| 0708 ●元日に年賀状は何年ぶりか? |
| 年末の風邪でフラフラとなってしまい<念賀状の発送は断念し、取りあえず年明けの状況を見てという事にして開けた元日、まだ本調子ではないが、けだるく上の部屋の仕事場に向かう元気もない(そんなに大きな家じゃないので馬鹿みたいな話だが)ので、印刷してあった年賀状の箱が玄関に放置したままだったので、それを取り、届いた年賀状を読みながら1日がかりで年賀状を書き上げた。書き上げたと言っても宛名をということだ。でも、ほぼ10年ふりぐらいに宛を手書きした関係か、100名を越えるあたりでとうとう手が引きつってしまった。いやはや情けない話だ。兎に角何回かの休憩をはさんで300名分の宛名を書き上げたのが午後10時頃であった。その後そばにあったiBookでコラムを執筆し、毎日フォトイメージングを行って直ぐに寝てしまった。不幸中の幸いであったのは、仕事部屋のMacintoshの電源がはいっていたので、そこからコンテンツ類をAirMacで拾ってくることが出来たことだろう。便利になってしまうとフットワークがだんだん鈍くなってしまう。そう言えば少なくとも元日に届いた年賀状中、連年お騒がせの誰からのものかさっぱり分からないと言うものは1通だけであった。しかし・・・大晦日から元日の夜半までTVを見ていないので年が明けたという実感がほとんど無い。仮に実感を感じても私の生活には大きな違いはないのだが、正月と言えば、子供の頃、薄暗い寒くて大きな祖父母の家や誰が誰だか分からない親戚の叔父叔母への挨拶に翻弄され、気がついたら始業式であったという思い出が強烈に私の中に焼き付いている。あれだけいた親戚はどうしてしまったのだろうと何となく思い出す2002年の静かな元日であった。 |
|
2002/01/01
|
| 0709 ●小豆の品種改良はいつから? |
| おせち料理は、関東風雑煮、栗金団、黒豆だけあれば他は何もいらない私だ。もちろん最低限譲歩出来る物という意味でだ。だが、本当におせち料理は食べなくなった。買えばフルコースも簡単に手に入るのだが、もうそんな時代じゃないのかもしない。もちろん伝統的行事としての正月はあったほうがいいと思っている。でも、なんだか昔のゆったりした時間の流れの中で連日連夜親戚の人達と酒宴を行っていた時とは違っているのも確かだ。そんなわけで元日の朝たげのおせち料理のあとは(少なくなった親類縁者廻りも今年は諸般の事情で全て取りやめのため)平素の食生活にさっさと戻っている私は、突然お汁粉が食べたくなった。もっとも私の言うお汁粉は世間で言う善哉に限りなく近いものだ。思い立ったら直ぐに実行とばかりにキッチンに入り小豆の袋を一度煮立たせて煮汁を捨ててから弱火でぐつぐつ10分ほど煮て、あとは余熱でほとんど完成というわけだが、思えば昔はこんなに簡単にはできなかった。まず小豆は1日ほど水に漬け込まないとダメたった。これを知らずに失敗してしまったことが何度もあったからだ。いったいいつ頃からこんなに水になじみやすく漬け置きしていなくても良い小豆になったのだろう。ほとんど無洗米のような世界だ。あと10年もしたら、もっと便利な状態になるのだろうと考えると、なんだか楽しくなってしまう。もちろんそれは危ない遺伝子組み合えや化学薬品漬けの産物ということが無いという条件の話だ。相変わらずワガママな私である。 |
|
2002/01/02
|
| 0710 ●久しぶりのオリジナルフォント |
| 年末は、執筆が中断していた著書の続きに負われる地獄の日々で、バダバタとしていたが、そんな中でちょっとした事からフォントを作成することになったるフォントと言ってもIllustratorでデータを作成するだけである。しかも作成する必要があったのは6文字だ。ところが、年明けの風邪気味のけだるい状況下で予備のiBookにてコラム作成や毎日作成しているフォトイメージングを行っていて、ふと、その時のフォントを思い出し、使わなかった文字を一気に追加作成してしまった。もっとも、もともと作成していた文字が出来るだけシンプルなエレメントという条件であったので、追加作成した文字も短時間に完成してしまった。しかも、バリエーションまで作り上げてしまった。こうなると、Fontographerなどでフォント化したくなってしまう。そうしたら公開だろうか。でも、思ったほどインタネット利用者のモラルは宜しくないので、安易にフリーウェア宣言してしまうことは墓穴を掘ってしまいそうで怖い。もうちょっと、気軽に小学の金銭を授受出来るシステムが確立出来るといいのだが。そう言えば大昔作成したフォントは何処に行ってしまったのだろう。実は本格的な本文利用に耐えられる欧文フォントを数種類作成したいたのだが、オリジナルが見つからないまま数年経過してしまった。当時はフロッピーディスクにバクアップしていたので、早く探さないとデータそのものも危なくなってくる。ただ・・・見つけてみたら、酷いデザインだったりしたら笑えない。だから見つからないのかもしないと逆の発想をするようになってしまった。 |
|
2002/01/03
|
| 0711 ●年末年始のウイルス騒ぎ? |
| 各種の情報によると、この年末年始にかけて特に目立ったウィルス騒ぎは報告されていないそうだ。しかし、既存のウィルスはそれなりに猛威をふるっていたようだ。デザインやイラストといった私のいる業界とは無縁の世界で仕事をしている友人の何人かがOutLook関係のウィルスで見事に沈没させられたそうだ。そう言えば、私も年末年始にかけてニフティー経由で相当数のウィルス感染した自動送信ファイルを受け取っている。発信人が感染し、本意とは無縁に勝手に登録されているアドレスにメールを発送されてしまったのだからお気の毒と言うほか無い。いや、この事実を私も実際にはよく理解できていなかったのである。たまたま友人数人とプライベートな情報交換しているMLがあり、そこにこの手の事情に詳しい方がいたので質問して事の真相が理解できたというわけである。私はたまたまMacintoshを使っていたから感染しなかったというだけの話だ。以前からこの手の話は何ともコラムに書いているが、私は本当にこの手の悪戯に激怒している。これは悪戯かもしれないが、れっきとしたテロ行為であり重犯罪である。既にいくつかのサイトでは『ウィルス削除サービス』のようなものを始めているところもある。はやく、普通の人が安心して通信を利用出来る状況を構築しないと後でとんでもない事になってしまうのではないだろうか。ウィルス作成者には第一級の厳罰が妥当であろう。でなければ愉快犯の側面も兼ね備えているこの手の犯罪は後を絶たないだろう。 |
