| 0616 ●最後のCDラジカセ |
| いつ頃購入したか忘れてしまったが、我が家で一番古い大型のCDラジカセの調子が悪い。いや、もう寿命寸前状態と言ったほうが正しいかもしれない。恐らく15年以上は経過しているはずだ。既にその後購入した日本製品(Made in China)のCDラジカセは全滅している。と言うことで、問題のCDラジカセは今時珍しい日本製なのである。まず、CD-ROM再生が不安定/ダブルカセットテープの再生は片方は駆動せず、もう片方は回転ムラで絶望/カセットの録音が不安定なのでエアチェックが出来ない・・・クリーニングなど、可能な限りの調整は行ったが既に寿命のようだ。そして、その巨大な図体は既に死滅してしまった文化そのものを感じさせる。それは市販の新品CDラジカセの価格をみても判る世界だ。もはやCDラジカセは高級品の域ではないのである。もちろんそんなことは私にとってはどうでもいいのだが、CDラジカセも無いと困ってしまう。というわけで新品を買うことにしたが、問題のCDラジカセの処分である。通常この手の廃棄物は粗大ゴミとしてお金を払って処分してもらうことになるが、最近は無料で引き取ってくれるキャラバンのようなトラックが定期的に訪れる。もちろん訪れると言っても訪問するわけではないので、トラックに括り付けられた拡声器の声を頼りに呼び止めると、気持ち悪いくらいに満面の笑みで爆発しそうなお兄さんが丁寧に引き取ってくれる。少しの修理で東南アジアなどに売るらしいが、そんなに儲かるのだろうか? 商売とかお金儲けといった話にはまったく鈍く鈍感で不勉強な私には、はっきり言って理解不能な世界である。それでも再生して利用されるのであれば彼(CDラジカセ)も私も満足というものだ。 |
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2001/10/01
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| 0617 ●2001年9月30日の金字塔 |
| 米大リーグ、マリナーズのイチロー外野手は、映画『フィールド・オブ・ドリームス』に実名登場したことで日本でも有名となった伝説の名選手、ジョー・ジャクソンが1911年に記録した新人最多安打記録の233本を越える234本を放ち、新人最多安打新記録を更新した。これは90年間、だれも破ることの出来なかった正しく伝説の記録である。なにより、最多本塁打の記録更新を目指す助っ人外人選手に四球攻めをするような、勝つためには卑怯な手なら何でも有りのつまらないプロ野球では、絶対に考えられない真剣勝負の中で生まれた記録ということが、輝きに花を添えているのではないだろうか。武士道は何処に消えてしまったのだろう。そして同日、シドニー五輪で金メダルを獲得した高橋尚子が、第28回ベルリン・マラソンにて、女子として初めて3時間20分の壁を破る世界新記録を樹立した。二つの偉業(オリンピック金メダルと世界新記録)を成し遂げたのは、女子マラソンが初めて公式種目となった1984年のロサンゼルス五輪大会で、ベノイト・サミュエルソン(USA)がマークした2時間24分52秒以来、史上2人目となるそうだ。私は彼ら2人の偉業を祝福したい。それは、二人とも必要以上の言われ無きバッシングをマスメディアから受けていたからだ。金メダル後の高橋選手への有頂天報道や、イチロー選手への高飛車報道は読んでいて腹が立っていた。なにゆえ自然体で頑張っている者を陥れるような、嫌がらせと言われても仕方のない報道が許されるのだろうか。それは嫉妬や妬みからくるものだったようだ。たまたま2人はニュータイプの人であり、つまならい報道には耳を傾けていなかったことが新しい記録に繋がったのだろう。でも、そうではない人はまだまだ沢山いる。つまらない馬鹿げた報道に振り回されて潰れてしまった方も多いのではないだろうか。しかもそれを精神的弱さだと止めのような報道までしてしまうメディアに罪が無いとは言わせたくないものだ。兎に角、歴史に名を馳せた2人に、心から拍手を送りたい。そして世界中に潜在している新たな挑戦者のセンセーショナルな登場に期待したい。 |
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2001/10/02
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| 0618 ●信じる者は早死にする |
| 厚生労働省は1日、牛骨などから抽出・濃縮して作る『エキス』や『コラーゲン』などの加工食品が狂牛病の病原体を含む可能性があることから、検査体制が整い原料の安全性が確認されるまで製造を自粛し、製造を継続する場合には牛以外の原料に切り替えるよう食品加工メーカー側に指導することを決めたそうだ。ここのところTVでは安全性を訴える企画が目立つが、よく聞いてみると有識者の意見は実に歯切れが悪い。例えば『人間にはほとんど感染しない』とか『通常の肉であればまず問題ない』といった曖昧な解答ばかりである。現実に英国などでは人間が感染していることを隠すつもりなのだろうか。この問題が浮上したときに、『コラーゲン』や『ゼライス』などの二次食品の安全性を私は疑ったが、それが笑えない事実となってしまった。関係省庁は動きが遅すぎる。さて、こうなると気になるものの一つにラーメンが有る。インスタントも含めた全てのラーメンだ。これらはスープに骨髄を含んだ骨を使っていたりする。確かに多くは豚や鶏だが、鶏は爬虫類に属するので感染する可能性はまずないだろうが、豚に絶対に感染しないという保障はない。百歩譲っても、牛の骨髄を使っているスープをあなたは飲めるだろうか。私は嫌だ。動きの遅い役人の対応と、事実を隠蔽してきた業者組織のツケは今後更に重くのしかかってくるだろう。心配なのは既に感染しているのではないかという恐怖だ。潜伏期間が長い狂牛病について安易に安全宣言を出してしまう役人と業者の責任問題は数年後に先の見えない訴訟地獄になるのではないだろうか。生活する上で絶対の安全というものが確約されている・・・いや、絶対は不可能としても、極めて迅速かつ厳格に対応するために、我々の生活が多少不便になっても誰も文句は言わないはずだ。牛肉は当分たべないほうがいいだろう。もしどうしても食べたかったら、もっとも安全性の高いオーストラリア産あるいは米国産の牛肉を探すことだ。味は多少問題があるかもしれないが、爆弾を抱えている確率は国産に比べて限りなくゼロに近いからだ。しかし、どうして有識者は子供にまで曖昧な対応だと指摘されるような、まるで業界の利益優先の手先のような解答しかしないのだろう。あれだけ官民こぞって嘘をつきまくって置きながら、今更信用しろというのはナンセンスである。信じる者は早死にするということでは笑えない。 |
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2001/10/03
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| 0619 ●声の大きさだけに左右されるのは危険だ |
| 多くの、いや、ほとんどの人が『大したことじゃない』と感じていることは普通は話題にもならないはずである。平和な証拠という例えの通りだ。しかし、その『大したことじゃない』事を『とんでもない事であり、××に責任を求める』(××には特定の国、政府、企業、各種団体、個人など好きな言葉を当てはめてみると理解が深まるだろう)なんて事を拡声器などを使って数10人規模で行ったら、多分ニュースになるだろう。『大したことじゃない』と思っている町の人口が100万人だとして、その中の500人ほどが、『大したことじゃない』と思っている人から見ると『なにをそんなに事を荒立てるのか理解出来ない』というような流れの中で大きな声で騒ぎ出したとしたら、事情などさっぱり判らない隣町の住人から見ると、『隣の町では××に対して住民が怒り狂っている!』って事にすり替わってしまう。そして申し合わせたように、それら声の大きい人達がカメラの前に立つと、物腰が異常に柔らかくて紳士的に装ったりするのが妙に不自然で気持ちが悪い。しかも笑ってしまうのは、そういったワカランチンをシタリ顔で『町民は皆さん激怒している。それなのに何故町議会は行動しないのか?』といったような流れの論評を出して、視聴者にあたかも支持されていると勘違いしていたりするコメンテーターや評論家先生の登場で場が盛り上がってしまう。しかも、視聴率が良いから支持されているとは限らないのに。でも、中にはそれを見ていた『大したことじゃない』と思っていた人の何人かが、『とんでもない事であり、××に責任を求める』と思わないと格好が悪いと勘違いしてしまったらどうだろう。それは正しい町民の意志なのだろうか。もちろんこれは、マイノリティーだから間違っていて、マジョリティーだから正しいなんて話をしているわけではない。でもってこの話が単なるテレビの話じゃないということも、特に説明の必要はないと思うのだが・・・やはり解説は必要だろうか。 |
