
| 免許の更新案内が届いた。ところで、今までとは違い今回から案内はがきと免許証だけを持参するだけで新しい免許を発行してもらえるようになった。いったい?いつから変更になったのかは知らないが、前回の更新の時にはこのシステムはなかったと記憶している。さてさて、免許をもっていない方にはなんの話か判らないかもしれないが、今までは、いわゆる代書屋さんに作成してもらう書類を添付しなくてはならなかった。もちろん自分でそれを作成してもよいが、写真を貼付する事などを考えれば、代書屋さんに頼んでしまったほうが簡単だということでずいぶんと繁盛していたようだ。すくなくとも更新手続きを行っている警察署の近所には数件の代書屋さんがひしめきあっていた。しかし、当初から私はこのシステムに疑問を感じていた。本人が更新に出向くのになんで身分証明のような書類を新たに作成しなくてはならないのか? 最終的には警察署のシステムで新たに免許証用の写真を撮影するのに(免許証そのものが一枚の写真である)わざわざ別途写真をつけた書類を添付する意味は? しかし、これにはわけがあったのである。数年前までは更新のお知らせが管轄の警察署から来なかったので、代書屋さんから届く更新のお知らせが実はとっても大切なものだったのである。うっかり忘れてしまうということを考えると・・・である。しかし、それすら警察署から届くようになり、しいては手続き用の書類を作成する必要もなくなったことは大いに評価すべきことではないだろうか。結果として代書屋さんの職を奪うことになるが、各種証明書写真などの撮影や免許証以外の書類作成などは生き残っているので、そんなに悲観的にはならないような気がすると思うのは勝手な解釈だろうか。さてさて、平成9年の秋の安全運転週間に踏切不停止義務違反という濡れ衣で(警察官に束らって面ろくな事にはならないので諦めた)キップを切られてしまい、ゴールドカードを逃した前回とは違い、今回は確実にゴールドカードになる。だから第二の濡れ衣がなければ、次は平成16年更新となるはずだ。 |
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2001/08/17
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| 0572 ●チャリンコライダー |
| チャリンコ・・・つまりは自転車である。私は運転免許に興味がなく、30後半で突然取得したので、それまではもっぱら自転車を乗り回していた。つまり、チャリンコライダーだったのである。ところで、自転車は道路交通法上は車なので車道を走らなくてはならない。もし歩道を走る場合は、下車して徒歩で自転車を押さなくてはならない。もちろんそんな事を守っている人などほとんど居ない。だいいち都会の道路を自転車で走る勇気をもっている人など皆無だろう。『そう!』これが怖いのである。自動車に乗っている側からするともっとも怖いのは自転車とオートバイである。特に自転車は前記したように交通法規などまず守って走っていない方ばかりだ。しかし、それでも車で接触事故でもしようものなら、自転車に乗っていた方の過失てあっても車を運転していたドライバーの罪は免れない。だから私は市街地の道路では、停止義務のない場所で、どんなに後ろからクラクションを鳴らされようとも確実に停止するようにしている。それでも過去に、交差点で、停止しなくてはならないはずの自転車のおばさんの足蹴りがボンネットを直撃したことがあった。更に、つられて交差点を渡ってしまう場合がある。実はこれも私は経験している。大昔、西銀座の交差点で信号が赤なのに突然渡り始めた自転車につられて渡りはじめ、あわや大惨事という経験をしている。徹夜明けで一睡もしていなかったのでフラフラだった私も悪かったが、人間っていうのは周りの動きに無意識に行動を合わせようとする悪い癖がある。兎に角、都会の自転車には道路法規など無いのである。そう考えて行動すれば少なくとも自転車事故の大部分は未然に防げるはずだ。いや・・・突然自転車の話をしたのは、『そんなことを繰り返していると1ケ月以内に死ぬよ!』と言いたくなるようなおばさんライダーを直撃したからである。なにせ見ている私の背筋は完全に凍り付いていたのである。 |
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2001/08/18
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| 0573 ●夏休みの感覚 |