|
2002/01/04
|
| 0712 ●年を重ねるごとに鈍る日付の感覚 |
| 18歳の時、小学6年生の思い出は遥か遠い昔のことだと思っていた。36歳の時、遠い昔の18歳の頃を少しだけ懐かしんだ。でも、18歳の時に懐かしんだ小学6年生の思い出は、36歳の時に懐かしんだ18歳の頃の思い出より遥かに遠い昔の事だと感じていたし、今も時々そんな風に錯覚を起こす。でも、よく考えてみれば、36−18=18であり、18−12=6でしかない。つまり、18歳の時に懐かしんだ小学6年生の思い出は、思い出とも呼べないほど数年前の話でしかなかったのである。にも関わらずなにか凄く昔のような気になるのは何故なのだろう。もしかしたら、急激に大人になった頃の1年は人生の中でもっとも激動の時代であり、通常の10倍近い体験をしているがごとくの感覚により、1年を10年のごとく感じさせてしまっているのかも知れない。実際私にとって15〜20ぐらいまでは本当に激動の時であった。それは世の中が激動の時代であったという意味ではない。私の人生を大きく変えるような出会いや巡り合わせ、事件が連日のように発生した頃だったのである。それらのどれ1つが欠けていても、多分今の私は存在していなかっただろう。だからと言うわけではないが、デザインを学んでいた頃を今思い出すと、ほんの5〜6年前のような錯覚に陥るのは、それだけこの間に大した刺激もなくダラダラと過ごしてきてしまったという証かもしれない。 |
|
2002/01/05
|
| 0713 ●今年の大河ドラマ |
| 大河ドラマは欠かさずチェックしているが、昨年の北条時宗は流石に苦しい内容であった。死んでいるはずなのに縦横無尽に活躍する兄時輔や、時代的に共存していたのが少々怪しい謝国明は狂言回しとして目くじらを立てる必要はないかもしれないが、全ての登場人物が煮え切らない終わり方や消え方をしているのがつまらなかった。題材的には、やはり以前コラムで触れたように元寇という事件以外は、特に物語りとしての面白みに欠ける時代であったのは確かだからだ。だからこそ、現在人の目で当時の行為を否定するような描写は止めて欲しかったが、それを私がとやかく言う筋合いではない。そして今年は私の得意分野である安土桃山時代の話に戻った。しかも、前田利家が主役というのがいい。あの時代を駆け抜けた主役達全てと関わっているナンバー2だからだ。キャスティングもユニークで的を得たものとなっていると私は思う。唯一気になるのはホームドラマ仕立てという下りだが、よもや・・・またまた戦を批判する奥方達の登場だろうか。だとしたら願い下げだ。当時の価値観を今の価値観で演じては面白くないと私は思う。いや、面白いとか面白くないとかの話ではなく、誤解を発生させてしまうという意味だ。歴史には正義も悪も無く、また真実も無い。あるのは勝者の視点と敗者の視点が永遠に交わることのない平行線であるという現実だ。もちろん誰の視点で見た場合の歴史という意味での真実はたった一つであろう。そういった意味で、今まであまり取り上げられなかった武将が主人公となる作品には期待している。 |
|
2002/01/06
|
| 0714 ●幽霊街が元に戻る |
| 年末年始は帰省する人が本当に多いのを毎年痛感する。なにせ、3日には富士山が直ぐ近くでギンギンンに見えたからだ。こんなことは正月ぐらいである。余談だが、高くを新幹線と横須賀線が列んで走る場所を陸橋から見ることが出来る場所が数カ所あるのだかん゛、ここから走り寄ってくる車両に対して手を振ると、車掌は、かなりの確立で警笛を鳴らして手を振りかえしてくれる。もちろん新幹線もだ。当然ながら、警笛をならすような場所ではない。時々この遊びをいい年してこっそりするのだが、こんな些細なことが本当に楽しくなってしまう私は少々変だろうか。さて、話を戻すと、年末年始の帰省により、街は廃墟か幽霊街のように静まりかえってしまう。当然車もほとんど走っていない。こんな街で数日過ごしていると、まるで過疎の町に移り住んでしまったような錯覚になる。そして、それが精神的に限界にさしかかった頃、元の状態に戻るのである。もちろん人ごみの嫌いな私にとって人が少ないほうがいいに決まっているが、街並みに人がいないというのはやはり不気味だ。山の中に住んでいるから人も少ないというのとは違う。しかも、たまにコンビニなどで見かける人はほとんど何を言っているか分からない言葉を携帯電話に怒鳴りつけている外国人ばかりだ。本当にココは日本なのだろうか。いやねちっともオバーな話じゃなくて、本当にそんな正月だったのである・・・。 |
|
2002/01/07
|
| 0715 ●新型iMacの衝撃 |
| 様々な意味で期待を大きく裏切ってくれるAppleのリリースした新型iMacを私は手放しで支持する。そもそもコンピュータを箱に収めたのが誰かは知らないが、無味乾燥としたこの筐体がどんなにデコレーションされても箱は箱でしかない。Cubeや今回のiMacのような斬新なデザインこそが、極論ではあるが新の意味でデザインと呼べるのではないだろうか。いや、箱型のコンピュータを毛嫌いしているわけではない。むしろ無機質な機械の塊のような箱型コンピュータが意外と好きだったりする。でも、それは徹底した無機質という意味だ。妙に意味のないデコレーションやカラーリングをほどこし、それが価格に反映してしまうのはナンセンスであると感じている。者にはこれ以上譲れないという究極の形状というものがあるはずだ。コンピュータにとってそれは何だろうか。ズバリモニターとキーボードに他ならない。だからこそ本体は自由な設計が可能なはずと昔から考えていたが、Jobs氏(私はJobs氏の熱狂的なファンというわけではない)が戻ったAppleがそれを実行してくれたことに興奮さえ覚える。もしかすると近い将来、箱形コンピュータを消してしまうのはAppleが最初かもしれないと思い始めた。 |