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2001/10/04
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| 0620 ●今も見え隠れする白人優位主義 |
| 米国の有力紙、ニューヨーク・タイムズは1日、女子マラソンの高橋尚子選手が9月30日のベルリン・マラソンで驚異的な世界最高記録をマークしたことを大きく取り上げる中で、高橋に薬物使用の疑惑が起きる懸念を示した。内容は高橋選手が長年飲用しているというスポーツドリンクの主成分が、スズメバチの幼虫が出す分泌液であると紹介し、この効果に疑問があるとする専門家の意見を掲載している。 そして、その上で『彼女の前例のないスピードと奇妙な食習慣は、陸上長距離界に間違いなく疑念を引き起こすだろう』と述べている。これは正しく白人優位主義の裏返しのような気がしてならない。かつてい複合ノルディック競技に圧倒的な強さを誇る日本人選手に対して不利なルールに改定されてしまった事件は記憶に新しい。古くはかつて水泳王国と言われた当時の日本選手の泳法がルール改定された事もあった。正しくかつてナチスドイツが行ったオリンピックを思わせる白人優位主義が見え隠れしている。私は多くのアングロサクソン系の米国人を知っているが、彼らの本音と建て前は半端ではない。例えば本国では自室以外では喫煙しない人が、日本ではどんな場所でも喫煙していたりする。いや、些細なことの揚げ足取りをしているわけではないし、全てのアングロサクソン系米国人がそうだなんて話をしているわけではない。人間いざとなったら本音がむき出しになるという事をいいたかったのである。戦時中、都心の防空壕に逃げ込んだ祖父は隣人一家が一人3つぐらいのゆで卵を食べていたので、1つだけでもいいから子供のために譲って欲しいと話しかけたが、誰一人振り向こうともしなかったそうだ。戦前には幾度となく祖父や祖母に無心をしていた一家なのに・・・。突然そんな話を思い出した。自分が実際にその境遇に直面したらどんな態度を取るのだろうか。平時の現在、それを想像することは残念ながら出来ない。もし出来るという人がいたら、それは綺麗事でしかないはずだ。騙されてはいけない。 |
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2001/10/05
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| 0621 ●洗剤なし洗濯機と石鹸洗剤工業会のバトル |
| 8月に三洋電機が売り出した【洗剤なしで洗える】という【洗剤ゼロコース付洗濯機】に対し、をめぐり、メーカーの三洋電機と日本石鹸洗剤工業会が、『洗剤を使う方が良い』という独自のテスト結果を公表してバトルに突入したようだ。これに対し、三洋電機側は、あくまでも『洗剤使用の有無は洗濯物の状態をユーザーに断していただく』というスタンスを崩していない。実際、日本石鹸洗剤工業会が主張する有機物の汚れについては、『軽い汚れは洗剤なしで、とうたっている。食べこぼしなどの有機物の汚れは落ちる。落ちないものについては、次から洗剤を使用することを消費者が選択できる。』ことを主張している。思うにこの問題には、日本石鹸洗剤工業会は石鹸、洗剤とその原料メーカー25社で構成されている事情が見え隠れしている。突然降って沸いた洗剤のいらない洗濯機が【死活問題】としてクローズアップしてきたからだろう。個人的にはエゴイズム向きだしの揚げ足取りにしか思えない。確かに日本石鹸洗剤工業会にとっては死活問題だろうが、消費者としては洗剤の入らない世界は魅力的である。どのみち近い将来には、完全な洗剤レスの世界が実現するのではないだろうか。少なくともオリーブオイルを原料としたような非化学合成石鹸ならよいが、もう化学合成洗剤の類はそろそろ開発をストップし、その有り余る経験と知識を新たな方向へのエネルギーとしてもいい時代に入ったのではないだろうか。いくらなんでもこれは早急すぎる身勝手で過激な意見だろうか。 |
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2001/10/06
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| 0622 ●定規の見あたらない仕事場 |
| 私の仕事が完全にデジタル化したのは、わりと速い時期であったので、手作業時代の道具は自然に消滅してしまったり、行方不明になって既に8年ほど経過している。もっとも使わなくのはピンセットにテクニカルペンと製図用シャープペン、そして様々な定規類である。一番大きい定規は1.2mで幅10cm、厚みは10mmというアクリル製である。これは完全に大きな紙を裁断するためのものだ。流石にこれは直ぐに手の届くところにあるが、問題なのは30〜40cmの定番定規である。カッター用や採寸用など常時数十本は用意していた。しかし、それもほとんど使わなくなってしまったのだから、いざという時には見つからず、探しまくって疲れ果ててしまうのがオチという笑えない状態が何年も続いている。ところで、それではパッケージなどの仕事が出来ないのでは?と思われる方がいても当然だ。しかし私はパッケージ類の採寸にはノギスや類似したマイクロメーターを使っている。これで私の仕事の90%の採寸は完璧だ。残りは大型定規か巻き尺があればいい。つまり本当に30〜40cmの定番定規が不要になってしまったのである。ところでノギスはドイツ語の"Nonius"から来ているそうだ。これの英語表記に数年前に苦労したが、今でもどう訳したらいいのかさっぱり判らない。ちなみに調べた範囲だけでも"vernier calipers, micrometer caliper, slide gauge, caliper square, slide caliper"と数種類の表記がある。ネイティブな人に聞くのが一番だが、ノギスを持ち歩くようなことはしないので、なかなかそれが実現しない。それじゃ絵に描いて説明したらと以前誰かに言われたが、それは確かにそうなのだが、一応私は親しくなっ米国人には描いたりして答えを求めているが、いまだにそれは見たこと無いという答えしか帰ってきていない。私の絵が下手なのか? 彼らがノギスを見たこと無いのか? 謎は永遠に深まる。もっともこの質問はここ5年ほど行っていない。 |
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2001/10/07
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| 0623 ●15年ぶりに『すいとん』を食べる |
