海津ヨシノリの気まぐれコラム/2002年04月分(0798〜0827)


0798 ●春はカルチャーセンターがいいかも
気が付けば4月になっていた。当たり前の話しだが、曜日の感覚が薄いので、なんとなく数日たってから月が分かっていたことに気が付くこともあるが、4月1日はいきなりやってきた。なにせ、いきなりサイトがリニューアルしていた行きつけの所が本当に多かった。中にはよせばいいのに突然重くなってしまったところもある。情報はスピードが命。コテコテのデザインのためにプレビューが遅くなるのは愚の骨頂だ。兎に角、一瞬間違って入ってしまったと思えるほどとんでもなく大幅にリニューアルしてしまったところがある。これってもしかして逆効果といことはないのだろうか。まっ、それでもリニューアル出来るところは凄いと思う。もちろん私が話しているのはメーカーのサイトの事だから当たり前と言えば当たり前なのたが・・・ふと、私の所もそろそろ本格的な変更をと思っているが、暇な時は別のことで忙しく、忙しい時は本当に忙しいというのが世の常だ。要するに、暇でも忙しくても気合いがあれば出来上がってしまうのではないかと私は感じている。つまり、今は気合いが入らないというわけだ。これって何が要因しているのか自分では分からない。やっぱり春は出来るだけボーとしていたいのが私流である。もちろんそんな事が許されたのは学生の時ぐらいだろう。ということは今からでも何かカルチャーセンターのようなところに生徒として入学してもいいかもしれない。個人的には前にも書いたが洋菓子料理なんかがいい。うまくいったらトラバーユってことは無いが、やはり何かを作り上げるという行為はソレが何でアレ楽しい一時であることには違いない。
2002/04/01

0799 ●鉄腕アトム誕生まであと1年
NHKで鉄腕アトムが盛り上がっている。4月7日にはリクエストによる10作品一挙公開という企画が迫っている。その関係で3月31日、再放送として全作品のダイジェストが深夜に放送されていた。すかさずエアチェックして1日に鑑賞したが、フイルムが消滅してしまった作品もあったが、私自身の記憶にない作品が数点あった。TV版の多くは原作にないオリジナルである。しかも、それらは後年ハリウッド映画になっている(パクられたとしか思えない設定)ような作品が多かった。あえてハリウッドのどんな作品に似ているとは書かないが、米国でも放映(アトスロボーイとして)されていたことを考えると、限りなく黒に近いグレーであろう。ドンピシャでなければ逃げ切れるといった感じ(疑ってしまうのは失礼な事だとは充分に理解している)かもしれない。まっ、それはさておき、内容が本当に斬新でびっくりする。今では当たり前の事や道具が当時は未来のモノとして描かれている。同時進行で私は当時小学生であったが、あの当時世の中に存在していなかったモノで、手塚治虫氏が描いた未来の道具類で、今存在しているモノは実に多い。やはり彼は天才であったのだろう。最終回のシーンが最後に放映された時、思わず涙腺が止まらなかった当時の自分を思いだしてしまった。果たしてアトムは誕生するのだろうか。アトム誕生(2003年生まれ)まであと1年である。
2002/04/02

0800 ●放熱地獄のはじまり〜
例年よりも異常な開花宣言にはじまり、とうとう初夏になってしまったかの今日この頃である。一般的に薄着で心地よい気候と言ったところだが、仕事中の私にとってはすでに初夏を通り越して真夏一歩手前状態である。つまり、マシンの放熱が不快感になってきているのである。イライラは不健康の元なので気分転換を色々画策する毎日である。流石にあまり気分転換のことばかりしていると仕事が手に付かなくなるので、ほどほどなのは言うまでもない。さてさて、問題の放熱だが、冬なら心地よい温風なのだが、流石に暖かくなると不快指数の塊のような熱風で気分も最悪になる。そう言えば、昨今は騒音対策など、少しずつユーザー寄りの設計を心掛けているマシンが出始めている。良い傾向だが、やはり、まだまだ1セットオンリーだけで使い倒すみたいな考えが主流だ。もちろん大多数の人はそういった使い方なのだが、プロユースとなると様々な周辺機器を繋げ、場合によっては複数のマシンを1人で使うという状況が一般的ではないだろうか。つまり、プロユースとして販売されているマシンも、実は本当の意味でプロユースを考慮していないのではないかと私は感じている。もちろんへそ曲がり的な発想だということは私も充分に理解しているが、やはり、もうすこしプロユーザー用のマシンなら、それなりの状況を予測してもいいように思う。例えばユニットごとにパーツが分離されていて、どのようにも積み重ねられるといったユニットマシンはどうだろう。近い発想はWindows系マシンにあるが、あくまでもケースに納めることを前提としているので、このアイデアには合致しない。例えばCDドライブが2台欲しい人はそのまま重ねることが出来るというユニットだ。結果としてユーザーごとに様々なユニットが形成できるのではないだろうか。Dellあたりが率先すれば世の中の流れが変わるような木がする。これが実現すればCPUユニットだけを交換するだけで誰にて背も簡単にハイスペックマシンに変更することが可能となる。
2002/04/03

0801 ●いぬたま
東急線二子玉川園駅に隣接している【いぬたま】というテーマパークがある。もっともさんなに大きな場所ではなく、都会の幼稚園の園庭ぐらいの場所で犬と遊べるという趣旨の場所である。いや、私はそう思っている。実際様々な犬を抱くことが出来る。諸般の事情で実際に犬を飼うことは出来ない犬を愛する人達の憩いの場所といっさたところだろうか。私は以前もコラムで触れたようにココの隠れファンである。実は隣接して【ねこたま】というものもあるが、ここでは基本的に猫と戯れるということが出来ないので、単に見るだけのため、私は1度しか入園していない。さて、犬との遊興はもう一歩間違えると奪い合いとなる。なにせ人間の方が多いのだが犬だってたまったもんではない。春日に毎日こなしている【お仕事?】だからか、それなりに上手に動き回っているが、休憩時間になると自信の小屋で爆眠しているのには『やっぱり疲れるよな〜』と同情してしまう。なんでも幼児との関わりが難しいらしいという話を係員の方が力説していた。それは、幼児特有の行動として『突然大きな声を発する』『突然抱き上げている犬を放す』ということに代表される気まぐれだそうだ。犬は人間以上に聴覚が発達しているので絶叫は人間で言えば目の前で大砲が炸裂するぐらいの影響があるのかもしれない。そうは言ってもこの触れあいコーナーのようなイベントには老犬は参加していない。老犬は鎖で繋がれて近くのベンチに座っていたりする。でも、本当の犬好きだったら彼らとの触れあいを望むのではないだろうか。時々気持ちをリフレッシュしたいときの私には欠かせないシークレットゾーンである。ただし、唯一の弊害のようなものがあるとすれば、それは帰り道の虚無感だろうか。今日(2日)も当たり前の話だが、やはり本物を飼うことの代用とはならないからだ。
2002/04/04