|
2002/01/08
|
| 0716 ●生まれて初めての祐天寺 |
| 8日、ちょっとした宴会があった。と言っても新年会ではない。まっ、その怪しい宴会の話は置いておいて、場所が問題であった。なんと東急東横線の祐天寺なのである。思えば渋谷から田園調布までは死ぬほど往復していたにも関わらず、祐天寺だけは下車して改札を出たことが無かった事を思い出した。どうしてなんだろう。『案外近くの街でもこんな風に出かけていない場所をというものが誰にでもあるのではないだろうか?』という話は以前したが、まだまだ気づかずにいる場所が沢山ありそうだ。『なんとか〜バスの旅』みたいな番組があるが、思い切って路線バスでこれを実行してみるのもアイデアの打ち出の小槌となるのではないだろうか。まっ、大騒ぎするほど祐天寺界隈を闊歩したわけではないので大きな顔は出来ないが、今風に言えばデジカメをもってフラリフラリと路線バス、あるいは私鉄沿線の旅は案外楽しいイベントになるかもしれない。そんな事を考えながらの帰り道、当然バスは無くなっていることに気が付いた。こうなったらタクシーしかないが、思い切って歩いてみることにした。東急田園調布駅からである。バスなら15分ぐらいの道のりだ。恐らく小一時間ぐらいだろうと予想していたが、なんと45分で家までたどり着いてしまった。こうなったら自宅から瀬田の交差点(某氏のアジト)まで徒歩で何分か試したくなってしまった。 |
|
2002/01/09
|
| 0717 ●今更ながら予防接種 |
| 7日にインフルエンザの予防接種を近くの総合病院で受けてきた。一応予約制だが、ほとんど希望通りの時間を選ぶことが出来た。しかし、もしかしたら予防接種なんていうのは高校生依頼かもしれない。さて、実際に無いかの窓口にカルテを出して待つこと数分。呼び出されたので指定した場所に入ると、そこに待っていたのは医師ではなくて70を軽くクリアし、ほぼ確実に80もクリアできそうという年期が入り過ぎて逆に怖い看護婦さんにいきなり右腕にプスッ!と一発食らってしまった。しかも・・・注射をしながら看護婦さんの言ったセリフが怖かった。『あんた若いから2週間後にきなさい。もう一回注射するから!』・・・なるほど・・・こうして3150円(税込み)を2段階で徴収(都合6300円)する仕組みなのだ。なにせ調べたところ2度したほうがいという医者は最近は少ないのである。だいいち不景気だし、と思ったが病院の商売?だったのを思い出した。まっ、昔の町医者のように過剰に薬を出すようなところは減ったが・・・。ところで若いって何を基準に言うのだろう。かの看護婆さまにやさしく言われても、ちっとも嬉しくない私であった。もっとも私が対応した看護婆さまはここでは優しい婆さまであり、とんでもなく意地悪でがさつな看護婆さまに当たらなかったのは、新年早々縁起が良かったのか悪かったのかということは忘れることにした。おっと、3月から看護士で統一されるのを忘れていた。 |
|
2002/01/10
|
| 0718 ●ゴミ屋敷が忽然と消える |
| 近所というわけでもないが、車で3分ほどのところに流行のゴミ屋敷があった。正確には昨年のクリスマスまでは確かにあったのだ。ところが年明けの3日にその前を車で通過して唖然としてしまった。なんとゴミが撤去されているのである。しかもそこは民家ではなくてアパートなのだから謎は深まる。住民はゴミ集めしていた人だけだったのだろうか。彼は地域では有名で、夏場はほぼ確実に短パン一つでゴミ漁りをしていた。不思議なことに冬場に私は目撃したことがない。しかし、敷地内に放置されたゴミも所有者の私物という観点から今までどうしようもなかったのが行政の実情である。困った問題である。ただし大田区では全国でもいちはやくこの問題を法整備していたが、やはりイタチゴッコなのだろうか。で、彼を見ていてはじめの頃は、ゴミ集めて何が面白いんだろうと蔑視していたが、よく考えてみれば収集するという行為は何もゴミばかりではないわけで、例えば音楽CDや書籍からタレントグッズ、あるいは定番の切手まで、大抵の人は何らかのコレクションを持っているはずだ。でも、そのコレクションは同じ趣味の仲間以外にはゴミにしか見えないんじゃないだろうか。だとするとゴミ収集家?の人を 一概に蔑視することは出来ない。もちろん隣接した家でそれをやせれたら誰だって逆上してしまう。でも、集めるっていうことは大なり小なり他人から見たら阿呆な世界なんだろうと考え込んでしまった。貴方の趣味は?ならいいが、そのうち、貴方の阿呆な収集物は?という聞き方が一般化したら怖い。 |
|
2002/01/11
|
| 0719 ●MACLIFE逝く |
| 10日、エクシードプレスの業務停止に伴いMAC LIFEが現在店頭に並んでいる2002年1月号をもって廃刊となってしまうらしい。いささかショックを隠しきれない私である。MACLIFEは創刊号(創刊準備号も所有していたように記憶している)から愛読していた数少ない雑誌の一つである。そして、私が記憶している限りにおいて、初めてMACLIFEの原稿を執筆したが今から10年前の1992年6月号(通巻46号)のフォントの記事であった。グラフィック関係の記事は、ずうっと後になって1998年の7月号(通巻119号)からだが、本家BNNとしては、最初の著書である『Adobe Illustrator 5.0 A to Z』で大変お世話になっている。そして、結果的に最終号となってしまった2002年1月号(通巻161号)ではIllustratorの特集記事を執筆していた。実は当初この執筆依頼を私は諸般の事情でお断りしたが、根ばり強く口説かれて力を入れて頑張った事を思い出した。そして気が付けば6ページの依頼原稿を3倍近く書き上げてしまい、結果として土壇場で特集ページが12ページとなってしまった。なんだか最後の最後にご迷惑をかけてしまったようで心苦しい。しかし、MACLIFEという老舗の雑誌が消えてしまうと言うことが悪い方向に走らないことを祈りたい。そして、出来ればBNNとMACLIFEは何らかの形で蘇生することを祈りつつ今夜は昔のMACLIFEを読みあさることにした。ありがとう・・・MACLIFE。そして残念です・・・MACLIFE。 |