| 7日、『すいとん』というのは敗戦後の焼け野原で食べるものが無かった時の知恵から生まれた食品だが、お世辞にも美味しいものではなかったようだ。もちろん私が当時を知るよしもないが、高度成長時代に改良され、美味しく贅沢に調理された『すいとん』が好物である。もちろん贅沢というのは実際に焼け野原で食べられていたものと比較してという意味である。具としては油揚げと椎茸ぐらいだからある意味、どう転んでも質素な域を脱していないのかもしけない。で、私の『すいとん』は更にイレギュラーであるるもず『すいとん』そのものにご飯と卵を混ぜるのである。いや、ご飯と卵と小麦粉で『すいとん』を作ると説明したほうがいいだろう。かわりにバターは入れない。だし汁はうどんの汁でもいいし、けんちん汁でもOKだ。実際に本物を食べながら苦しい思いをした世代の方から見ると軽蔑されそうだが、私はこの純朴な食べ物が好きである。以前、究極の日本料理は『塩にぎり』だとコラムに書いたが、飽食を通り越した現代の日本において、今こそシンプルな料理というものが見直されてもいいような気がしている。しかし、一連のテロ騒ぎでにわかにクローズアップされたアフガニスタンの難民の方々の極貧生活が毎日のように放映されているのに、いくつもの大食い選手権的な番組が放映されていたことに私は大きなショックを受けた。映画などでテロを扱った作品を自粛する動きは迅速なのに、動物が生きる上で最低限必要とする食べるということを弄ぶような番組はノーマークというよりも無神経に扱われていることに私は憤りを感じる。『食べ物とお金(本物の)で遊んではいけない』という祖母、祖父からの家訓はしっかり私の中にねずいてしまっている。でも私はそれを古い考え方だとは思わない。もっと食べるということに感謝すべきたろう。人間にとって究極の贅沢は毎日生きる上で最低限の食事をとれることだと今も私は信じている。 |
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2001/10/08
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| 0624 ●批判と誹謗と批評の識別 |
| 久しぶりの友人からの長電話中に夢中になり、無意識にマウスでカチカチ遊んでいて、知らない間に行き着いた怪しいホームページを読んで仰天してしまった。所謂よくある絵が批評のホームページなのだが、半端な批評ではない。私も最近はさぼっているが、軽い感想をコラムネタにしていたので興味津々で読みふけってしまったのである。特に私が既にコラムネタとしている作品をピックアップしてみた。なにせほぼ全ての映画(私の知る限り)が批評されているのだから驚きなのだが、その内容を読んで興醒めしてしまった。それは批評の域を脱した批判や誹謗の類だからである。兎に角、徹底的に全てを批判しているのである。主催者はさぞかし芸術に造詣が深いのだろう。そして彼に認めてもらえる映画は過去にも今も、そして永遠に出現しないのではないだろう。そんな強烈な誹謗サイトであった。私もとかく批判的な意見をアップするほうだと思っているが、物を作り出すという意味で受け手の判断は様々なはずだ。つまり万人を納得させる作品は無いと言っていいだろう。当然批判的な意見は否定するつもりはないが、誹謗に近い意見は首を傾げてしまう。特に何一つ評価しない姿勢は、物を評価する立場ではないのではないかと個人的に感じている。例えばイラストや絵画はデッサン力が優れているから良い作品であるとは限らない。個性的なオリジナリティー豊かな物が概して評価の対象となったている。当然、それは賛否両論の間で揺れ動いている。だからこそ、強烈な好き嫌いを飛び越えて、多くの人の意識の中に残るのである。だから私のコラムで取り上げた映画の話はある意味で甘いのかもしれない。今まで私はどんなに駄作というレッテルを貼られた映画であっても、どこかワンポイント楽しめれば良かったと判断してきたからだ。やっぱり甘いのだろうか・・・。 |
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2001/10/09
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| 0625 ●二宮尊徳が背負う薪の数 |
| 先々週、近くの小学校で地域の運動会が行われた。町内会ごとに色分けされた鉢巻きをして競技を競うのであるる私は今までこの催しを知らなかった。どうやら利用する場所は順番に持ち回りとなっているようだ。そもそも私はこのイベントには興味は無かったが、普段はいることの出来ないこの小学校の校庭には、憧れの二宮尊徳の石像があるのである。私は自信の小学校にも二宮尊徳は無かったので、近くで見たことがなく、いつかは近くで見てみたいというつまらない欲求が残っていた。今こそ昔年の思いを達せてするときが来た。つまり、二宮尊徳の背負っている薪の数が知りたかったのである。学校の会談にも登場するほど今の小学生には人気のホラーキャラクターらしく、いつ数えても数が合わないという問題の薪の数を今こそ数えることが出来るのである。早速逸る気持ちを抑えて数え始めたのだが、不思議なことに、向かって左側から数えると26本なのに、右側から数えると28本ある。これって二宮尊徳の像を造った人の手抜きなのだろうか? そもそもそんな馬鹿なことを真剣にやっている私が少しばかり変なのは自分でも判っているのだが・・・。そもそも台座正面に表示されているプレート内に二宮尊徳の文字はおろか何一つ文字らしきものがないのである。削ったような痕跡も無い。にもかかわらず枠らしきものは存在している。風雪により自然に削られたわけではないことは、他の部分から推測出来る。やっぱり怪しい二宮尊徳の像である。 |
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2001/10/10
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| 0626 ●巨大文字のエッジ |
| 様々なところろで、秋の特売シーズン真っ直中といった今日この頃だが、多分気にもとめていなかったことに気が付いて、思わず立ちすくんでしまった。天地1mほどの特売セールの垂れ幕の文字のエッジが鮮やかとも思えるシャープさだからだ。なにを馬鹿なことを感心していると笑われそうだが、今でこそデジタル文字をアウトライン化するなどして印刷原稿としているので、エッジはどれだけ拡大してもシャープなままだが、かつての写植時代はそうはいかなかったのである。写植も母字は17級 (4.25 mm) であり、当然拡大すればエッジが甘く丸まってしまった物である。しかし、ここをデザイナーは見て見ぬ振りするか、手作業で修正するかの選択を迫られるのである。もちろん全てのデザイナーが仕事に誇りを感じていたわけではないので、手抜きの仕事は随所で見ることが出来た。もちろん素人には気が付かないのだから手抜きに走るデザイナーは多かった。当時の私はと言うと先輩デザイナーにしっかりと仕事を伝授されていたので手抜きに走ることは許されなかった。そのため終電間際までほとんどゼロから書き起こすような処理に悪戦苦闘していたことを思い出した。しかし、今は徹夜に明け暮れた修正作業と、手抜きに走ったデザイナーの甘いエッジの文字が逆に懐かしくなることがある。どこを見てもデジタル処理されたシャープなエッジの文字ばかりだからである。そんなデジタルフォントへの反骨魂からS明朝(ニィス社)は開発されたと聞く。デジタル化されても、武士は生き続けていたのである。なんだか嬉しくなってしまった。 |
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2001/10/11
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| 0627 ●もはや下戸一歩手前 |