| 今更馬鹿な話だが、世間はやっぱり夏休みである。しかし、仕事をするようになってから夏休みというのは妙に面倒なイベントに思えて仕方がない。多分、最初に勤めていた会社でまったく夏休みがとれなかったことがトラウマになっているのかもしれない。当時、中学校の同級生に言われた『有給も使わないで仕事するなんて馬鹿だ』という一言はえらく私の心を傷つけた。確かに正論だが、デザイン会社のように小さい組織では、それは机上の空論でしかない。その後フリーとなってからは更に『土日ぐらい休まないと諸外国に馬鹿にされる』という一言は我慢の限界点を越えてしまった。好きこのんで土日に仕事をしているわけではないのである。大企業に勤めている身分の彼には理解出来ないことかもしれないが、世の中は弱小企業、あるいは個人事業主のほうが多いのである。大企業から依頼された仕事のほとんどは週明け納品と相場が決まっている。つまり、下請けは土日は休めないのである。もっとも、そのかわり平日に突然休むことが出来るのだから、どっちが楽しいかは十人十色だろう。ちなみに私は多くの人が働いている平日に休むのが好きだ。どこに出かけても空いているというのは有りがたい。いや、今回のネタは大企業の戦士を批判しているのではない。実際、私の知る各企業の方々は明らかにニュータイプの方ばかりである。恐らく大企業が積極的に打ち出しているフレックス導入などでずいぶんとフレキシブルになり、ニュータイプが増えたのではないだろうか。でも、年齢に関係なくまだまだ旧タイプの『おじさん』は生き続けているのである。これもある意味・・・怖い話である。 |
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2001/08/19
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| 0574 ●映画『少年時代』 |
| 『少年時代』と言えば井上陽水の代表曲の一つとして知らない人はいないだろう。しかし、エンディングでこの曲が使われている映画『少年時代』はあまり知られていないかもしれない。19日の日曜洋画劇場で特別番組として放映されていたので久しぶりに見た。映画自体は柏原兵三の『長い道』を藤子不二雄Aが漫画化した作品が原作となっており、第二次大戦末期の1994年(昭和19年)、主人公の小学5年生の風間進二(藤田哲也)は、東京から富山に縁故疎開するが、そこで土地っ子のリーダーであるガキ大将の、大原武(堀岡裕二)と、長い間病気で休学していた副級長の須藤健介(小日向範威)との確執に巻き込まれ・・・。といったストーリーだが、兎に角ラストがメチャメチャいい。ラスト見たさに当時は何度も見たことを思い出した。そして今回も涙腺は止まらなかった。TV放映ということもあり、いくつかのシーンがカット(ラストは最後まで流して欲しかった・・・)されていたし、戦時下という設定を当時の人の目ではなく現代人の目で見てしまうような不毛な描画もあるが、木炭バスなども登場し、富山の当時の町並みも妙にリアルなのと、子役の抜擢が作品に花を添えている。特に主演の風間進二(藤田哲也)と、上原武(堀岡裕二)の演技を私は高く評価する。しかし不思議なことに藤田哲也はその後も『遠き落日』『福沢諭吉』『疵』『橋のない川』等の異色作に出演しているが、堀岡裕二は調べた限りではこの『少年時代』以降の映画出演は無いようだ。もし本当だとしたら少々残念な気がする。ところでこの映画のメッセージは日本人にしか理解されないだろうと私は思う。それは戦時下の疎開という特殊環境の事ではなく、日本人にしか理解できない価値観が随所に散りばめられているからだ。物心ついた頃は高度経済成長期であった戦後生まれの私だが、この映画の中に何か遠い昔に体験したような親近感を味わうのは何故だろう・・・。 |
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2001/08/20
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| 0575 ●既に残暑だけど |
| 太陽暦では8月8日ごろから残暑だということは頭では判っていても、やはり残暑というのは9月以降だろうと勝手に考えている私にとって、今年の夏は既に残暑だと悟ってしまった。いや残暑そのものである。もちろん東京の話だが、7月の猛暑とは正反対に8月はなんとなく白けた真夏といった感じであった。そしてお盆が過ぎた今は、夜になると寒さを感じることすらある。確かに秋から冬にかけての季節が一番好きな私だが、ちょっと調子が狂ってしまう。しかし、そんな中にあっても、やはりコンクリートジャングルの東京は、地面のある山や海の町から比べたら遥かに暑いのは確かだ。つまりその分だけ冬は暖かいということにもなる。だとしたら、暖かい東京の冬が好きだという私はちょっとズルイかもしれない。大昔は東京都手真冬は防寒具コテコテでないと過ごせなかったはずだが、今は本当に薄着でも充分に過ごせるほど暖かい。本当にこのままいくとあと何十年か後には式を感じさせないほど気温がグチャグチャになってしまうかもしれない。でも、こういった現象というのは農業などの第一次産業に従事していない限り、無関心にならざるをえない。やはり様々な事柄に関する目先の温度差だけに敏感になるのが精一杯と言ったところだろう。やはり長いスパンで物事を考え、それに対する対応を行動で占める人は、それなりに恵まれた生活を営んでいる人に限定されてしまうのかもしれない。多くの人は自分の明日の生活をキープさるのが精一杯だと思う。でも、反面教師・・・長いスパンで物事を考え、それに対する対応を考えることだけは忘れたくないものだ。 |