0802 ●パパと呼ばないで
独身の叔父である安武右京(石立鉄男)と、姪の橋本千春(杉田かおる)が人情あふれる下町の米屋井上家の人々に囲まれて繰り広げる、人生悲喜劇として1972年の10月にTBS系列で放映された『パパと呼ばないで』(なんと今頃知ったのだが、脚本の一人に向田邦子さんの名前が)が今、TV東京で早朝(月火水だけ?)に再放送(実は頻繁に再放送されていることを最近知った)されている。なんと30年前のドラマである。私はこれと、その2年後に放映された『水もれ甲介』が好きだった。当時30歳の石立鉄男は油が乗りきっていた時期かもしれない。彼を一躍有名にしたのは、『パパと呼ばないで』の2年前に大ブレイクした岡崎友紀との『おくさまは18歳』であったが、私はあまり好きではなかった。いや、そんな懐古的な話はどうでもいい。『パパと呼ばないで』で見ることが出来る30年前の東京の街並み、と生活状況に物価・・・そしてビジネスマンの実態というものが妙に笑いを誘う。公衆電話は10円(確かにそうなんだが、30年変わっていないことを改めて確認した驚き)だし、子供用の運動靴が700円しないとかる圧巻なのは仕事中に喫煙しいるビジネスマンだろうか。マージャンに興じる会社の同僚という絵に描いたような世界は今はほとんど死滅しているはずだ。そして、意外な人が良き役で競演しているのも面白い。当時28歳(今的に見るとどう見ても40歳ぐらいだが)のスリムな若き日の江守徹や、当時51歳の三崎千恵子(寅さん映画のおばちゃん役の女優さん)のまったく変わらない風貌も驚きだ。でも、見ているうちに30年の時の流れというものが案外たいしたこと無いという気になってくる。だって、舞台となった東京の下町界隈(東京都中央区佃1〜3丁目 月島・他)に行けば今も目にするような世界だからだ。いや、その界隈が時代から取り残されているというのではなく、最先端を追いかけることだけが必ずしも幸せではないという意味で・・・。
2002/04/05

0803 ●生まれて初めての釣り堀
5日、洗足池界隈を散歩していて、野球場ほどの大きさの釣り堀を発見した。実は私は釣り堀に入ったことがない。少々風が強かったのと早朝であったので、利用客は4名ほどであった。そして私はなんとなく初体験がしたくなり、フラフラと釣り堀に入ったのである。スタッフは全員高齢者で、どう考えても平均年齢は75歳以上といったところだろうか。前金3000円(1日利用だと3000円、時間利用だと1時間700円)を払い、道具を借りていざ決戦。ところが当然私は素人の塊、釣れるはずもなく2時間が経過したころトイレにいきたくなり、トイレを探すと、男性用はドアが無くむき出し。しかも、推薦ではなく、どう考えてもタンクに貯めている気配を感じない状況。とにかく用をたして、手洗い場(外の手洗い場)を聞き出し、手を洗ってハンカチで拭いながら『ふっ』と横を見ると、洗い流れた水が100%堀の中に消えていくのが目に入った。しかも石鹸水である。随分アバウトな場所だと驚嘆するも、周りの常連さんと『ここ』のスタッフは、『そんなの知らんでどうする?』ぐらいの状態である。気を取り直してから釣りを始めると、暫くして水面に鮒が腹を出して浮いてきた。これは病死?と思い、網ですくい上げようとしたら水面下に消えていった。もしかしたら水中は酸欠なのかもしれない。悪臭は無いが、ここは完全な溜め池である。地元にわりと詳しい人(でも釣りはしない人)の話しでは、少なくとも50年ぐらいは営業したいるそうだ。なんだかトワイライトゾーンに迷い込んでしまったような数時間だった。ところで私の祖父は無類の釣り好きで家族を悩ませていたそうだ。その結果か?私の父は釣りを嗜まなかったし、私も(私は祖父の釣りで困ったことは何一つ無いし、そもそも私が5歳ぐらいに他界しているのでほとんど記憶がない)そんなに好きではない。だが、私の弟(最近弟のほうが兄に勘違いされるようになった?)は隔世遺伝したようでつりが大好きで、驚くほど釣り竿を持っている。ただし、祖父は川釣り、弟は海釣りである。釣りが分かっていない私にとっては、どちらも違いはないのだが・・・。
2002/04/06

0804 ●携帯電話の急速充電
携帯電話でもっとも注意しなくてはならないのは電池である。しかし私はこれでよく失敗する。普段あまり使い込んでいないので充電を忘れてしまうのである。結果、大事な時に電話が出来ないという事で困った経験が一度だけあった。その後コンピニなどで急激に急速充電器や緊急通話用電池なるものが販売されるようになり、『まさかの時に』と色々買い込んだが、そんな風に用意周到にしている時に限ってそれらは一切必要ない状態となるのが世の常である。しかも、数年前までは携帯電話と言えば別売りの大容量のバッテリーを買いそろえるのが普通であったのに、予備電池など必要ないほどバッテリーの性能が向上した。これが私にとっては盲点だったようだ。使わないからスタンバイ時間が普通の人より当然長くなる。結果としてバッテリーが切れていても気が付かないことすらある。そして、とうとう事件は発生した。なんと車で移動中に偶然バッテリーが残りわずかという表示を見てしまったのである。見なければ、気が付かなければ特に慌てることもないのだが、見てしまったために妙に気になってしまい、路肩に車を止めて車中のにどこかにある緊急充電セットを探し回ったのである。そして数分後、助手席のシートの上には山盛り(流石に少々大袈裟だが、それでも10個以上はある)の未使用(だけど一部は放電により電池は使用不可?)の緊急充電セットがあった。あまりの馬鹿さ加減に笑いをこらえるのが必至の私であった。結局、記憶の中で一番新しい緊急充電セットを利用して気持ちを落ち着かせたが、よく考えたら私はとんでもない無駄をしていたのかもしれない。なにせ、専用の充電器を私は2つ持っているからだ。車中で専用の充電器を使うのは簡単だし、私のように頻繁に使うことのない者にとってはソレで充分だからだ。だけど、この緊急充電セット類って、悪い言い方をすると人間の弱い一面を心理的に鋭く突いた隠れヒット商品かもしれない・・・と。
2002/04/07