| 11日、九段下にて吉井宏さん大賀葉子さん達と、とある飲み会を行うことになった。実は仕事の打ち合わせ(あまり具体的なことは書けないので仕事の打ち合わせとしておく)だったのだが、飲み会は飲み会である。で、私は珍しく電車で出かけたので、ビールを飲むことにした。実は日本酒の熱燗を注文しようとしたのだが、時間がかかるというのでビールに変更した。あとでこれが好判断となるのだが・・・。で、3時間ほどかけて気の利いた小さいグラスに2杯の生ビールを飲んだ私は酔っぱらった自覚はなかつた。気が付けば終電直前であったのであわてて地下鉄に乗り込み、タイミング的に来た道を戻るのは自殺行為と判断し、吉井さんの家の近くの某駅で下車し、そこからタクシーで帰宅した。ところが朝起きてみるととんでもない事になっていたのである。なんとかつてはウイスキー1本開けても翌日には平気な顔をしていた私が、事もあろうに二日酔いとなってしまったのである。生まれてからこの方二日酔いは3回しかしたことが無かったので、今回は大ショックであった。自覚はないが、どこか体の調子でも悪いのだろうか? 思えば前日のビールは、今年3回目の酒宴であった。普段の見つけていない私は確実にお酒に弱くなってしまったようだ。普通のコップに2杯程度のビールなど、好きな方にとっては駆けつけいっぱいの世界だろう。やっぱりこれからはウーロン茶でおとなしくしていた方がよさそうだ。どちらにしても、注文時に時間がかかるということで日本酒を断念したのは大正解であった。もし日本酒だったらと想像すると背中に寒い物が走るのを感じてしまった。やっぱり歳とったんだろうか? それだけは認めたくないものだ・・・。 |
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2001/10/12
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| 0628 ●聖徳太子は無理難題 |
| 先週から今週にかけて、ちょっとばかりパニックになっていた。私はある意味で節操のない作風なので、それが故のしつぺ返しかもしれない。ほぼ10日の間にPhotoshopによる作品4点、Illustratorによる作品2点、Shadeによる作品11点、そして雑誌原稿6ページである。流石にShadeによる作品11点は重荷であった。もしかしたら二日酔い事件はこれが影響していたのかもしれない。11点の3Dイラトの統一性とストーリー性を考慮し、かつクライアント側(今回は雑誌社)からの細かいサイズやイメージ指定を網羅して、もう考えている段階で逃げ出したくなってしまった。でも不思議なもので、このギリギリまで悩んでいる時(モデリングとレンタリング時間を差し引いて残った最低限の時間)が案外快感だったりする。これはPhotoshopやIllustratorでの作品作りとは明らかに違うスリルとサスペンス(どちらも死語)と言ったら笑われてしまうかもしれない。しかも、今回は3Dでも例のコケティッシュ系ではないのがまた悩みの種であった。じゃ、リアル系かというと私のリアル系はリアルの意味が少しばかり違うので、どちらかと言えば、半リアル系といった方が正しいかもしれない。生意気な言い方をさせていただくと、これは個性の範疇である。リアルを突き詰めていくと個性は反比例して遠のいてしまうからだ。モチーフにもよるが、寸分の狂いもない3D作品と写真の違いを素人に識別させるのは不可能に近いだろう。結果個性は見えなくなってしまうのではないだろうか。難しい問題だ。 |
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2001/10/13
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| 0629 ●ポラロイドが破産法申請 |
| 経営危機に陥っていた米写真用品大手ポラロイドは12日、米連邦破産法11条(日本の会社更生法に相当)の適用を米デラウェア州の連邦破産裁判所に申請したと発表した。かつて6×7版カメラでカメラマンもしていた頃、ピールアパートフィルムのポラロイドをライティング確認などで多用していただけに複雑な心境だ。もっとも、ポラロイド製品を使わなくなって久しいので現在の状況は不明だが、当時のピールアパートフィルムは粗悪品でまともに使い切れることは少なく、大抵は数枚が使えない状況だった。よくも悪くもラフなアメリカ製品という印象しかなかった。その後しばらくして国産メーカーが失敗のない同等製品をリリースし、乗り換えてしまったのは言うまでもない。さて今回の破産法申請にはデジタルカメラの台頭が影響してしまったようだ。しかし、それは少々違っているような気がする。確かにデジタルカメラの台頭は想像を遥かに超える勢いだ。だが、インスタントカメラとデジタルカメラは別物である。時代に即した小型でファッショナブルなデザインのポラロイドがリリースされていたら結果は少し違っていたのではないだろうか。確か国産メーカーが小型のファッショナブルなインスタントカメラをリリースして馬鹿受けしていたはずである。ポラロイドは、かつて王者として君臨したからと言って、その上に胡座をかいていたのではないだろうか。どう見てもここ数十年の間に同社がリリースしたカメラのデザインは時代にマッチしていたとは考えられない。少なくとも最後まで男性ユーザーだけを意識したデザインであったように私は感じている。それにしても世界的ブランドであったポラロイドが消えてしまうのは残念な事だ。自主再建は断念してしまったが、なんらかの形で復活を期待したい。 |
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2001/10/14
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| 0630 ●Macintoshは本当に速いか? |
| 最近仲間内でMacintoshが本当に高速なのかについて懐疑的な意見が増え始めている。何をもって速いかは千差万別だろうが、実際に仕事で使っているソフトのパフォーマンスという点だけで見ると、同一クロック数であればWindowsの方が高速であることは残念なことに確かなようだ。いや、私が調べた範囲のメジャーソフトでは、どれ一つとしてMacintoshが勝つことは無かった。例えばG3/400マシンでは実質上使い物に成らないソフトであっても、Pentium2/400ならストレスなく使えるばかりか、実用上まったく問題ないという結果まで出ているソフトまである。確かに同一メーカーであってもWindows版とMacintosh版を同列に考えてはいけないのかもしれないが、これは何を意味しているのだろうか。しかもこれらのソフトは元々Macintosh版からスタートしている経緯がある。私の言うMacintoshの環境とはMacOS9.2またはMacOS9.1の事であり、MacOS-Xではない。もしかしたらMacOS-X対応版ならブッチギリなのかもしれない。実際、一部のライター諸氏らが裏で流している情報が真実だとすると、MacOS-X(10.1)であればG3/400でも充分なパフォーマンスを叩き出すらしい。残念なことに私の手元には、いまだに申込みしたアップデート版が届いていないので(客寄せパンダ的な見せ物でしかなかった店頭無料アップーデート版配布以降・・・随分日にちが経過しているにもかかわらず有償申込みものはいまだに無視されている。とかくアップル製品のアップデートは面倒でしかたないが、これって何か意味のあることなのだろうか?)確認することは出来ないが、もし本当にこんな夢のような環境となっているのであれば有りがたい。出来るなら全てをMacintoshで処理したいと思っているからだ。でも、それが叶わないのであれば部分的にWindowsを使う必要が迫られてくる。いくら何でも半年に一度マシンを買い換えるなんていうのは願い下げだ。例えばMacOS-X(10.1)がぶっちぎりのパフォーマンスであったとしてもUNIXベースという意味で通信関係のセキュリティーに一抹の不安が残る。少なくとも従来のMacOSであればほぼウィルスは無視しても問題ない状況であった。つまり大多数のMacintoshユーザーはウィルスに対して無頓着であったのは確かだ。それが突然UNIXの負の資産としてのウィルスに遭遇したらどうなるのだろう。Macintoshは、いやAppleは大丈夫なのだろうか。今もそしてこれからもMacintoshユーザーとして活動したい、いや、そう願っている私の期待が裏切られないことを熱望したい。 |
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2001/10/15