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2001/08/21
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| 0576 ●プリントサンプルの有無 |
| デザイン系の仕事だとプリントサンプルを印刷所やクライアントに添付するのが当たり前なのだが、最近添付しないケースが多くなってきた。理由は下手に添付すると『添付したプリントアウトと違う色で上げてきたら怒り狂う海津氏』という妙な風潮が一部に発生してしまったからだ。最初は『冗談きついな〜』と笑っていたのだが、冗談が冗談ではなくなってしまったのである。もともとプリントアウトしたものを添付する場合はPostScript 3 のカラーレーザープリンタの出力だが、そのような理由により添付しなくなってしまったのである。なんだか馬鹿げた話だが、五月蠅い人は本当に五月蠅いらしい。ただ、勝手知ったる印刷所の場合は逆に添付しないと問題になってしまう。もっとも、そんな印刷所は私の許容範囲をしっかり理解してくれるので、まずトラブルは皆無だ。任せるべき部分はその道のプロにしっかりバトンタッチしてしまったほうがいいに決まっている。もちろん私は添付出来るような仕事が好きだ。全てがデジタルかされたことで正体不明のプロが台頭してきていないだろうか。いや、誤解をしてもらっては困るが、私は志の話をしているのである。志を高く持つことは大切だ。しかし人を踏み台にしてはいけないと思う。踏めば必ず踏まれる運命が待っているからだ。どこかの芸能人が舞台公演中に大麻所持で捕まり、関係各位に多大な被害を与えた事件が巷を騒がせているが、我々商業印刷の世界もまた多くの人の共同作業で一つの結果を生みだしている事に変わりはない。なのに妙に自分一人の力で何事も決定しているような錯覚に陥っている可哀想な輩を見かける事が最近多い。哀れな話だ。 |
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2001/08/22
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| 0577 ●自然の驚異 |
| 台風11号の被害が凄まじい。私の母は子供の頃たまたま遊びに行っていた知人の家で台風に遭遇し、床上50センチぐらいの浸水に見舞われ命からがらタンスの上に逃げ延びたが、今でも泳げない母は、これで人生は終わったと感じたらしい。しかし、次の瞬間可愛がっていた知人の犬が泳いで助けに来てくれたそうだ。映画になりそうな話だが、波瀾万丈の母にはもっと凄い話もある。そんな母の子である私には台風に関して怖い経験は一切ない。いや、2年前の那須の大雨で命からがら逃げ帰ってきた事ぐらいだろうか。でも自分の体が水没するような体験はしたことがないし、したくもない。唯一怖い体験としては小学校の頃に油化した浸水を経験したぐらいである。やはり天変地異は悲しいかな都会に住んでいた方が安全性は高くなるのは事実だ。都会では土砂崩れも津波も鉄砲水も基本的にはない。そんな危機感の薄れが昨年のキャンプ場での惨劇を生んでしまったのだろう。かつて人間は自然と共存していた。ところが都市を形成するようになってから自然との共存の道を捨てたことにより、第六感も捨ててしまったようだ。いや、第六感どころか第七感(よく判らない話だが)も捨てたという方もいる。いやいや、聴覚や嗅覚、味覚すら退化してきているのが現実だ。あと何世紀かするとSF映画のように本当に無味乾燥とした世界になってしまうのだろうか。当然現代人がそれを直接体験することは出来ない。でも、何代か後の子孫はそれを直視しなくてはならないのである。我々の蒔いた種として・・・。 |
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2001/08/23
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| 0578 ●記憶のない新築現場 |