|
2002/01/12
|
| 0720 ●明るい未来だったはず |
| そうだ。今は21世紀なのである。子供の頃に読んだ手塚治虫の世界が実現されるだろうと本気で思っていたのはいつ頃までだろう。いや、そんなに加速度的にSF世界が現実化しなくてもいいのだが、何か様子が変だと最近気が付きだした。不況の影、外国人犯罪の激増、理解を超えたテロ事件、不審船、狂牛病、無差別殺人、幼児虐待・・・21世紀になってから、明るい話がほとんどない。平穏におとなしく人生を全うしたいとどんなに望んでも、生まれた国の国際的な立場、宗教、隣国との関係・・・それらが本人の意思とは無関係にその地域の運命を翻弄している。だとすると人間は生まれながらにして平等ではないことになってしまう。どんな国のどんな地域で、どんな親の元に生まれたかで全てが決定されてしまうと言っても過言ではない。だとすると、やはり運命は決まっているのだろうか。なんだか少しばかりナーバスになってしまった。私は当然戦後生まれだ。もっとも日本が安全で平和な時代に産声を上げて育ってきた。だから当然危険という認識が甘いし、今までの生活がごく普通の事だと勝手に体が解釈している。これってもしかしたら一番怖い話なのかも知れない。なぜなら世界ではいまだにいつ命を落としてもおかしくない状況下で生活をしている人の方が多いからだ。それに比べたら我々は極楽かもしれない。極楽では極楽で色々と苦労は耐えないのだが・・・。 |
|
2002/01/13
|
| 0721 ●通報される |
| 定期的に出かけるところに駐車場がなく難儀していたが、数年前から隣接する家主が自宅の前の道への駐車許可を与えてくれた。その旨を記載した用紙を常備し、必要で有れば駐車した車の中に提示しておけば特にトラブルは無かった。思えばこの時調べておくべきだったが、今となっては後の祭りである。で、今月11日、弟とここで待ち合わせをし、弟はここに車を駐車し私の車で6時間ほど都内を所用で周り出戻ってみると、弟の車に駐車違反のワッパがかかっていたのである。ようするに通報されたのである。怒り狂った弟は警察署に掛け合ったが、掛け合ってどうにかなるものではない。で、警察からは通報によりという説明をうけたそうだ。そして、我々は今の今までここが私道だとばかり思っていたのである。ところが、ここはなんと公道だったのである。そんな馬鹿な?と思ったが、どうやら途中から公道になったらしい。公道なら駐車禁止の標識がなくても道幅が3.5メートルだか確保出来ないと完全にアウトだ。結局罰金を支払って弟は退散したが、もうあそこには車を止めることが出来なくなってしまった。車で出かけるほうが悪いのは分かっている。でも、例えば後継者を抱える過程などでは自家用車でないと困る用もあるのだが、車を想定した設計とはなっていない都内の古い街並みではトラブルが後を絶たない。 |
|
2002/01/14
|
| 0722 ●成人式は命がけ? |
| 昨年の大騒動の記憶も消えつつあるが、今年も成人式は随所で馬鹿騒ぎがあったようだ。特に沖縄での事件は不愉快きわまりない。ルールを守れない者は立ち去るべきである。今更説明するまでもなく、お互いに様々なルールを守って生活しているのが大人社会なのだ。昨年も触れたが、気に入らなければ参加しなければいいのである。でも、これは暴走族が人気のない山道で暴走しないのと同じ心理かも知れない。しかし、相変わらず電車やバス、挙げ句の果てには病院の中でも携帯電話を使いまくっている馬鹿者、いや失礼若者が後を絶たない。でも、よく考えてみるといい年をした大人も相当悪い奴が多すぎるのが影響しているのかもしれない。言っている事とやっている事が違う大人なんて腐るほどいるし・・・いちいち毛嫌いしていたら生きていけないのも大人社会。でもついつい毛嫌いしてしまう私の癖はなかなか直らない。まっ、信用出来ない輩には近づかない事が一番だ。だからこそ、こんなズルい大人になる直前の新成人にはせめて理想的な青年でいてほしいと思うのは私だけだろうか。それってやっぱり甘いだろうか。でもそんな理想を甘いと感じるようになったら人生終わりじゃないだろうか。少なくとも私はそんな気持ちだけはまだ捨てていない。確かに八方美人が大人の始まりなのは理解出来るが、私には生涯そんな真似は出来ない。 |
|
2002/01/15
|
| 0723 ●佳境は通過かこれからか? |
| 昨年10月末に執筆が完了しているはずであったフォトイメージング本の執筆が遅れに送れて、今頃になってほぼ完了した。この企画は、実は別の出版社からの依頼で2年ほど前に特定の素材メーカーとタイアップした形で出版されるはずであったが、諸般の事情で途中で企画が消滅してしまい。50ページとほど執筆していた原稿が無駄となってしまった焼き直しである。ただし、この2年の間に当時執筆していた12点ほどの画像と解説は別の雑誌やムックなどの原稿にリメイクして使ってしまったため、新たに作り直したので、当時の作品として今回の本に載るのは1作品だけとなってしまった。さて、そんな経緯から発展した企画だが、解説用の画像は9月の段階でぼ完成ていた。しかしバタバタと雑用が重なり、気が付けば年末となっていた。その為、風邪でダウンしていたにもかかわらず年末年始は腱鞘炎一歩手前状態でテキスト作成に明け暮れた。そして気が付けば解説用の作品40点ほどに対し、利用した素材は7社216点で、文字原稿の文字数は12万字を突破し、キャプチャー画像も1500点を超えてしまった。もうほんんど嫌がらせ(もちろんそれを意図したものではなく、結果として先方にご迷惑を・・・という意味)状態である。幸い、昨年の秋からKacisを原稿執筆用に愛用していた事で混乱も無く、わりと冷静に執筆に没頭できたように感じている。しかし、この執筆分量がいったいどのくらいの分量になっているのか理解することすら出来ない。もし先方の予定していた半分だったらどうしよう・・・。既にパワーは使い切っているに等しい・・・が・・・。 |