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| 0631 ●使い切りデジタルカメラ |
| 旭光学工業 、アルテック、三洋電機 の3社は9日、安価な使い切りタイプのデジタルカメラをコンビニなどで19日から販売すると発表した。撮影後にコンビニに持ち込めば、その場でプリントサービスが受けられ、メモリー処理挙などの後に整備され、再び市場に流れる完全なリサイクルシステムになるそうだ。討論は実験段階として発売されるそうだが、願わくば本気道に乗ることを個人的に切望している。それは、デジタルカメラとしてのスペックは高機能ではないが、従来の使い捨てカメラのような曖昧なリサイクルシステムよりは高く評価すべきシステムであると直感したからだ。一部のメーカーでは自社製品としてリサイクルするのではなく、大手スーパーマーケットなどの特殊ブランド用に転換することをリサイクルと称している。これでは本当の意味でのリサイクルとは言えない。出来るなら100%に近い状態でリサイクルされることが理想だろう。ところで、この使い切りタイプのデジタルカメラにも当然メモリーが組み込まれている。8MBだそうだ。そうなると、コンビニに持ち込まずに自分のPCに転送し、メモリーを消去する裏技やネットウェアが登場するのも時間の問題だろうか? 640×480ピクセルというスペックでは取りたてて面白みは無いが、1980円という定価のデジタルカメラとしてみれば、リリース直後の使い捨てカメラのように、充分に面白い使い方が生まれる確率は高いのではないだろうか。メーカーの思惑はいつも裏切られ、思わぬ副産物を有無のは世の常である。それが吉に転ぶか凶に転じるかは誰にも予測できないのが難点だが・・・。 |
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2001/10/16
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| 0632 ●微妙な判断で電話機を修理 |
| 住まいの方の電話機が突然調子悪くなってしまった。これは内蔵のニッカド電池の消耗だろうと軽く考えていたが、それはお門違いであった。ほとんど使っておらず調子の良い子機の電池と交換しても何も変わらなかったからである。そこでメーカーに問い合わせると、翌日修理に伺うとの対応に安堵した。で、修理当日になるとメーカーの修理スタッフが電話機内部の基盤の代替えを持参してきた。聞けば基盤交換か買い換えのどちらかしかないとの事。既に少々は電話で説明(壊れた電話の修理依頼は私の仕事部屋の電話を利用している。我が家は電話回線4に対して電話機が4個に子機が7、携帯電話が3個である。こんなに狭い家で馬鹿みたいな話だが本当だ)していたので、こんなものかと気が抜けてしまった。問題は修理代金である、流石に通常の電話機であれば買い換えた方が安いが、インターフォンと連動していて、子機が3つもあるとなると修理をしたほうが安上がりという微妙な修理代金に翻弄されてしまった。しかし、少しの出費で新品を買っても、また難解なマニュアルを読まなくてはならないと考えただけで頭が痛くなる。結局は修理という事で手を打ったが、どうやら既に我が家の電話機は時代遅れのようだ。なにより昨今は親機の受話器がコートレスというのは構造上無いらしい。何か複雑な仕組みなのだろうか? かつてのように電話機を電電公社から借りたら一生使えたなんて時代が懐かしい。もっとも昨今の電気製品は6年も使っていれば骨董品だろう。 |
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2001/10/17
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| 0633 ●ナレッジプロセッサーKacisに宗旨替え |
| 毎日書いているコラムは最初から某アウトラインプロセッサーを利用していた。しかし、これが1ケ月分も溜め込むととたんに動作が重くなり、Macintoshなのに二重に立ち上がってしまうなど不可解なソフトであった。そのため1ケ月分ごとにファイルを分割していたのだが、流石にだんだんと鬱陶しくなってきた。そんな折り、先日の吉井さんと大賀さんの飲み会で話題となったKacisのFree版の事を思い出しさっそくダウンロードして使ってみると、そのサクサクとした動きに一発で虜(ただし、機能の一部にショートカット未対応なところがあるのが残念。)になってしまった。しかも今までのコラムを1年ごとのファイルに整理することが出来てしまったのである。今まで使っていたアウトラインプロセッサーも決して悪いソフトではないが、やはり1ケ月分のコラム容量程度で根を上げてしまうのは流石に耐えられなくなっていた。こうなると製品版との違いが気になるところだが、従来のテキスト処理ソフト系には無い面白い使い方に、とうとう Kacis Publisherをゲットしてしまった。よく考えてみれば手書きで原稿を執筆するような場合、あれこれ考えながら、時にはスクラップブックをひっくり返すなどして悪戦苦闘するはずである。それがコンピュータ上で行なうようになったからと言って、所謂ワープロソフトやエディターだけで作り上げる事が正論のような流れだが、これには少々無理があるような気がしてならなかった。どちらにしても色々な使い方が隠れていそうでしばらく癖になりそうだ。 |
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2001/10/18
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| 0634 ●三鷹の森ジブリ美術館 |
| 宮崎駿監督が作り上げた【三鷹の森ジブリ美術館】が話題だ。私もはやく見に行きたいと思っているが、完全予約制なのでタイミングを決めかねている。さて、この【三鷹の森ジブリ美術館】だが、完成するはるか以前から批判的な意見が多かった。何故完成してもいないのに批判できるのか不思議でしかたがなかたが、いわずものがな人それぞれの価値観の違いはどうしようもない。私の意見が全てということもないわけで、最後は自分自身の判断である。やはり自分の目で見て判断したいものだ。ところが、意外に早く疑似体験が出来てしまったのである。しばらく前に購入していたDVD版【となりのトトロ】の2枚目のDVDに大がかりな取材ビデオが含まれているのを今頃発見したからである。案内役は宮崎駿監督自身と【千と千尋の神隠し』で父親の声を演じた内藤剛志さんである。兎に角ビデオに見入っていると、細部まで拘った作り込みがファン心をくすぐってしまう。更に徹底して子供の視点で空間を考えようとした結果が随所に現れているように感じた。これは、何度出かけても新しい発見があるディズニーランドに少し似ているかもしれない。いや、【三鷹の森ジブリ美術館】全体が小さな怪しい遊び場というまったく新しい概念の固まりとなっているから同一視は出来ないかもしれない。とにかく細部にファンなら驚嘆する心地よい仕掛けが満載といったところだ。こうなったら一石も早く見に行きたい。そして、月日とともに少しずつ変化する館内を定期的に訪れてみたいと感じてしまった。 |
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2001/10/19
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| 0635 ●アラビアのロレンス |