0805 ●教師批判はタブー?
『ある生徒を別の生徒に命じて殴らせた』『女子生徒に服従を誓わせるために着衣を脱がせた』など、相変わらず体育系のノリとでもいうハレンチを通り越した馬鹿教師の事件が後を絶たない。恐らく事件として報道されないケースのほうが圧倒的に多いのだろう。もう世の中はその程度では誰も驚かなっているというのが現実だ。しかし、思うにこういった事件の時に(自戒を込めて)体育系という言葉を使うが、全ての体育会系の関係者がそんな行動をしているわけではないはずだ。しかるに相変わらずこの『体育系』という言葉が使われていることは私の場合も当然そうなのだが、逆の意味で驚きを隠せない。私もかつて意味のないシゴキで体操部を去った話をしたが、勝つために手段を選ばず、そのためには不祥事も組織ぐるみで隠蔽するというのは、どこぞの国の政治家に似ているような気がする。しかも、従来は不正を暴く先頭に立っていた正義の政党(表向きは正義でも裏では過激派との親密な関係が取りざたされている疑惑は何故報道されない?)でさえ、実は同じような事を組織的にしていた疑惑が出てくる始末。根底から体育系のノリというものがシロアリのように浸透していただけだと考えれば、もう何が起こっても驚きもしない。話を戻すと、問題なのは、そういった事を『教師の教育に賭ける情熱の勇み足』と美談にすり替えるジャーナリズムの偏見と言ったらら不謹慎かつ非常識だろうか? 百歩譲っても、教職員に対する非難はやはりタブー化しているのが現実だろう。なにせ親御さんたちは子供達を人質にとられているようなものだからだ。また、マスコミこぞって私立学校への受験が低年齢化している事に対するコメントとして『親のエゴ』を上げているが、これがそもそも大いなる筋違いなのである。受験が低年齢化している背景には3年ごとの受験戦争からの回避と、無責任(そう言われても仕方がないほど公立学校は荒廃している)な教育の場に自分の子供を預けたくないと言う現れだということを・・・。もちろん私立が全て良い学校で、公立がまったくダメという話をしているわけではないが、極めて高い確率で両者は比較・差別されているのは確かだ。
2002/04/08

0806 ●クローン人間の妊娠
『クローン人間の妊娠』というショッキングな報道が世界を駆け抜けた。日本を含めた多くの国々で倫理上の問題からクローン人間を禁止している時期だけに波紋を広げそうだというのがメディアの論調だが、本当にそうだろうか。神を冒涜しているということは確かにうなずけるが、そうであれば、既になし崩しとなってしまった『試験管ベビー』や『代理出産』、『精子バンク』などはどう説明したらいいのだろう。個人的にはこれらの医療行為も含め、本来自然界では存在しない生命誕生の尊厳に関わる全ての医療行為が禁止されるべきであろう。しかし、それは不妊に悩む当事者にとっては死の宣告でもある。自分がその立場にたった時も同じ意見がいえるかと聞かれれば、私と手人間である。答えは『ノー』だ。しかし、一旦歯止めが利かなくなってしまったこれらの医療行為は恐らく世界的に禁止されたとしてもブラックマーケットのような世界が生まれるのは必至だろう。実際、臓器売買については色々とあるそうだ。ただ、クローン技術に関しては多くの方が誤解しているようだが、あくまでも生理的に同一の筐体が生成されるだけであり、意思は別である。つまり人格は別なのである。また、同一筐体として誕生しても、人間に限らず全ての動物は、誕生後に受ける様々な外的要因により外観の変化が思考や意識とともに変化し続ける。それが故にまったく同一の人間は生まれないのではないかと私は考えている。あくまでもスタート時点(生また瞬間)が同一というだけだ。もちろんそれは『クローン人間の妊娠』と言うことに限る話だ。ただし、成人のクローンが培養液?の中でいきなり出来上がるなんて事が可能だとすると、状況は少し変わってくるかも知れない。思うにこの問題は考えれば考えるほどわけがわからなくなるのも事実だ。ただ、例えば将来的に、事故や老化により発生する身体の部分的な欠如を補う、パーツの培養というショッキングなSF映画もどきの技術や産業は確実に台頭するのではないだろうか。現実的な想像をすれば、怪我や虫歯等で失った歯が手に入るといった小さい技術革新だとすれば世間は手放しで受け入れるはずだ。当然そんな技術が完成していれば、その後ろにもっと大胆なクローン技術が隠されているのは確実だろう。背の中は我々が想像しているよりも技術革新が人目の付かない場所で着実に進んでいるのである。それはハリウッドのSF映画そのものかもしれない・・・。
2002/04/09

0807 ●4月から突然地に落ちたお気に入りのサイト
私は仕事上で必要なある情報を定期的に収集するために、とあるサイト(個人サイトではなく、会社組織のサイト)を便利に使っていた。そこはとっても軽く使い勝手は気に入っていた。ところが4月から突然重くなった。様々な情報を網羅した結果であり、無料ということを考えれば文句は出ない。しかし、目的の情報を表示させることができない。どうしたら表示されるのか数日色々試行錯誤(もうこの時点でインターフェースにセンスが無いことが分かる)しているうちに、ユーザー登録しなくてはならないことを発見。ところが何度やっても何時チャレンジしても『只今再編混んでおり〜』が表示されて、あえなく玉砕。そうこうしているうちにやっと(継続してチャレンジしているわけではないので、2日後)繋がったと思うと、今度はユーザー番号を入力しても『只今再編混んでおり〜』が表示される服循環、そして、イライラの頂点にさしかかった頃、やっとユーザー番号による接続が成功するが、インターフェースが日本語ではない(要するにインターフェースが最低でイライラするばかりで何をどうしていいか理解不能。ヘルプがあるが重くて使い物にならない)今年に入って私は今まで以上に(相当カリカリしていた事を反省して)少しでもカリカリしそうになったり、イライラさせるような要素は自主的に排斥、あるいは無視、あるいは関わらないように生き方を変更してしまった。要するに自戒も込めて、インターネットのサイトは直感的に利用出来なければ、どんなに見た目が綺麗なデザインでも何の役にもたたないのではないかと痛感するサイトが最近多いように感じる。ワザと見せないという手法はあるかもしれない。でも情報提供サイトでされはないのではないだろうか。もちろん無料なので文句を言うのは筋違いなのかもしないが、もし、『有料会員になれば更に有益な情報が!』という流れであったとしても、無料サイトがどうしようもなかったら期待は出来ないと思う(解釈する)のが普通だと思うのだが。
2002/04/10