|
2002/01/16
|
| 0724 ●氷河期に入ったコンピュータ業界? |
| コンピュータの売り上げが低迷している。だが、相変わらずユニークなマシンは次々にリリースされるし、興味を示す人は当然多いが、購買には繋がらない。先行き不透明な不景気状態では仕方ないだろう。そして行き着く結論は、今ある環境で事が足りてしまうなら無理して買い換える必要はないというネガティブ思考である。それに伴い、ソフトウェアのアップデートも鈍ってしまうのは当然だろう。最新バージヨンは、可能な限り最新マシンでの快適な動作を保証している。つまり旧型で最新バージョンのソフトを使うと、ストレスが溜まる場合が多くなってきた。だから、マシンを買い換えない結果としてソフトも現状維持という結論になってしまうのである。そうなると、最新版ソフトウェアに対応した各種参考書の売り上げが落ちる。雑誌もしたりだろう。ずるずると崖が崩れるような状況というべきかもしれない。確かに最新マシンと最新版ソフトでの環境は効率もよく楽しいとさえ感じることの方が多いはずだ。いったいいつになったら元に戻るのだろうかと少し心配になってきたりする。コンピュータ至上主義みたいな一過性の風潮が単に冷めただけならいいのだが、当分氷河期から抜け出せないのかも知れない。そんな状況であっても、もしソフトウェアの最新バージョンが特に目新しい機能を搭載していなくても旧バージョンより速かったら、多分申込みが殺到するのではないだろうか。過剰機能よりはフットワークだと思う人は多いはずだ。 |
|
2002/01/17
|
| 0725 ●白昼の夢遊散歩 |
| 今年に入ってから大がかりな外出をしたのは、たったの2日である。あとは近所を散歩する程度という・・・ほとんどコタツ猫状態である。ちなみに我が家にはコタツは無い。しかし私は部屋に閉じこもっているという事が精神的に出来ない性分なので、このコタツ猫招待は相当堪える。だから近所にある4階建ての小さいデパートもどきに毎日のように通っていたりする。ここには本屋もあるし、家電もあるしなんてもあるから楽しくて仕方がない。いや、狂ったように買い物をするのではなく、ただ商品を眺めて歩き回るだけなのだ、もう完全に怪しい人状態である。流石に化粧品と下着売り場にはいったことが無いが、あとは定期的にフラフラといつものコースを散歩するように巡回して家に戻る。要するに商品のパッケージや店頭POPを眺めに行くのである。これが意外と面白い。特に新製品を発見したときは尚更だ。また、例えば食料品売り場では、ほとんどの人が表示価格に目をつり上げながら動き回っているので、当然下しか見ていない。でも面白いものは目線より上だったりする。だが、よく考えてみたら目立つことを目的としているPOPをほとんどの人が見ていないことになる。これって思いっきり経費の無駄なような気がするが、私がお金を出すわけではないので黙っていることにする。しかし、やっばり物も人も食料品売り場が圧倒的に面白い。 |
|
2002/01/18
|
| 0726 ●季節のない部屋 |
| 今回の年末年始の話は何度かしたが、本当にもう年が明けて3週間目に入ろうとしている。いや、もうすぐ2月と言ったほうがいいかもしれない。普通、いくらなんでも日本に住んでいる限り、世間の年末年始の動きに少なからず影響されるはずである。かりにそれを閉じこもった自宅で過ごしてもである。ところが今回は本当にけだるい初仕事を感じることもなかった。つまり12月が終わって1月が過ぎてといった感じである。まるで6月が終わって7月が過ぎてぐらの感じである。まさか年とったからっと事ではないと思うが、こんな感覚は生まれて初めてである。やはり、それなりに繰り返されてきた習慣を変更するのは違和感があるのかもしれない。いや、今年は意図的にそうしたのではなく、そうしなくてはならなかっただけなのだが・・・。やはり自然の流れに逆らうような動きは不健康なのだろう。でも、よく考えてみると自然の摂理を無視した空調などで快適な生活をエンジョイできるばかりか、技術革新で、いつでもどこでもどんなな食材も手に入る現代人にとって、とりわけ、それしか知らない世代の人にとって・・・季節というものはいったい何を意味しているのだろうか。なにか真剣に考え始めると怖いと思うのは私だけかもしれない。 |
|
2002/01/19
|
| 0727 ●ワガママと好き嫌い |
| 食べ物の好き嫌いは理屈ではない。私は何度もコラムに書いているように生の魚が食べられない。だから寿司と刺身は御法度である。ただし、甲殻類(烏賊、蛸、海老、貝など)は刺身も寿司も大丈夫である。あとは特に嫌いな物は無い。いや、極端な話、ホルモン系の内臓肉の料理系はダメである。まっ、これらは普通の料理ではないので特に食べなくても困ることはない。というわけで、普通の食生活を行っているかぎり私のたべられない食材は甲殻類を除いた刺身と寿司ということ(レアな肉系もダメ)になる。余談だが、そもそも私は基本的に生魚を除いた和食中心なので、あまりコッテリしたものを食さない。野菜はなんでもOKだし、逆に無いと困る。話を戻すと、ところが、不思議な物で、例えば鶏肉は大好きだが親子丼の鶏肉は食べたくない。これは、たべることが出来ないのではないて、食べる気がしないほどまずいと思うのである。この手の自分でも分けの分からない好き嫌いの分岐は他には思いつかない。いや思い出せないだけかもしれないが、兎に角そんなに多いわけではない。知り合いに、卵料理は好きなのにプリントや茶碗蒸しは絶対にダメという人がいる。トマトは好きだけどトマトジュースはダメという人と同じである。他人の食の嗜好はやっぱり理解できない。あっ、そうだ、私はケチャップ飯がダメだった。小学校の時の給食の劣悪なケチャップ飯の影響であるが、自分でもワガママな奴だと思う。 |
|
2002/01/20
|
| 0728 ●タクシーの街だと知る |