| リリースれたばかりのDVD版【アラビアのロレンス】を衝動買いしてしまった。オリジナル版で仕方なくカットしてしまった部分(驚く無かれ、音声を紛失してしまったとこは、完成後27年経過した1989年にピーター・オトゥールなどが再度アフレコを行ったりしている。)を加え、また、監督すら気づかなかった左右逆転のままプリントされてしまったシーンの修復など、随所に拘りがみられるそうだ。その結果2枚組3時間47分という長編となっているので、まだ全てをじっくり鑑賞してはいないが、個人的にこの映画は思い入れがあった。主演は確かにピーター・オトゥールだが、私は、アンソニー・クィーンや、オマー・シャリフ、そしてアレック・ギネスらを【アラビアのロレンス】の中で初めて見た時から頭の中にこびりついてしまっている。だからというわけではないが、あれほどアカデミー賞を独占状態にした作品にもかかわらず、ピーター・オトゥールは主演賞を受賞していない。でも、逆に演技派の名優に囲まれた作品だからこそ歴史に残る名作となったのかもしれない。ピーター・オトゥール自身は決して大根ではないので、不運の名優と言うべきかもしれない。ところでこの作品は、それ以前のハリウッド映画によく見られた【アラブ人=西部劇のインディアン】的なイメージを払拭した作品としても評価されるはずだ。ストレオタイプ的に概念を固定してしまうのはよくない。なにはともあれコンピュータグラフィツク処理など無縁の時代に、これだけ大がかりなシーンを本物の物と人で撮影しているこの作品は、真の意味で芸術作品と言っていいだろう。その壮大さは今だからこそ驚嘆出来るはずだ。 |
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2001/10/20
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| 0636 ●何故か今年は故障機続出 |
| 先日電話機が故障したばかりだが、2代目が年頭に逝ったばかりだったのに、とうとう私の部屋の3代目ビデオデッキが危なくなってきた。エジェクトが出来なくなってしまったのである。更にiBook/2000年モデル/グラファイトの液晶モニターに筋が入ってしまった。どうやら上に重たい本を載せていた関係で、その圧力により?付いてしまったようだ。先日はiBook/1999年モデル/タンジェリンを落下させ、CD-ROMドライブが閉まらなくなっている。そうだ、動体に反応する玄関付近の街灯も先月壊れてしまったのを思い出した。いやいや2週間ほど前に自転車も修理したではないか。確か先月はTVの修理もしたはず。あっそうだったCDラジカセを今年は3台逝かせていた。一体全体今年はどうなっているのだろう。思い出せばまだまだ壊れたり逝ってしまった電気製品があるはずだ。買い換えの間なのだろうか? それとも電気製品の厄年? あるいは何かそれとは違う怪しい天変地異の兆候なのだろうか? そうだそうだ思い出した。洗濯機も修理していたし、エアコンも調整している。自家用車は車検の年だったし、ハードディスクを1基落下により破損(バックアップ直後であったのが不幸中の幸い)しているし、普段はめったにしない腕時計も調整してもらっていた。なんだかだんだん気持ち悪くなってきた。機械は壊れてしまったら買い換えは可能だが、人間はそうはいかない。壊れないように注意しないといけないということなのだろうか? |
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2001/10/21
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| 0637 ●水中歩行者が大挙するプール |
| 夏以降、ほぼ2ケ月ぶりにプールに出かけた。近くの区営プールである。屋内施設なので天候に無関係で1年中利用出来るのは有りがたい。しかも季節はずれなら空いていて気分良く遊泳を楽しめる。しかし、今日(21日)は少々勝手が違っていた。いつもと違って水中歩行を行いに来た方が多かったからだ。もちろんプールの3コースは遊泳用に確保されているので遊泳自体には困らないが、遊泳区域以外ではまるでリハビリセンターのように中年から老人にかけての幅広い年齢層の大人が水中歩行を行っているのである。夏場を過ぎた季節柄、数人なら気にならないが、少ない利用者の中の20人近くとなると、この雰囲気は少々怖いような世界になる。もちろん水中歩行を行っている方達は、いたって真面目だし、その行為を笑うようなつもりは一切ない。ただ、昨年私が階段から落ちたことにより、右肩を痛めて接骨医で見た老人達のリハビリ光景とオーバーラップしてしまった。日本の高齢化社会は加速している故、あと20年ぐらいしたら、こんな光景が普通で、子供達を含めた青年層が遊泳していることが逆に異様な世界になってしまうのだろうか。何かそう考えると寂しい気持ちになってしまう。きっと精神的な余裕が私の中にないからだろうか。不景気な状態がリラックスした精神を保てない現状では自分自身にも説得力は無いが、生きている事を楽しむ方法が日本人はいまだにとっても下手だと思う。だからと言って私自身が上手だとは思っていないが、いったい何時になったら本当の意味で生活することに精神的な余裕が生まれるのだろう。いわずものがな、ここで言う【精神的な余裕】とは金銭的に裕福な生活という意味ではない。 |
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2001/10/22
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| 0638 ●書籍を訪ねて30日 |
| 私は、本を探し歩くのが楽しい方だ。かつてお金のなかった頃は、三軒茶屋界隈からお茶の水、神保町ね九段あたりまで歩いて探し回ったこともあった。交通費も書籍代にしたかった頃の話である。当然食費は切りつめていた。かくして部屋の中は本だらけという異常な時代もあったがね今のその痕跡は部屋の一部にしか残っていない。いや、本が嫌いになったわけではない。むしろ年とともにボルテージは上がっているが、個人の蔵書としての考え方が変わってしまったのである。以前にもコラムネタとしたが、いくら神奈川県寄りとは言え、東京で住んでいる者にとって、スペースの無駄遣いは許されない。限られたスペースを有効に使うためにはいつ読むか分からないような蔵書は処分しなくてはならなくなってしまう。そして気がついた時には、各種雑誌の創刊号のコレクションも、限定販売の怪しい全集も消え失せていた。しかし、まだとっておきのコレクションは残っている。なんと手作りに近い限定和綴じの和紙事典である。これだけは処分出来なかった。というよりね持っていることすらあまり語っていなかった逸品である。別に大したことではないのだが、いや・・・馬鹿げた買い物だったのかも知れない。でも、そもそもコレクションとは第三者から見たら限りなくゴミに近い収集物であることは確かだ。それが骨董品だろうが、蔵書だろうが同じである。価値とは本来そういったものだ。さて、いきなり長い脱線をしてしまったが、本に対する異常な執着が根底にある私は、1ケ月ほど前から探している本があった。それはまだ店頭に列んでいる新刊本なのだが、不思議なことにどこにいっても在庫がない。そりとてベストセラーではない。だから、注文すればいいわけだが、どうしても手にとって直接レジに運んで購入したかった本なので、その拘りに頑固になってしまい、とうとう1ケ月も彷徨ってしまった。知っている大きな書店は全て回ったが在庫は無かった。なんだか馬鹿げた行動をしいるように感じている私もいるのだが、それをうち消すように探し回ることを強要する私がいる。はたして出口は見つかるのだろうか。いや、見つからないことを楽しんでいるのかも知れない。だからこそ誰にも探している本のタイトルを明かしていない。それは断念しなくてはならなかった本に対する執着の裏返しなのかも知れない。最近なにか仕事以外のことに以上に興味を覚えるのは年をとった証拠だろうか・・・。 |
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2001/10/23
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| 0639 ●PageMakerの立場 |