0808 ●みずほ銀行のATM障害
みずほ銀行のATM障害が深刻さを深めているようだ。私も、メインバンクではないが、必要に様られて作成した口座(自動引き落とし専用でほとんど使っていない)が、気が付けば、みずほ銀行になっていた。なにせATM障害で騒ぎとなってから自分が、みずほ銀行だったと知ったぐらいだから、ほとんど意味のない口座なのだが、それでもメインバンクとしている人にとっては深刻な問題だろう。いや、これは、みずほ銀行だけの問題ではないはずだ。ATMというコンピュータオンライン処理という、現代では無いと社会そのものの存在にすら影響の出るシステムに、落とし穴があったことが世間に認知された意義は大きいような気がする。いや、のんきな事を言っている場合ではない状態なのは確かだ。私には本当にどうでもよい(みずほさんには失礼だが、みずほの前身となった三行とはご縁が無かっただけである)メインバンクとされている方は毎日がイライラだろう。信用はがた落ちのようだ。思うに、冷静になって世の中を見てみると、何か共通している大きなうねりがあるように思う。それは『従来の価値観の崩壊』である。絵に描いたようなエリートや、正義のジャンヌダルクと謡われた政治家の失墜、乳製品最大手の失墜と翼下の会社の消滅、そして今回の銀行騒動、いや銀行はもうどうしようもないくらい腐ってしまっているのは確かだし、そのための再編である合併にはウンザリだ。でも、そんな庶民の声など何処にも届かない。そもそも国民を馬鹿に育てるための教育改革の内容を見るだけでも、空いた口が塞がらない。『ゆとり教育』とは生徒のためではなく教師のためという話を力説しているジャーナリストの話を読んだが、思わず膝をたたいてしまった私は少々不謹慎だろうか。自分の国が信じられないし、頼りにならないと国民が判断したら、いったいどうなるのだろうか。今はそのほうが心配である。
2002/04/11

0809 ●ターミネーター3
アーノルド・シュワルツェネッガーの当たり役であるターミネーターの続編である『ターミネーター3』が本当に撮影に入るらしい(知らないのは私だけ?)。それを知った私は前回でひとまず完結しているはずのストーリーはどうするんだと一瞬思った。そして『ターミネーター2』を再検証してみた。すると、1つだけ気になるシーンが写し出されていた。それは、T-1000により機械の歯車に巻き込まされてもぎ取られたターミネーターの左腕の存在である。ラストシーンでも、この左腕については一切触れられていない。残った左腕が新たなサイバーダイン社、あるいは同系列の会社により再調査され、新たなマイルス・ダイソンが生まれるというストーリーはどうだろう。つまり、未来は若干変わるが、結果は変わっていなかったというストーリーである。もちろん私のイージーな発想がそのまま期待通りになるとは思えないが、そんな問題はさて置き、ファンとしては、あのターミネーターにスクリーンで会えるとなると期待は大きく膨らむ。しかし、リンダ・ハミルトン(サラ・コナー役)は今回も出演するのだろうか。いや、登場するに決まっているが、そうだとすると、少々年齢的に苦しくないだろうか。いやストーリー的な時代の流れから見れば自然だが、どういった設定になるかが興味津々だ。前作から既に12年ほど経過している。アーノルド・シュワルツェネッガーはなんとかごまかせるとは思うが、少々気になるところだ。もしかしたら、ジョン・コナーの恋人が出現し、ストーリーのヒロインとして活躍し、サラ・コナーは脇役になるかも知れない。でも、こんなセコイ心配をするのは取り越し苦労かもしれない? いや、取り越し苦労であって欲しい・・・ファンなら・・・。
2002/04/12

0810 ●プルトップオープナー
くまのプーさんのプルトップオープナーを貰った。つまりね韓ジュースのリングプルをツメを痛めずに開ける補助道具である。一種の缶切り(切るわけではないが)みたいなものである。最初にこの道具を見たのがいつ頃だったか忘れてしまったが、当時の私の第一印象は、こんなもの何故必要なのか?であった。『こんなものはいらないよ〜』というどうでもいい商品だと信じていた。実際、私はここ2年ほど前ぐらいから出来る限りアルミ缶を口にしないように(体に外のある、自然界では摂取することのないアルミも近年は酸性雨に混じって河川に紛れ込み、そのまま水道水に含まれてしまうので、何もしなくても摂取してしまい、それが大量となり鉄分が不作すると結果的にアルツハイマー病になる確率がとんでもなく高くなるらしい・・・勿論メーカーは否定している)心掛けているので、結果的に自動販売機ではペットボトル系に走るようになった。もっとも最近はスチール缶のお茶にも目覚めており結果的にまったくリングプル缶を利用しないということはない(私はそれを無視しても昔から缶ビールが好きではない)だが、最近になってこのプルトップオープナーの必要性を認識しはじめている。つまり、小さい子供が手を痛めることを防止する、あるいは高齢者も同様だ。社会の中での弱者にとって、このプルトップオープナーはとんでもなく便利で重宝する道具であることを実際に見てしまったのである。まさしく【百聞は一見に如かず】である。あるいはマニキュアを塗った眺めのツメでは確実にツメを割ってしまう。そういった事は知らず知らずのうちに社会の様々なシーンで『これは何に使うのか?』という商品としてワサワサと市民権を得ているようだ。この、ある人にとっては『これは何に使うのか?』という商品も、別の人にとっては『とんでもなく重宝な代物』となっている事こそが多様化の現れではないだろうか。かつて男が宴会で酒は飲めませんなんて言おうものなら、酒乱寸前のオジサンたちの格好の餌食となってしまったが、今や下戸は市民権を得ている。ある意味で良い時代なのかも知れない。少数派の存在が認められているという事は・・・。
2002/04/13

0811 ●騒がない男というと差別だろうか
文部科学省の委嘱である財団が作成した『新子育て支援・未来を育てる基本のき』の中で『男らしい』『女らしさ』を押しつける子育てへの批判の例として『女の子にひな祭り、かわいい名前、お人形』、『男の子に鯉のぼり、強そうな名前、グローブ』が引き合いにだされている。どうやらノーチェックで出来上がってしまってから問題となったようだが、まったくもって馬鹿らしい世界だ。この財団の言い分は、『子供の性格など考えずに安易に「らしさ」を押しつけてはいけないという趣旨』と説明しているそうだが、このような陳腐な揚げ足取り的な行き過ぎの性差別は百害あって一利無しである。思うに、性差別の問題は今も現実にあり、完全に払拭しなくてはならない問題だと思う。しかし、それとこれとは話が違う。かつて『豊島園』は中高年の女性を連想する差別的用語である『年増』を連想するので、豊島区の名称も含めて改名すべきと大騒ぎした団体があったが、世間からは馬鹿にされた。差別を訴えている彼らの行動こそが差別をしていたに他ならない。そして当の彼ら達がソレにまったく気づいていないのである。古くは、『私作る人、私食べる人』というCMが放送禁止になった馬鹿な事件を思い出した。でもね〜、こんな話はどんなに理路整然と論理的に分かりやすく説明しても男がやっているだけで差別されてしまうのが現実。でもそれについてメディアなどで大声だして差別と騒ぐ男はいない。『何事も騒ぐほど嘘っぽい』と言い切った人がいたが、案外世の中さんなものではないだろうか。
2002/04/14