| 20日、所用で朝6時頃に車を利用し、7時頃に戻ってきて仰天した。こんな時間にこの付近を見ることがなかったのが要因だが、近所の裏通りが完全にタクシーの駐車場になっているのである。しかも半端な数ではない。当然、一方通行とは言え、道幅は半部にとなり、ちょっとばかりウザイ状況になっている。そうなのである。この道にはなんと2社のタクシー会社が存在しているのである。しかも1社はちょっと大きい。普段は飛び回っているタクシーも、こんな時間だとまとまった台数が戻ってくるのだろうが、ちょっとばかり壮観と言うか圧巻状態である。まっ、この驚きは例えば、数人なら微笑ましい女学生の塊が、数十人だとちょっと怖いのに似ている。ところで、タクシーの運転手というのは、いくら制服を着ているとは言え、どうして皆さん似ているのだろと感じてしまう。もちろん瓜二つという意味ではないのだが・・・でも・・・まるでクローンのように似ている。そう言えばトラックのドライバーも独特のイメージがある。やはり、それぞれの仕事による一種不可思議な類似性が染みこんでしまうのだろうか。まっ。それはちょっとばかり偏見かもしれない。ところで自分の街の全ての時間帯の状況を理解している、あるいは知っている人はどのくらいいるのだろう。以前、夜になると外国人が増え、朝になると皆無になる街の話をTVで見たが、案外そんな唖然とするような状況が我々の寝ている間に展開しているのかも知れない。気が付いたら日本人は誰もいなくなっていたりして・・・。 |
|
2002/01/21
|
| 0729 ●常識など世間には通じない |
| 20日の昼ごろ、気分転換に洗足池まで散歩に出かけた。そして時間帯もあってコンピニで弁当を買って洗足池公園で昼食をとっていたら、突然横に座りに来たおばさんが鳩に餌をやり出したからたまらない。当然雨のように鳩が集中してきて私の神経を逆鱗させるのに十二分の状況となった。しかし、流石に注意しようと思ったが(公園内で鳩、カラスへ餌を与えることは禁止されている)、今一歩というところで以前逆上したおばさんに物を投げられたことを思い出した。常識など通じない人に常識的な話をたとえ優しく説いても理解されない。結局弁当を持ったままベンチを移動したか、これって以前話した猫に餌を与えるおばさんと同じである。自分の家の前にいる野良猫に餌を与えるならまだ理解も出来るが、自転車で遠くから来てわざわざ余所の街の野良猫に餌をあげる神経が理解できない。あれと同じことをやっているのである。鳩は平和のシンボルだが野生の鳩はとんてもない病原菌の塊でもある。異常発生すれば公園に遊びに来ている幼児にも悪影響が出る。なにより鳩に混じったカラスが既に幾度となく障害事件を起こしているのである。まったく困った問題だ。一見動物愛護という綺麗事で括られてしまいそうな問題だが、論点がズレているのは誰の目にも明らかだろう。取りあえずカラスに襲われて怪我をしないように注意するのが今の私には精一杯である。 |
|
2002/01/22
|
| 0730 ●チョロQに乗りたい |
| なんと、あのチョロQに乗れるようになってしまうのだ。もう笑いが止まらないるもちろんポジティブで愉快な笑いだ。夢を売るのがオモチャメーカーの使命だが、とかく子供の夢を壊すことに余念のない大人の自虐的教育にウンザリしてしまったのか、我が国の子供は未来に希望も何ももっていないことが統計で出てしまった。次の世代を担う子供たちから夢が消えてしまったとき、その国は滅亡へ真っ逆さまだろう。悪い意味で日本人の『すみません』文化が悪い方向に作用しまった結果かもしれない。正常な状態に戻すらに最低でも100年はかかるかもしれない。さて、100年先を見ることの出来ない私にとっては今が大切だ。そんな今、暗いスタートとなった21世紀に輝くほどではないにしろ、このチョロQそのままの電気自動車【Q-CAR】のリリースには興奮してしまった。そしてこんなものを商品化してしまったタカラの夢に対する企業努力には脱帽だ。恐らくリリース予定の9月になっても、予約で数ヶ月先にならないと手に入らないかも知れない。価格は数年前のコンピュータぐらすの価格である。車庫証明も車検もいないそうだ。普通免許さえ有れば一般道を走れるのである。あ〜なんだか久しぶりにに物欲が燃え始めてしまった。やっぱり人間は夢を追い続けないと生きていけない。 |
|
2002/01/23
|
| 0731 ●当たって欲しくない予想の半分が当たってしまった |
| 雪印食品が、こともあろうに輸入牛肉を国産牛肉と偽装していたことが発覚した。もう開いた口が塞がらないというより、ここまで馬鹿な企業だとは思わなかった。実は、あまりに怖いネタなので沈黙していたが、狂牛病騒ぎが起こった時点で、安全と言われているオーストラリア産牛肉と偽って国産牛を販売しているところが出るのではないかという疑念が私の中に生まれていた。今回は期せずして、その逆のパターであったが、本当に表示を信用してよいのだろうか。ここまでくると真面目に働いている雪印関係の方には申し訳ないが、もう何も信用出来ない。シールまで貼って偽装していたのであるから、悪質を通り越している。一度失った信用を取り戻すのは容易なことではない。この深刻な不景気の中で起こった今回の失態は雪印自身の首をしめるのにたいして時間はかからないのではないだろうか。なんと愚かで馬鹿げた事件なのだろう。あまりに稚拙で安易な行為に開いた口が塞がらないを通り越して、哀れささえ感じてしまう。そして何より、更に牛肉への疑念を高める風潮になってしまった責任は計りしれない。そして、食肉牛で生計を立てている方々の多くがもっとも深刻な被害者であることを消費者は既に忘れている。いったい何時になったら私の大好きな『すきやき』が食べられるのだろうか。既に4ケ月ほど口にしていない。いや口に出来ないというのが偽らざる心境だ。 |
|
2002/01/24
|
| 0732 ●明るいニュースを探す虚しさ |