| InDesign日本語版がリリースされた時、誰もがPageMakerからの乗り換え優待を期待していた。かくいう私もその一人である。Macintosh版とWindows版の両方を少ない出費でInDesignにすることが可能だからだ。このPageMakerからの乗り換え優待は確かUSAでは行われていた(少なくとも何も無かった日本とは違いAdobe製品ユーザーにはなんらかの特典があった)のでソレは必ず行われると信じていた。しかし、それは儚い夢に終わった。かくして私のWindowsマシンにはいまだにPageMakerがインストール(流石に頻繁にページレイアウトを行うわけではないので、InDesignはMacintosh版だけを購入した)されている。ところで、先頃PageMaker7.0日本語版がリリースされた。『PageMakerは消滅せず生き残るからこそ、乗り換え処理はなかったのだろうか』という結論で、私の中では括ろうと思ったが、次の瞬間、なにやら複雑な心境になってしまった。InDesignがプロ用であり、PageMakerがフェードアウトしないのであれば、ビジネスソフトとしての位置づけは当然なのだが、それまでプロ用として使ってきた私にとっては辛い軌道修正である。特にWindows環境では圧倒的な支持を受けていたプロ用ソフトとしてのPageMakerは突然ビジネスソフトになってしまったのである。プロ用かビジネス用かという冠は実際の仕事には無関係なのは理解しているつもりだ。しかし、ステータスというものは消えないのではないだろうか。いや、使い手のプライドと言ったほうが正しいだろうか。もちろんアドビシステムズの戦略的なことを私が理解しているわけでもないし、とやかく言うつもりはない。ただひっかかるのは、『今までプロ用として販売してきたソフトをビジネスソフトにシフトさせる以上は、同社のプロ用ソフトへの優待の道を示してもいいのではないだろうか』という点である。プロ用の道具して仕事に活用してきたユーザーへの仁義は守られなくてはならないように思う私は古いタイプだろうか? |
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2001/10/24
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| 0640 ●捜し物はなんですか? |
| 23日、朝食中に『ふっ!』とアイデアが浮かび、それを実現させるために必要な素材CDを探し始めて、とうとう夕食時間までかかってしまった。しかしその時間に見つけたわけではない。実を言うとまだ見つかっていないのである。確か数日前に別件で利用し説いたはずなのだが・・・どこにも見つからない。どうやらどこかに紛れ込んでしまったようだ。私は数年前からCD-ROM関係のケースは極力破棄し、不織布のケースに入れて専用の箱などに納めている。もうそうでもしないと専用の部屋をどこかに用意しなくてはならないほど溜まってしまったからである。当然これらにはバックアップ用のCD-R類も含まれている。私は制作の途中過程までも全て保存しているので、その枚数はもう半端な数ではない。だからこそ最新の注意で直ぐに目的のデータが取り出せるように整理していたのだが、時々今回のように見つからない事件が発生する。ところで、昔から不思議なことの一つに、こういった異常に近い枚数の各種メディアの収納に関する市販製品が少ないのはどうしてなのだろう。古くはフロッピーディスクなどがそうだ。大抵は数十枚程度を整理することだけを前提としており、音楽用CD-ROMやビデオテープなども同じだ。最近でこそ押入に入れておくための専用のケースなんていうのも出ているが、やはり大量にこれらのメディアを持っている者は少数派で異常なのだろうか。でも、仮にコンピュータを持っていなかったとしても、音楽関係のCD-ROMはどんなに少ない人でも50枚ぐらいはあるのではないだろうか? いやいやこんな発送をすること自体、私が捨てに麻痺している証拠なのだろう。さてさて、捜し物はなんだったっけ? |
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2001/10/25
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| 0641 ●薄着は老化の証? |
| 今だにTシャツ一枚で過ごしている私は、買い物などに出かけると異様な目で見られる。それはそうだろう。既にTシャツ一枚でヘラヘラしている人を探す方が難しい季節だからだ。しかし私としては、まだこの程度の気候で、フリースやセーター着たりする気にはならない。だが、実際の気温とは無関係に何月というイメージだけで着るものを変更してしまうのは世の常なのだろうか。あるいは、現代人は、基礎代謝が極端に鈍化しているのだろうか。そこで少々巷の情報を収集してみて唖然としてしまった。今や若い人ほど季節なりのファッションで固めるらしい。実際に気温が何度あろうが関係ないのだそうだ、概して高齢者の方が案外薄着らしい。修羅場をくぐってきた高齢者の体力の方が、ぬるま湯に使ってきた若者よりも強いということなのだろうか。だとすると、今時Tシャツ一枚で過ごしている私は、思いっきり高齢者に分類されてしまう。かつて先輩に、ワイシャツの下にランニング(当時はこう呼んだが今はタンクトップ)やTシャツを着るのは透けて見えてダサイし、出来るかぎり薄着でいたほうが健康を保てると教わった。言われてみればアラン・ドロンやジャンポール・ベルモント(既に誰だか知らない世代のほうが多いのが寂しい)はワイシャツを直に着ていたっけ。更に子供の頃おなかの弱い私はいつも腹巻きをしていたが、ある時若い内科医からも、それはかえっておなかを弱くすると言われ、腹巻きをしない生活にしてから健康になった事を思い出した。考えてみれ人間も最初は裸で生活していたわけである。だとすればTシャツ一枚でも軟弱な生活なのかもしれない。もちろん無理して薄着で生活する必要などまったくないが、老化の証と言われても、無理のない程度に今後も薄着を心掛けたいと改めて感じてしまった。 |
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2001/10/26
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| 0642 ●義那道夫は本当にセミ人間か? |
| 買うと大騒ぎしていた【DVD版ウルトラQ】のうち、第4巻をゲットした。【第13話/ガラダマ、第14話/東京氷河期、第15話/カネゴンの繭、第16話/ガラモンの逆襲】である。ある意味で珠玉の一巻と言える内容だ。個人的には当時の日本の街並みが見てみたかったのだが、兎に角一気に見入ってしまった。特に【第16話/ガラモンの逆襲】は期待通りの内容で感激さえ味わった。あの義那道夫(読み方が分からない)演じるセミ人間は歴史的な当たり役である。以後の東映などの映画に登場する宇宙人イメージの原型とも言われている。解説によると、当初は丸山(美輪)明宏をキャスティングに考えていたらしい。なるほど。更にウルトラQは驚くべき事に35年前という状況を考えても当時の一般的なTVドラマの3倍ほどの予算をかけていたのだから唖然とする。更に、第一回放映時には全28作品(本放送では『あけてくれ』を除く27話しか放映されていない)が完成していたそうだ。さて<話を義那道夫氏に戻すが、彼についてはどこを探しても情報が無い。にも関わらずネット上では様々なマニアサイトで情報を求める発言が後を絶たない。少ない情報だけを整理すると、TVドラマ【第16話/ガラモンの逆襲】への出演は後にも先にもこれだけだったようだ。以後の情報はほとんど無い。そもそも読み方が分からないのである。素直に読めば『よしなみちお』となるが人名ほどいじわるなものはないので何とも言えない。このまま永遠の謎となってしまうのもまた面白いかも知れない。ところで余談だが、このDVDには『当時は今と社会情勢が異なっおり、不適切な差別用語などがあるが資料性を重視し、そのまま製品化していることわご理解いただきたい』といったようなコメントが記載されている。たった35年前の同じ日本でもこれだけ価値観が違うのである。あと15年すれば当時から50年経過したことになる。はたして日本はどうなっているのだろうか・・・。 |
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2001/10/27