0812 ●利用されなかったクーポン券
部屋を少しだけ整理していたら、妙な箱が出てきた。かすかに見覚えのあるその箱を妙に期待して開けてみたら、大昔のソフトの登録書の控えだったり、パッケージに入っていたクーポン券の類の専用箱であった。当然、使わずに残っているクーポン券ではあるが、少々がっかりしてしまった。ただし、それらは15年ほど前のものなので使えるはずもない。既に倒産したり、業界から撤退してしまったメーカーのものが眼をひく。しかし、これらの紙くず(今となっては)を後生大事に保存していた私は、どうも貧乏性が抜けない。例えば、雑誌などに原稿を執筆したら、連載でもない通常の原稿に関して、見本誌は各社とも1冊と相場は決まっているが、もう1冊を書店で調達して保存ということをつい5年ほど前まで行っていたのは私である。しかし、流石に部屋のスペースが逼迫してくるとそんな流暢なことは言っていられなくなる。部屋が狭いことは本当に悲しい。以前、ロイアリティーフリー素材やソフトウェアのCDケースを不織布に変更して出来るかぎり破棄しているという話をしたが、次の標的は保存していた雑誌である。ただし、雑誌は数年ごとに、まるで何かに取り憑かれたように大量処分していたので、そろそろその時期ではというぐらいの気持ちしかない。それでも厳格な父に書物を粗末にしてはいけないとたたき込まれていた私は、何かひっかかるモノがあり、それら雑誌との別れが妙に辛くなる。私の中では【たかが雑誌、されど書籍(もどき)】なのである。欲しい本をアルバイトをして手に入れたクライ過去がなせる業なのかもしれない。ちょっと暗いな〜。
2002/04/15

0813 ●N商社のTさんのメールで思うこと
頻繁に世界的にも有名なN商事のT(T氏が有名かは私は知らない)氏から定期的にメールが届く。それは、ある時はスタジオジブリの入場券の大量発注であったり、謎の(だれだか分からないので)中国人への商談メール。時には英語で<時には怪しい日本語でである。最初に届いたメールは英文であったが、明らかに商談の問い合わせらしいので、気を使って間違って届いているというメールを発信したが、リアクションは無い。新手のウィルスメールだろうか。今のところこれといった被害はないが、この怪しいN商社のTさんからは今も時々変なメールが届く。そもそもねインターネットには不可解な事が多すぎる。一つずつ調べていけば答えは出るのだろうが、多くそんな時間はとれないのが現状だろう。宛先も発信元も改竄出来るのだからなんでも有りの世界なのだそうだ。ここでもっとも被害を最小限に抑える手段は、やはりアドレスを2つ持つことだろう。どうでもいいMLどはサブのアドレスで登録するといった切り替えの発想。発信元のアドレスが所謂フリーメールならリアクションをしない。そして、知らない人からのメールは新潮に対処するといった教科書的な対応しか私は思いつかないが、いったい何時になったらこんな馬鹿げた問題を気にせずに通信が行える世界になるのだろう。携帯電話の無差別メールと同様に、やはり罰則が無いに等しい事と、仮にあってもあまりにも軽い事だと感じている。米国のように複数の犯罪を犯したら、それぞれの刑を積み重ね、懲役500年という事も『アリ』がいいのではないだろうか。そして、情状酌量というルールは当然無しである。無期懲役ならしっかり無期懲役をまっとうしてもらうことだろう。そうでなければ10年ほどで出所してしまう今の法律って被害者をあまりにも蔑視しすぎているような気がする。
2002/04/16

0814 ●ヤクルトおばさんを助ける
16日、強風にもかかわらず散歩に飛び出た私が、いつもの折り返し地点を少し過ぎたあたりで突然突風が吹き荒れ、直ぐ横の路地にいたヤクルトおばさんが自転車事横転してしまった。反射的に声をかけながら直ぐに駆け寄って千葉の行商のおばちゃん(そう言えば最近見かけないが減少しているのだろうか)の2倍ほどもある荷物を元に戻す手伝いをしたが、想像以上に重量級の荷物だということを初めて知った。どう考えても一人では苦労しそうな状況に声をかけても断ってきたおばさんの対応は、現代の物騒な世相を反映しているのかもしれない。とにかく私は手伝うことにした。最後はおばさんも私を怪しい人物とは思わずにお礼を言ってくれたのは嬉しかった。でも、出来ればヤクルト1本ぐらい欲しかった(子供の頃、両親は虫歯になるという口実で、ヤクルトやカルピスはほとんど買ってもらえなかった私)けどという発想は実にセコイと反省。ところで、ヤクルトおばさん号の後方荷台の両脇にある袋には氷がぎっしり詰まっていることを知った。そりゃそうだ。真夏でも冷たいヤクルト類(実はヤクルト以外の製品群をあんまり知らない私である)を配っているわけだから。そして後方の荷台の上にのっている巨大なクーラーバッグは、20人大家族のキャンプ用食料が全て入ってしまうほどのサイズだ。というわけで、ヤクルトおばさんの荷物の事情を知ってしまった私は、時々見かける華奢(花車?)なヤクルトおばさんが同等の荷物を乗せて自転車を走らせているのに敬服してしまう。やっぱり、おじさんよりおばさんの方が力があるってことなのかもしれない。動物はすべからくオスよりメスの方が生命力は上だし、私はまだヤクルトおじさんを見たことがない。
2002/04/17