| 本当に今年も色々と馬鹿げたニュースが目白押しだ。というより既に今年の重大ニュースを網羅してしまったのではないかと思えるほど、事件や事故が本当に多い。継ぎ足しビールに嘘つき議員、偽造シールに詰め替え牛肉、チャンネル争いで放火、院内感染にストーカー殺人、偽札に覚醒剤・・・なんだかニュースを見るのが怖くなってきた。臭い物に蓋という意味ではなく、自発的に不快な気分になりたくないという意味だ。なにせ明るいニュースはほとんどない。かつて暗いからニュースになるんだと嘯いた人がいたが、私はその発想が嫌いだ。小説や映画の話ではないが、もしかしたら本当に何かが少しずつ狂い始めているのかもしれない。子供は大人を見て育つのはどこの国も同じだ。しかし今の日本の子供は大人を恥じメッカら馬鹿にしているような風潮がある。威厳のない大人や軽薄な大人、嘘つきでハレンチな大人ばかりだからかもしれない。いや、そんな人しか居ないような状況に見えてしまうのがいけないのだが、残念なことにそういった大人が実は少数であるということを自信を持って断言する事が私には出来ない。 しかし、正直な気持ち、悪い奴の比率は昔も今もそんなに違っていないように私は思う。いや信じたい。昔と今で違っているのは報道機関が発達し、情報が氾濫しているから目立ってしまうだけではないかと。ただ、我慢しなくなってしまった人が多いのは否定できない。 |
|
2002/01/25
|
| 0733 ●パンク風のジーパン |
| 愛用のジーンズの膝のあたりが一文字に破けてしまった。老朽化が原因である。さすがにここは原宿ではないので、捨ててしまうことにしたが、それでも20歳ぐらいの時にはわざと継ぎ接ぎのジーンズを自分で作成したりしていたのを思い出して笑い転げてしまった。いや、別にこのまま愛用していてもいいのだが、やはり抵抗が出てきているのは年をとった証拠なのだろうか。そう言えばジーパンはいつもまとめて数本同じものをまとめ買いしている。だいたい3〜4年で処分してしまうパターンだがね同一ブランドでもこの3〜4後に買うと何故か微妙にサイズや形状が変わっている。その時代の若い世代の体型に調整しているのだろうか。どちらにしてもこの25年ほどはサイズ変更は無い。で、今まではこれを良しとしていたが、どうやら男性は少し小太りぐらいの方が長寿なのだそうだ。でもねこのこぶ足り体型を維持するというのはもしかしたら凄く難しい事かもしれない。一歩間違えると大変なことになってしまう。なにより全ての衣服を買い換えなくては成らない。出来ればもう10年、いや20年は今の体型を維持したいものと、妙に力が入ってしまった。こんな事を考える私はちょっとオマヌケかもしれない。 |
|
2002/01/26
|
| 0734 ●Illustrator-Xが翌日届く |
| MACLIFEが無くなってしまった事とはまったく関係ないとは思うが、今まで一度も執筆したことの無かった出版社からいきなり連載の依頼が舞い込んできた。Illustrator-Xのである。個人的には溺死寸前状態でもない限りPhotoshopとIllustratorの執筆依頼は断らない(それ以外の原稿内容も含めて、今まで依頼を受けた中で、スケジュールの関係でどうしようもなくお断りしたのは2回だけである。)事にしているので、即答したのはいいが・・・げっ、Illustrator-Xが無い・・・ということで速攻でアドビストアに申込みをしたら、なんと翌日届いてしまった。いくら午前中の申込みでもちょっとびっくりしてしまった。実はリリース時期を勘違いして忘れていたのは私である。ということで早速インストールを行うが、噂通りに小塚明朝とともに小塚ゴシックが6書体バンドルされていたのを発見した。もしMacOSXを購入し、Illustrator-Xを購入、あるいはアップデートすればOTFフォントが18書体使えるようになる。確かに似たような書体ではあるが、ウエイトが段階的に揃っているのは重宝する。そして、バージョン9のスプラッシュ画面が好きではなかった私は取りあえず和んでしまいました。バージョン10のスプラッシュ画面は良くなっている。さて、肝心の動作状況だが、個人差があるので断言は難しいが、複雑な処理や大がかりなデータを作成する場合はG3/466Mhzマシンだと少々苦しい。しかし、だいたい同じクロック数のG4/500Mhzになると突然フットワークが軽くなる。やはりVelocity Engineの恩恵は絶大なのかもしれない。ところで、Macintosh(G4以外)だと重いIllustrator-XもWindows98をインストールした使用環境最低限のPentium2/400Mhzといった既に過去のマシンでも、予想外にサクサク動いてしまうのは何なのだろう。ちょっと拍子抜けしてしまった。 |
|
2002/01/27
|
| 0735 ●インディアナ・ジョーンズ第4弾 |
| スティーブン・スピルバーグ監督が、絶好調のトム・クルーズ主演で日本軍の捕虜収容所を舞台にした戦争アクション『ゴースト・ソルジャーズ』を製作するらしい。太陽の帝国やシンドラーのリスト等、過去のスティーブン・スピルバーグ監督の作品を見るかぎり日本軍が出来る映画でも歪曲した描画は無いだろう。そう言う意味では興味ある作品なのは確かだが、同時に流れた情報として、個人的には、13年ぶりにハリソン・フォード主演で『インディ・ジョーン(正しくはインディアナ・ジョーンズ)』の第4弾を製作することに凄い興奮を隠しきれない。確かにハリソン・フォードは、少しばかり老け込んでしまったが、考古学者の役なので、ある意味では年齢はそれなりの話を設定すればOKだろう。ストレートに解釈すると第二次世界大戦後という設定だろうが(13年前のハリソン・フォードと今の年齢差から見て)、だとすると場所はどのありだろうか。ただ、私としては早く前作と若き日のインディアナ・ジョーンズシリーズの完全DVD化を待っていたりする。故淀川長治さんも仰っていたが、良くも悪くも活動大写真という映画が最近は少なくなってちょっと寂しい。難しいことを考えずに大活劇を楽しませて欲しいものだ。今年はスターウォーズのエピソード2も控えている。公開記念として旧3部作のDVD化が実現するといいのだが・・・。あっ、その前に黒沢明の白黒作品のDVD化を待っている。これは借金してでも欲しい。用心棒のラストシーンで権爺(東野英治郎)に桑畑三十郎(三船敏郎)が言う『親爺、あばよ!』は何度見ても格好いい。 |