| 最近出来るだけ歩くようにしている私は今まで以上に近所の町並みを風情として楽しむようになった。既にこの町に住んで18年ほどになるので最初の頃から比べるとずいぶんと町並みは変化している。しかし、大田区は代々住み続けている方が多いので、町そのものに暮らす人の大きな流れというものは他の東京の町ほど強くない。しかし、他人事とは言え、古い豪邸ほどある日突然幾つにも分割されて建て売り住宅に成ってしまうのを見るのは辛い思いだ。それでも歴史的に価値のあるような建物で有れば元の建物を思い出すことは可能だが、時々『あれ?ここに先日まで建っていたのはどんな家だったのだろうか?』という状況に出くわすことが最近多くなってきた。なんども通っている道にある家だから絶対に忘れているはずはないのだが、どうやっても思い出せない。そんな経験はないだろうか。どうしてなのだろう。車で通りすぎていたとしても目印になっていた位置なのに、どうしても思い出せない。まるで、そこには今まで何もなかったかのようにポッツリと記憶が消えているのである。いくらなんでも惚けるのはまだ早い。もしかしたら、そこに住んでいた人達が土地と家屋をなんらかの理由で手放す時に、代々築き上げてきた大切な思い出も間違って一緒に手放してしまったのだろうか。なんだかそうとしか考えられない白日夢である。 |
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2001/08/24
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| 0579 ●絶妙の投函タイミング |
| 郵便ポストは定期的に中身を回収にくることは当然知っていたし、交換している現場を見たこともある。しかし、今まさに交換したばかりというタイミングで袋いっぱいになった郵便物の入った袋に直に投函することができようとは思わなかった。そう・・・私はソレを今日(24日)やったのである。好感処理をしていた係りのおじさんの粋な計らいだったのかもしれない。私としては今すぐに投函する必要もなかったので、新しい空の袋が格納されたポストに投函するつもりでいたが、見ればおじさんの態度が『待っててあげるからココに入れなさい』と瞬間読めてしまったのである。目と目で会話が成立するのは出来れば若い女の子がいいが、これほど嫌みもなく絶妙のタイミングで投函出来たことがなんだかとても嬉しくて、今日一日が気持ちよく過ごせたのが不思議なことだと感じた。なにか昔から私は、人に話せず確実に馬鹿にされそうな些細なことに感動する妙なところが未だに抜けていない。例えばデザイン学校に通っていた頃、通学途中のいつもの道の横に、見たこともない花が咲いていたのを発見し、そのまま座り込んで観察を続けていたら、学校に行くのが1時間も遅れてしまった事があった。きっと普通のたわいもない事に感動したりするのは日常生活が何気ない普通の世界ではなくなっており、つまらないものだからなのかもしれない。 |
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2001/08/25
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| 0580 ●スポコンの功罪は現役? |
| 今日(25日)たまたま通りかかった多摩川の土手で実に嫌な光景を目撃してしまった。どうやら少年サッカー大会が行われていたらしいるそしてそこでは様々なチームの選手が試合前の一時をコーチとの練習に明け暮れているのだが、目に入ったコーチは紅白戦の中で煙草をくわえながら激を飛ばしている。あまりにも大昔のスパルタ・スポコン漫画のような世界に、思わずのめり込んで傍観してしまった私は、なんだか少年達が可哀想になってしまった。喫煙は個人の勝手だがコーチが実際に指導中に煙草を吸うというのは、例えば授業中に煙草を吸うようなものではないだろうか。確か数週間前には実際に授業中に喫煙していた先生を注意した親がいて、その親の子が虐待されたいとう事件があったが、普通誰が考えたって授業中に喫煙する馬鹿な先生を肯定するなんてことは出来ないはず。でも青空で行うスポーツ系の指導ならそれは肯定されてしまうのだろうか。かつては名選手だったのかもしれないが、どう考えても10mも全力疾走できそうもない体型のおじさんに指導など出来るとは到底考えられない。いや、体型を差別しているのではない。自己管理を皮肉っているのである。年とともに人間は筋力は退化するが、年齢相応の体型と体力というものはあるはず。しかもかつてスポーツをしていた人は普通の人よりも体というものに対する思いやりが強いはずではないだろうか。明日を担う少年達を指導する立場で、しかもスポーツマンとしては落第と言われてもしかたがないだろう。ところが、少なくとも関係している小学生の父兄はそれについて疑問を持っていなかったようだ。だからなのかは別にして注意を払ってみていると父兄の多くは子供達の控えているテントの中や直ぐ脇で喫煙を満喫していた。きっと彼らの子供たちは目の前で大人が喫煙していてもそれをなんとも思っていないのだろう。怖い話だ。 |
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2001/08/26
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| 0581 ●大昔のソフトの記憶 |