0815 ●エアコンが使えない
暖かくなるのはいいが、蒸し暑くなるのは辛い。というわけで、17日は突然の常夏状態(しかし、これだけ毎年異常気象が続くと人間って麻痺してしまうというか・・・特に作物などをきにしなくてもいい都会住まいだと完全に麻痺しちゃいますね)となってしまった東京である。6月、いや7月ぐらいの感じ(季節と月と気温の説明なんておよそ非論理的でいい加減なものだと自分でも思う)だ。なにせ1日中Tシャツで過ごしていた(こんなに蒸し暑いのにどうして外に出るとあんなに何枚も洋服を着込んでいる人がいるのだろう・・・しかも老人ではない・・・私の基礎代謝が異常なのだろうか?)し、3回も着替えている。で、こうなる仕事部屋はマシンの放熱で灼熱地獄となる(資料や本棚の関係で通気性が悪くなっていることも原因なのだが)。そこでエアコンの登場となるが、運の悪い(私って運に恵まれた事あっただろうか?と考えるのはよそう)ことに、こんな状況を予想していなかったので掃除をしていない。掃除をせずにそのまま駆動させたら、ばい菌を吸い込むようなものだし馬頭まりなんかも発生しちゃうかもしれない。ということで、エアコン洗浄スプレーの買い置きを出して、一気に(処理的には無10分ほどで済む)作業開始と意気込み、通気のために窓を開ければ突風の嵐。そう言えば数時間前に買い物に出た時、眼にゴミが入ったことを思い出した。なんという最悪の状況であろう。かくしてエアコンの洗浄は行えず、蒸し暑いサウナのような仕事部屋で、スライムのような虚脱感とうっとうしさからくる非効率の塊と化した私はドロドロと仕事をこなすのであった(もう日本語もメタメタ)。
2002/04/18

0816 ●シルヴィー・バルタンより、宮崎あおいがイイ
サントリー【緑水】のCMのイメージソングとして往年のアイドル、シルヴィー・バルタンの『あなたのとりこ』が流れているが、どうやらコレでリバイバルヒットに火がついたらしい。既に58歳となったシルヴィー・バルタンは今も現役だそうだ。ところで最近は彼女に代表されるように内外の往年のポップス系ミユージシャンの作品が随分と使われている。多分最近の曲は難解なメロディーと複雑なアレンジと発音不透明の歌手ばかりだから短時間にイメージアップを図るCMには不向きなモノが多いのかも知れない。余談だが、シルヴィー・バルタンの名前からあのバルタン星人が決定されたことは意外に知られていない。さてさて、話を戻すと、私にとってサントリー【緑水】のイメージソングが、シルヴィー・バルタン『あなたのとりこ』であることより、イメージキャラクターの『宮崎あおい』の好感度がビンビン響いてきた。なんとなく『イイ』という勘だったのだが、調べて見て仰天した。映画出演2作目でヒロインを演じた『EUREKA(ユリイカ)(01年、青山真治監督)』が、カンヌ国際映画祭で国際映画批評家連盟賞受賞と世界キリスト教賞のグランプリをダブル受賞、そして現在公開されている『害虫(02年、塩田明彦監督)』ではフランスの「ナント三大陸映画祭」で主演女優賞を受賞(作品としても審査員特別賞を受賞)している。なるほど、まだまだ私の勘は狂っていなかった。やはりセンスのある俳優さんは瞬間伝わってくるものがあるような気がする。そう言えば彼女にそっくりな中学生を私は知っている。2年ほど前に一度しか話したことはないが、何度か会う機会がある少し変わった関係だ。でも、やっぱりよく似ている。年齢と髪型が違うだけで同一人物ではないかと思えるほど似ている。もしかしたら私の思い過ごしなのかもしれない。じっくり会う機会があれば勘違いだと気が付くのかも知れないが・・・。ところで宮崎あおいさんの主演作品に興味を持ち始めた。どうも、派手な宣伝に釣られて見に行った日本映画に当たりが少なかった(ほとんど壊滅)ためか、日本映画というだけで一種の色眼鏡で見てしまうのはやっはりまずいのかもしれないが・・・でも・・・。
2002/04/19

0817 ●シュガーレスガムにはまる
最近シュガーレスガムに填っている。正確にはキシリトールガムの類だ。こんな話しを切り出すと、『海津さんもとうとう口が寂しいのでタバコ復活の兆候が』とか言われそうだが、ガムを毎日(1日数回)食べるようになったのは最近の事だ。ガムを食べることで現代人が失ってしまった咀嚼の代替え作用、唾液の分泌を促進させることで成人病予防や、アルツハイマー予防、虫歯予防、しいては花粉症対策、ストレス発散などメリットの宝庫であることが最近学説として整理されてきているらしい。ただし、ノンシュガーであることが条件だ。キシリトール入りであっても100%でなければ意味はないそうだ。目安としては赤い四角形の中に傘を差した歯のマーク(日本トゥースフレンドリー協会の「歯に信頼」マークの意味)が付いている製品に限ると言いきってよい。中には数千年前からギリシャ・ヒオス島にしかない(本当かは不明)マスティックの樹液を使ったガムは通常の3倍も高いが、キシリトールと同等の作用があるばかりか、ピロリ菌に対しても有効であることが医学誌ニューイングランド・ジャーナルオブメディスンに研究論文が掲載され注目が高まっているらしい。流石にとんでもなく高いガムだが、一度ぐらいは味わってみたいものだ。ところで、もともとガムは咀嚼や唾液分泌による効果という点ではスルメと同等の嗜好品であることが知られているが、意外なことにむスルメ味のガムは無い。いや正確には2つのメーカーが過去に試みているが見事に惨敗している。どうしてなんだろう。やっぱり”キモイ”だろうか? それではコンブ味なんかどうだろう。案外面白いしれない。スルメ昆布もあるくらいだから・・・。所謂先進国の中でガムをお菓子と位置づけているのは日本だけっていうのは本当だろうか?というよりどうでもいい話(そもそキシリトール100%だからって、虫歯を完全に予防できるわけではない)かもしれなんいが、少なくとも、何事も過度の効果を期待してはならないのは確かかもしれない。
2002/04/20