|
2002/01/28
|
| 0736 ●モラル等もともと皆無 |
| 農水省職員が思わず漏らした『モラルはあるんですかね、あの会社』が全てを物語っている前代未聞の不祥事だ。新鮮さが売り物であるはずの食品会社にも拘わらず、会社自体がラベルを偽装するほど腐っていたら、我々はもう何も信じられない。しかも10年も前から続けていたらしい。『口先ばかりの下らない謝罪など目にするだけでも汚らわしい』という意見をあるBBSで読んだ。口に入れる物だからこそ、大きな、有名な立派な看板を信じて買っていた人にとっては裏切りと感じるのは無理もない。しかし、この雪印食品の事件は、もはや事件の度合いを通り越し、凶悪な犯罪ではないだろうか。疑わしき食材のラベルを改竄して出荷してしまったのだから。万が一感染してしまい、10年後ぐらいに病状が発生した場合はどうなるのだろう。恐らく雪印食品がラベルわ改竄した牛肉を食べたという証拠を示すことは困難であろう。なにより、証拠を示して勝訴したとして何になるのだろう。失ってしまった健康と時間は取り戻せない。とにかく、この馬鹿げた犯罪で、生産者側は致命的なダメージを受けてしまうのではないだろうか。かつて雪印は酪農家が集まって作った会社と聞く。であれば、牛乳・肉・卵・・・いや、食料を生産するのにどれほどの手間と時間とコストがかかるのかは充分に理解出来ているはずだ。営利目的だけの会社だったのだろう。かつてUSAのあるメーカーの方の講演の中で触れられていた『我が社は商品を売るのではなく、信頼を売りづけていきたい。』という言葉を思い出した。こういった発想があの会社には無かったわけだ。まったく自己中心的で馬鹿げた愚かな犯罪である。兎に角商品ラベルが信じられなくなってしまった今、我々はどうしたらいいのだろう、聞けばECでは薬漬けの中国野菜などが大問題となっているそうだ、ECが騒いだから我が国も騒ぐべきだというのは変な発想だが、でも異常に綺麗な色彩と妙な匂いのする野菜はスーパーでよく見る。もちろん出来る限り食べないように注意をはらっている。にも関わらず、どうして大騒ぎにならないのだろう。人の噂もなんとかで、あの米国同時多発テロの衝撃も既に消え失せている人の方が多いのではないだろうか。でもって責任も取らずに辞任する人・・・タレント議員も似たような事していたが、止めるのが一番簡単な逃げ道だって言うことは子供でも知っている。知らないのは簡単に止めちゃう人だけなのかもしれない。ある意味で哀れな話だ。で、さきほど豚肉の偽装の疑いも出てきたらしい。『ハム・ソ−セージ、ジャム』への早急な調査を唱える声が大きくなっている。もう私の理解を超えてしまった事件だ。 |
|
2002/01/29
|
| 0737 ●個人的な青山あたりの変貌 |
| 29日、打ち合わせで久しぶりに青山へ出かけた。車を止めて待ち合わせ場所まで数分徒歩したが、久しぶりの青山で、ほとんどお上りさん状態となってしまった。車で見る近辺の景色も、暫く来なかったからか、少し勝手が違っていてびっくりしてしまった。時間があれば原宿あたりまでフラフラしたかったが、それは叶わなかった。思えばここら近辺は20年以上前から幾度と無く通っている場所である。とこが、それらの場所は、隣接していないので、部分的な街並みを数年観察しては別の場所という具合で20年たってしまっているので、青山界隈全体を20年間じっくり観察してきたわけではない。むしろ段便器手に変なイメージが残っているので、それらを組み合わせるとなんとも言葉で表現出来ない複雑怪奇な街並みが私の頭の中に交差している。それはそうだ、東京の一等地の全容を20年間も把握していないのに妙なところは把握していたりするから、そのギャップは尋常ではない。しかも更に私の場合に厄介な問題は、車で出かけるようになってから見る街の見方がそれまでの交通機関を利用して出かけていた時とまったく違っている点である。つまり私の中には10箇所ほどの濃い街並みの変化と、2人の視点(車を運転するようになる前と後)が混在してしまっているからだ。いやいや、子供の頃、なにか買い物したい時は必ずバスにのって渋谷に出かけて、場合によっては青山あたりまで足を運んだことを思い出すと、ますますワケの分からないイメージが付加されている事に気が付いた。人間の記憶な実にいい加減だということは今更私がとやかく言うことではないが、やはり本当にいい加減だと痛感した。と同時に20年という月日が本当に瞬間的な時間であることを・・・。 |
|
2002/01/30
|
| 0738 ●久しぶりのカタログデザイン |
| 久しぶりにカタログのデザインを行った。もしかしたら3年ぶりぐらいかもしれない。いや、もちろんわりと頻繁にこなしてはいるのだが、全てを一人でというのは3年ぶりぐらいである。例によってIllustratorで作成するテクラカルイラストに懲りすぎて徹夜をしてしまったのは定番処理である。もちろん懲りすぎてというのには微妙なニュアンスが含まれる。実はこの仕事はりめいくなのである。1つは英語版の翻訳、もうひとつはデザイン変更というわけだ。当然懲りすぎてしまったと言ったテクニカルイラストも、元画像がある。ただし、本当に矩形の組み合わせだけでシンプルに作成されており、パースも狂っているので気になって仕方なかった。つまりこの部分は無視して元画像を無修正で利用してもギャラには無関係であったのだが、私としては気になってしまい、レタッチのつもりが、ついつい気合いが入りすぎてしてしまったというわけである。で、まったく関係ない話になってしまうが、Illustrator 9での巨大化するPDFの書き出しは、Illustrator 10で直っていた。もっとも、まるとごとInDesignに読み込んでから再度PDFを作成すると驚くほど小さくなるのは前と変わらない謎。だけど少し改善しているのでちょっとラッキーな気分。これでInDesign 2.0が届けばいいのだが、どうやら出荷はもうちょっと先のようだ。 |
|
2002/01/31
|
|
|