| 数ヶ月前、あるメーカーのUSA本社担当者から某ソフトウェアの初期バージョンの資料を探しているという打診を受けた。当然私はそのバージョンを使っていたはずなのだが・・・パッケージは残っているのに他の物が見あたらない。多分また未開拓の部屋の奥の方に地層化しているのだと思うが、思えば多くのソフトは申し込んでおいた新バージョンが届いて半年もしたら自動的に処分していたのだが、このソフトは数少ない永久保存版である。もちろん本来は旧バージョンは新バージョンが届いた時点で契約上廃棄(ソフトウェアは購入するのではなく使用権を借りる形になっているので基本的に新旧のバージョンを遣い回すことは御法度である)しなくてはならないのだが、無機質なソフトウェアのメディアに愛着を感じてしまったのかもしれない。そもそもミュージアムのようにコレクションをしていても絵がうまくなるわけでもないし、デザインにセンスが加わるわけでもない。でも人にはついついコレクションしてしまいたくなるものはある。かくして偶発が引き金となって捨てずにいたソフトが幸いしてか、資料を求められても出来る限りの情報を探し出すことが出来た。もっとも、とうとうメディアを探し出すことだけは出来なかったが、それは大掃除か引っ越しでもしない限り現状では無理かもしれない。でも、忘れた頃に突然ポロッと出てきたりするのもまた探しの物の決まり手である。しかし、ここでどうしてメーカーに判らないことがあるのか?という疑問を抱く方もいるかもしれない。でも当時は日本支社の無い時代であったことが混乱に拍車をかけたようだ。 |
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2001/08/27
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| 0582 ●いい歳をして少年少女文学全集 |
| 小学生の頃、何故かどの家にもあった少年少女文学全集は百科事典と同様にまったく読まれることのない悲しい書物であった。多分そんな中で全巻を読破したのはクラス委員の秀才だったA子さんぐらいかもしれない。そして、汚れた手でいたぶられることもなく綺麗なままの少年少女文学全集はそのまま永遠に印刷時のインクの臭いを残したまま、ダラダラと部屋の一部を占領しているのである。当然、著名な文学小説を読んでいない。読むんだったらSF小説や推理物と決めていた私にとって、著名とは言うもののね1ページ読んだら眠くなるような文学小説なんてどうでもよい話であった。いやねそう勝手に決めていたのかもしれない。しかし、やはり知らないというのはヤバイ話である。いや恥ずかしい話だ。実はそういったケースに遭遇してしまったのである。『普通の人なら読んでいて当然である小説』という冠のついた小説を読んでいなかった事実は赤面を通り越してしまう。まっ、私が普通か普通でないかは別として・・・。さりとて糞忙しい今になって分厚い大人向けの文学全集を読みあさるのも難しい。そんな葛藤の矛先に、子供の頃に見向きもしなかった少年少女文学全集が埃を被っているのに気が付いた。たとえ子供用でも省略することはせず内容を整理して判りやすく書かれている少年少女文学全集は今の私にはベストではないだろうか。気になる小説のほとんどは、既に我が家にあったのである。やっと日の目を見た少年少女文学全集たちの長い苦難の道は、彼らの定価の額面が物語っているようだった。そしてこの額は当時の親達の血の一滴だったのだと・・・。 |
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2001/08/28
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| 0583 ●アメリカンサンドイッチ |
| はじめてサンドイッチを食べたのが何時だったのかは忘れてしまったが、高校生の頃は1日おきにサンドイッチの弁当であった。ワンカップ大関にティーバッグを持参して支給されるお湯を注いで紅茶も飲んでいた。余談だが、何もしらない担任がティーバッグを入れる前のお湯だけが入ったワンカップ大関を見て私を張り飛ばそうとしたのは事実である。もっとも避けたのも事実だが。さて、サンドイッチは言うわずとしれた【sandwich】のことたが、時々サンドウィッチと記述する人がいる。でも、日本語的にはサンドイッチで良いようだ。ところでサンドイッチと言えば当然アジアの食べ物ではない。日本人的にはアメリカのイメージが全てではないだろうかるところが、肝心のアメリカ人の食べるサンドイッチがどんなものかを知っている人はあまり多くない。私の言っているのはアメリカの家庭で作るサンドイッチの事である。長くこの疑問を抱いていた私は6年ほど前に知り合った日本在住のアメリカ人(ご主人は日本人)に聞いたところ、スキッピーのようなピーナッツバターにイチゴジャムを塗ったり、バナナをスライスしたものを乗せたりするそうだ。調理などまったく無関係な世界である。確か昨年TVでデブ・スペクターさんも似たようなことを披露していた。で、そのピーナッツ&イチゴジャムサンドと、ピーナッツ&バナナサンドに恐る恐る挑戦したみたところ、案外イケル味だったのには正直驚いてしまった。もっとも中南米などでは、食べたらその場で10キロほど太りそうなほど高カロリーなデザートを食べているのを思い出した。お国柄と気候のせいだろうか。もちろんピーナッツ&イチゴジャムサンドと、ピーナッツ&バナナサンドを毎日食べたら確実に相撲部屋に入れることは請け合いだ。だから月に1回ぐらいで我慢している私は、なんとなく滑稽かもしれない。 |