0818 ●久しぷりに本物に遭遇
1週間ほど前、所用で大門界隈を歩いていて久しぶりに本格派の浮浪者(今風に言うとホームレス)に遭遇した。衣服は無く、ボロ布をまとっており、髪は伸び放題、当然異臭はプンプンである。なにより唐突に路地から出現したからたまらない。歩道を歩いていた老若何女は一斉に時間が止まってしまった。別に彼がその生き方をしている事を否定しないが、公道を歩く我々としては予想しない不快感を得ることを決して望んでいない。10年ほど前、南青山付近でも有名な浮浪者がいた。彼の場合は完全に下半身が丸出しだったので、猥褻物陳列の現行犯のはずだが、一向に逮捕された形跡がない。眼と鼻の先が交番なのに・・・だ。警察官だって、あの動くゴミの塊に触れようとは思わないはずだ。今・・・彼はどうしているのだろうか。世の中が底なし不景気という蟻地獄から抜け出せずにいるためねホームレスは増え続けるという予測がある。確かに不景気は肌で感じている。しかし、相変わらず町には物が溢れかえっているし、高級贅沢品が飛ぶように売れているそうだ。『何故?』という疑問が湧き出てくるが、もしかしたら米国のように国民の二極化が想像以上に加速しているのだろうか。ちょっとピンとこないが、近い将来は確実に二極化してしまうのは確かだろう。でも、そんな事より今心配なのは・・・、諸外国の言いなり外交、外国人犯罪の増大、犯罪の低年齢化、一般家庭への薬物蔓延、幼児虐待、食品・金融等への信頼失墜・・・次の世代にこんなものしか残せない我々は、もしかしたら世界でもっとも最低の民族かもしれない。特に土下座外交とご用聞き外交はいただけない。自国に自信を持てなくなったらその国は終わりだ。子供の眼は想像以上に繊細で鋭いということをかつて子供だった大人達は忘れてしまっているのかも知れない・・・。
2002/04/21

0819 ●ヴェトナムブームらしい
我々の世代はヴェトナムと聞くと暗い戦争時のイメージが強いが、今は雑貨等でヴェトナムブームが起きているそうだ。そもそも我々はベトナムというひょきが正しいと言われた時の世代である。今はヴェトナムが正しい日本語になった。さて、この国はご存じのようにフランスの影響が強く、もともと漢字を使っていた国であったが、文字はアルファベット表記となり、既に漢字を使った古文書は専門家にしか読めなくなっている。その関係か、平和となった現代では和洋折衷の独自文化が世界的に注目されているる特に民芸品はアジア的でもなくヨーロツパ的でもなく、なにか不思議な雰囲気を味わうことが出来る。しかも、何より嬉しいのは質が良く価格が安いことだ。そして国民仮称が反日的ではないのも嬉しい。旅行をしているのに後ろめたい気分になるのは憂鬱だ。社会主義の国なので何かと不便なところもあるらしいが、開放政策をとっているので通常の旅行者には特に問題はないそうだ。また、近年ヴェトナムから農作物を大量輸入しているのが我が国であることもあまり知られていない。なにせ1年に米が4回とれるほど気候的というだけでも農業にもっとも適した地域だということが分かる。食べ物もアジアの国の中では日本人にとって癖の少ない料理が多いそうだ。そう言えば、定期的に車で出かける道のりの途中にサイゴン(旧南ヴェトナムの首都名で現在はホーチミン)という大きなヴェトナム料理店があったのを思い出した。1年ほど前に閉店してしまったが、今思えば一度は店内にはいってみるべきだった。そんな黄海り、インターネットでヴェトナム料理店わ探した方がいいかもしれない・・・。
2002/04/22

0820 ●誰でも出来ると楽器と言わないかも?だが
ヤマハが、ギターのネック部分に弦を模した光スイッチを搭載した、誰にでも簡単に弾ける『光るギター』というのを6月から販売するそうだ。さしずめギター版シンセサイザーのようなもの(勝手な推測)らしい。形状は通常のエレキギターだが、ギターのネック部分に弦はなく、フレット(右利きのギタリストなら左手で押さえる部分)毎に光るスイッチを搭載し、そのスイッチを楽曲のコード進行に合わせて光らせることができるばかりか、普通のギターと同じように伴奏曲なしで演奏することもできるらしい。更に専用システムにてデータ転送なども行えるそうだ。実際に見物を触ってみないで軽率な事は言えないが、かつてジャミネーターというギターもどきの電子楽器があった。それのプロ版(ジャミネーターも充分にプロ仕様であったと思うが)といった感じだろうか。もし、簡単に誰でも本当に演奏が出来るのであれば、それは画期的な事だが、同時に楽器ではなくなってしまうのではないだろうか。そんな気がしてならない。しかし、別の観点で考えれば、ギターのデジタル版ではなく、まったく新しい楽器の登場としていいのかもしれない。とかく楽器の類は古典的なものが評価され、新しい電子楽器は評価が低いと聞く。『アナログの絵はいいが、デジタルの絵は陳腐』という論理に似ているような気がする。しかし、よく考えてみれば、古典的な楽器も、登場したときは画期的で革新的な怪しく胡散臭い道具であったのではないだろうか。かつてデジタルカメラが出始めた頃、『あんなものは子供のオモチャであり、プロは絶対に使わない』と豪語した人がいた。でも、今それを改めて豪語出来る人がどれだけいるのだろう。もっとさかのぼれば、オートフォーカスカメラが出始めた頃に邪教のごとく否定していた方達は、今も同じ攻撃をオートフォーカスカメラに向けることが出来るのだろうか。つまり、道具や価値感は絶えず変化し生きているということにつきるのではないだろうか。
2002/04/23

0821 ●ネオ・サブリミナル効果
サブリミナル効果は法的に規制されているが、例えばネットワーク上に氾濫している掲示板やBBS等でなにげなく誰かが何かを『コレ凄くいいよ〜』ってやって、それに相づちを打つ人が数人出没すれば立派なローカルヒット商品になる。しかし、今までほとんど発言しなかった人や、そんなものに興味など示すはずもない方までもが一斉に称賛の書き込みをしているのを見ると、『なんだかこの掲示板は胡散臭いな〜!』と思わざるを得ない。でも、それは、まったくの部外者である私から見た意見であり、参加者にとっては楽しい語らいのひとときなのだろう。振り返れば似たようなことは誰しも行っているはずだ。ところで、例えば『今流行っているモノ』という見方、見え方は本当にそうなのだろうか?という疑問を誰もがも持たないことを前提としていないだろうか。つまり現実ではなく、現実らしい情報によって判断しているに過ぎないということだ。当たり前の話だが。メディアというものが出現してから、事の大小は違うが、様々なヤラセがはびこってきたはずだ。もちろんソレはあくまでも極めて特殊な例ではあるが、ひとたび『あいつらも嘘つくんだ!』というイメージが出来上がってしまうと、ソレを払拭すのは容易なことではないはずだ。昔から『良い話は忘れられてしまうが、悪い話は永遠に語り継がれる』というではないか。さて、流行とはなんだろう。かつてほど屈折した流行はなく、最近は多様化されてきてはいるが、やはりそれなりの流行というものが毎年様々な分野で指定される。そして、それを自分でも認め、場合によっては身につけないと落ち着かなくなる人が多いことは、なにか画一化したステレオタイプ的発想ではないかと背筋が寒くなることがある。丁度後ろ姿だけでは誰だか判別付かないほど似たようなファッションで固めている若者を見たときだ。もちろん、かつて自分がそうであったことはズル賢く当然忘れている私である。
2002/04/24