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| 0643 ●DM大量発生の謎 |
| 通常は1日に10通くらい届く海外からの怪しいDMメールが、9月の終わりあたりから大量に届くようになった。ほとんどかドメイン取得関係と投資関係である。当然ながら私のドメイン宛に届くモノはほとんど無い。届くのは最初に取得したアドレス宛へである。最初の頃は律儀に全てを呼んでいたが、最近は流石に瞬時に判別できるようになった。ただし、流石に名指しで届くと焦るのは確かだ。ところで、当然ながら国内からのDMも海外からの数ほどでないにしても1日数通届く。しかし、そのほとんどが@niftyのアドレス宛なのが不思議でしかたがない。私はインターネットを使うようになったころ、やりとりが面倒なので@niftyのアドレスはあまり公言していなかった。にも関わらず、国内DMのほとんどは@nifty宛にしか届かないような状況である。個人データが流失しているのだろうか? そんなデマ?が一時裏で飛び交っていた。どちらにしても流石に現在の@niftyはインターネットプロバイダーとしての認知度は高まっているほどインターネットにシフトしている。でも、どうしたわけか私のEudraでは常時送受信不能になる。なにより@niftyのアドレスから発信しようとすると確実にエラーとなってしまう。いや、確実というのは嘘だ。50回に一度ぐらいはまともに送信出来るからだ。今となってはDMか、時々届くシスオペ宛の苦情メールぐらいなので特に不自由はしていないが、なんとなく嫌な気分だ。どうして@niftyからしかDMが届かないのだろうか・・・と。 |
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2001/10/28
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| 0644 ●ふざけたMLが横行する不条理 |
| 以前にもコラムネタにした問題だが、最近またまた【定期的に届くふざけたMLニュース】に憤慨している。私の理解している範囲ではふつうMLニュースというのは参加、不参加を管理者に断ることなく処理出来るお気軽さがあったのに、最近は【受信拒否の場合はご一報下さい】というものが多い。しかも、そんなMLに限って管理者が、受信拒否を申し出た者を裏で公開していたりするのである。こんな事を知ってしまったら益々脱会しにくくなってしまう。私は所謂著名人ではないが、数年前にあるところで【再トラブルは避けたいので匿名とする】事実無根の中傷デマを流されてえらく困惑したことがあった。こちらの意図とは無縁に【受信拒否】というスタンスを取ろうものなら、何が待ちかまえているか考えるだけで怖くなる。かくして、参加表明もしていないのに突然届き始める読みたくもない手前味噌な内容のMLは届くと同時に【ぽり袋】フォルダーに自動格納し、1週間単位に、あるいは気が付いた時にトラッシュしてしまうので、内容はまったく読んでいない。だから、その発信人からのメールも自動的に【ぽり袋】に入ってしまうので、万が一MLニュースとは無関係な個人宛のメールが届いていたとしても、それは絶対に読まれることは無いのである。これの方が悲しいことだと思うのだが、当の本人はまったく事の重大性に気が付いていない(私にとってはどうでもいいことだが、少しは武士の情けは感じている)ようだ。私のこのくだらないコラムだってMLニュースで発送したら【これ以上悪質な嫌からせは無い】という世界になるはずだ。インターネットは参加、不参加が自由に、しかもお気軽に出来る点にあると思うのだが、それって既に古い考えなのだろうか。 |
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2001/10/29
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| 0645 ●ATOKが関西弁に対応 |
| 次期バージョンのATOK15が関西弁変換に対応するそうだ。個人的には興味はないが、グローバルな意味で私はこの新機能を歓迎する。そもそも標準語は公用語としての意味は大きいが、それぞれの地域で生きている方言をわざわざ死滅させる必要はないと思う。例えば全国ネットのニュースなら標準語での放送も納得出来るが、ローカルニュースに切り替われば、アナウンサーもその地方の方言で話せば面白いのではないたろうか。文化としての方言を意図的に死滅させる必要はないのである。学生の頃、地方から来た同級生に、それぞの地方での方言について質問した時の解答がいまだに忘れられない。なぜなら、当時ですら既に若い世代にとって地方特有の特殊な方言を話せない者がいたからだ。かつては地方の言葉を話すことが恥ずかしいという次期は確かにあった。所謂『田舎者の踏み絵』のようなものだったからだ。地方出身であることを隠して生活していた方が一世代前は普通であったことが、今振り返ってみると異常さえ覚えるな。確かに、裏面でそんなアブノーマルな世界が作り出していた標準語の浸透により、様々な分野で我が国は飛躍的な成長を遂げてきたのも確かだ。でも、実はそれはそれぞれの地方にある独自の文化が下地になっていたのはずである。古くは藩制度に由来しているのは特に説明の必要は無いだろう。だから今こそ地方文化を見直してもいいのではないだろうか。かつて日本を見直すと言う旧国鉄(既にJRになっていたかの記憶は定かではない)のキャンペーン(Discover Japan)が流行ったことがあった。我が国の大きな歴史のうねりの中で見ると、明治維新直後から行われた東洋文化蔑視によって全てが西側を向いてから100年余り経過した軌道修正なんて言ったら大袈裟だろうか。どちらにしても言葉は全ての文化の核であることは確かだと思う。ちょっと大袈裟だろうか。 |
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2001/10/30
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| 0646 ●当世宅配便事情 |
| 米国の炭疽菌テロ騒動の影響で我が国でも郵便物の扱いが神経質になって来る更に宅配便もこの影響で長距離間の荷物については先方着に1日程度のズレが発生しているらしい。こういった状況下ではヒツコイぐらいのチェックは利用者も率先して協力すべきだろう。しかし既に米国内でも騒ぎに便乗した悪質な愉快犯が後を絶たないようだ。我が国でも既に愉快犯らしき反抗が続いている。思うにこの手の愉快犯は検挙されても罪が軽いから後を絶たないのではないだろうか。この手の犯罪はもっとも悪質なのであると私は感じている。さて、宅配便と言えば、昨今は営業的に伸び悩んでいるらしい。バイク便は尚更のようだ。不景気の影響で利用する場合の安易さが消えてしまったからだそうだ。翌日届けばよいような書類関係は営業が直接持参するなど経費節減に各社力が入っているとか。かつての私は郵便物が信用できないので全て宅配便を利用(請求書や納品書は除く)していたが、メールによる発送がブロードバンドの台頭により今まで以上に安易になったので、宅配便の頻度は激減してしまった。私の宅配便乱利用のピークは2年前だったが、昨年はその40%、今年は落ち込んだ昨年の50%にまで冷え込んでしまった。なにより最近は請求書や納品書もPDFでOKの時代となっている。そう言えば来年度?(だいぶ記憶が曖昧な情報である)から各種行政書類がPDFなどのオンライン書類でも受理可能になるとか。それはすばらしい環境だが、それで無く方も出てくるのだろうと考えると、いつかは私もなにかの影響で泣く羽目になるのではと、少々寒くなってしまった。文字通り、今の世の中は一寸先は闇なのだから。 |
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2001/10/31
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