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2001/08/29
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| 0584 ●日本ゲートウェイが営業終了 |
| かつては日本市場を謳歌した時期もあった日本ゲートウェイが本社のリストラ策の一貫として29日突然営業を終了してしまった。個人的には不謹慎ながらゲートウェイの製品は持っていないので他人事だが、思えば鳴り物入りで日本に進出してきたのに、この数年で知らない間に消えていった海外メーカーというのは随分多い。知り合いのいたメーカーの場合は心配で胃が痛くなったこともあった。しかし世界的なIT不況は相当深刻なようだ。東芝やNEC、富士通の大リストラを見ても背に腹は代えられない今の状況が素人にも手に取るように判る。でも、考えてみれば、IT産業と息巻いても、結局は一握りの人々にしか必要のない世界だったからではないだろうか。少なくとも今まではそうであったはずである。多くの人とって、インターネット等も今ある環境で充分楽しめるのではないだろうか。前にも触れたが、IT産業関連製品はソフトもハードも膨大な開発費を必要とする。人件費は年々上がるので開発費用は右上がりである。しかし販売価格は下がる一方の右下がりだ。このアンバランスを回避するために人件費の安い国に開発場所を移すというのが定番コースだが、それらの国もいつまでも低賃金で仕事をこなしてはくれない。かつてモンゴルが世界統一を志し、ヨーロッパにまで跨る強大な国土を得たが、結局は大きく成りすぎた弊害がアチコチでひび割れのように発生し、最後は元の木阿弥となってしまったように、巨大化した組織を維持するのは並大抵の事ではないようだ。相も変わらず一人でシコシコと仕事を行っては一喜一憂している程度の私には理解の限界を超えているが、大リストラを実行中の企業に勤めている友人にシワ寄せが来ないことを祈るのが精一杯の私である。 |
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2001/08/30
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| 0585 ●夜の池袋駅周辺 |
| 30日、対談取材のため夕方6時頃に池袋に入った。30分ほど前まで九段下で打ち合わせをしていたので、慌ただしい移動だった。なにせ慣れない地下鉄移動だからだ。飯田橋での乗り換えは想像以上にばからしいほど面倒だった。さて肝心の対談を無事終了したのが午後9時わ回った頃である。駅からさほど遠い位置ではなかったのでそそくさとJR駅に向かおうとして私は叶姉妹のようなフィリピンホステスの固まり10名ほどに囲まれてしまった。どう見たって私は金もっている格好じゃないのに・・・。バブル期の赤坂で誰一人私に声をかけなかったのは有名な話しだが、昨今の不景気はこんなところにも変化が出てきてしまったようだ。もちろん、そんな場所で呑んだこともないし、呑むお金も無いので逃げるように固まり10名の間をくぐるように間抜けな退散をしたのだが、考えてみたらねこんな時間に池袋というのはほとんど経験がない私であった。流石に新宿や渋谷なら全集が出来るほどあるが、それでも景気のいい話は皆無だ。そもそも飲み歩く習慣がないので、そういった場所にはまるっきり疎い。なにせ本当にあった怖い話として、新宿で飲み会をするのに大阪から来る友人に店を探してもらったくらいである。ほとんど東京の田舎っぺ丸出しだ。実は今日も有楽町線の池袋の駅で降りてからしばらくどの方向にいったらいいのか頭の中がパニックになってしまった。だからと言って公務執行妨害はなかったが・・・。さてさて、こうしてあらためて込み入った駅周辺を見渡してみると、昔も今も池袋の駅の不思議な煩雑さは何も変わっていないようだ。やっばりアジアはこうでなくっちゃ。 |
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2001/08/31
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