0822 ●相変わらず不器用な人生
スポーツセンター内では携帯電話は禁止である。少なくとも私が通っているところはそうだ。この2年ほどの間とくにマナーの悪い人を私は見たことが無かった。もちろん2年間朝から晩まで利用しているわけではないが、少なくとも私が出かける時間帯にはいなかった。しかし、遂に今日(23日)発見してしまった。けたたましく鳴り響く悪趣味な着信音を鳴り響かす銀の塊を。当の本人はいたって平気な顔をしている。取りあえずここのスタッフは温厚な方ばかりなので違反行為話したからって大人げないということで特に叱ったりはしないからか、悪質な態度にもほどがあると唖然としてしまった。確かに体を鍛えている人ばかりなので、病院内での携帯電話禁止等とは意味が違うが、やはり他の人に不快な思いをさせるのはルール違反だ。でも、『そのくらいいいじゃないの〜』という人が必ず出てくる。そしてそういった人の子供は親を見て育つので、社会的な常識に欠如した同じような大人に育って似たような子供を作る。悪循環は断ち切れないのである。話を戻すと、スポーツセンターはそもそも体を鍛えに来る場所なのだが、携帯電話さんとは別の意味で困った人が多い。それは、まるで拡声器を口に移植したような大声で自分の過程の話や近所の噂話をガンガンやっているオバタリアンである。以前もネタにしたが、ウォーキングマシンをはさんで両隣どうしでやられたら誰だってブチギレてしまう。月に数回ほど私はこれでものの5分もウォーキングしていないのに中断して帰ってしまうことがある。まっ、結局は他人に危害でも加えない限り見て見ぬ振りするのが大人の世界だ。私も不快な思いをしたときは顔色一つ変えずに退散する。でも、私も親しい友人だからと思い注意したら逆の不快感を味わったことがあった。そんなんだったら会うのも面倒となるのは当然である・・・。相変わらず不器用な人生である。
2002/04/25

0823 ●8割を占める不気味な生き物
地球上の生物全体が凡そ100万種類だが、なんとそのうちの8割に相当する80万種類は昆虫なのだそうだ。これってとんでもない数字だと私はびっくりしてしまった。目に見えて目立つ動物がたったの20万種ということだからだ。その20万種の中に爬虫類、哺乳類、魚類、鳥類(広義的に鳥類は爬虫類に分類される)が収まっているのである。そもそも100万種類は無理としても、20万種類の非昆虫系動物をどれだけ我々は知っているのだろうか。いや私自身100種類も上げることが出来ないのではないかと一瞬考え込んでしまった。多分1000種類言えたらTVに出ることができるかもしれない。そう言えば昔から図鑑が好きで色々と眺めていた私はそれなりに詳しいつもりだったが、よく考えてみれば、図鑑の類はオーソドックスな動物しか網羅していない。もちろんここで言う図鑑とは小学生あたりが読む図鑑の話だ。実は私が小学生の頃に買ってもらった図鑑が今も私だけの宝として残っている。写真ではなく絵を印刷しといた時代のお宝だ。執筆に加わった学者の方で今も存命な方はほとんどいないだろう。実は全巻持っていたが、いつのまにか歯抜けになってしまった。でも、もともとあまり読まなかったものだけが抜けてしまったので、私としては特に困らない。仮に全巻揃っていても、いわゆるお宝としての価値もない。ところで便利なカメラに望遠レンズと特殊撮影機材のおかげで胃までは当然ながら図鑑の類は全てが写真となっている。生々しい実態を表現するには最高だ。でも、私の持っている絵のほうが面白く的を射ている。やはり写真が事実を伝える最良の表現の全てではないということを改めて感じ取った。
2002/04/26

0824 ●最高裁が下した中古ソフト販売の判断は阿呆
嫌な予感はしていたが、最高裁が中古テレビゲームソフト販売は合法との判決を下してしまった。判決のポイントは『公衆に提示することを目的としない』ソフトは、中古販売ができるということらしい。しかも判決に至る参考判例として中古指導者部品の権利についての判決を考慮したとか。もうはっきり言って時代に逆行しているし、裁判官は阿呆としか言いようがない。不特定多数の視聴者に向けた映画等のコンテンツは、頒布権を権利者が専有するが、家庭内で個人が楽しむテレビゲームソフトは、販売した時点で頒布権が消滅すると判断した。しかし、この解釈は、家庭用DVDソフトや音楽CD、パソコン用ゲーム、ビジネスソフトなどにも、当てはめて考えることができてしまう。例えば今回の判例がゲームソフトに対するものであったとしても、家庭で個人が楽しむソフトコンピュータソフトウェア全般の中古販売にも当てはめられるのは必至ではないだろうか。これでは、日本のソフト産業が衰退するのは避けられず時代にそぐわない馬鹿判例と言わざるを得ない。ただし、永遠に中古販売が認められないと言うのも逆に問題のような気がする。ポイントとして、複製を作成する所謂コピー行為に対する罪を重くするとともに、オリジナルタイトルが販売されてから一定の期間が経過した段階で中古販売を認める、という多角的処置が時代にマッチしているように思うが、いかがなものだろうか。言葉は悪いが、法律を作る者も取り締まるものも判例を決める者も、この国ではいささか老体すぎないだろうか。いや実年齢を言っているのではない。社会への順応年齢を言っているのである。古き良き時代のドラマは勧善懲悪がおきまりで、最後は必ず『正義が勝つ』であったが、今やこの世界も多様化してしまったのか『正義が勝つとは限らない』ことの方が多いのが悲しい現実である。
2002/04/27

0825 ●川崎市岡本太郎美術館
27日、今年3月に閉園した向丘遊園地の近くにある神奈川県川崎市生田緑地公園内にある川崎市岡本太郎美術館にいってきた。実はこの生田緑地無いには民家園などもあり、1日中いても飽きない場所だ。さて、私は学生の頃よりもともと岡本太郎は好きな作家だったが、今回は7月28日まで同時開催されている『ゴジラの時代』展を見るのが目的である。流石に面白いモノが溢れていて時間の経つのを忘れてしまった。展示場では過去の作品の予告編が上映されていて思わず笑ってしまった。もちろんここで言う思わず笑ったとは、粗製乱発していた頃の酷いゴジラ作品の予告編に笑ってしまったという意味である。さて、明日は上野にシャガールを見に行くつもりだが、私はシャガールが大好きで、岡本太郎は好きではなかったのである。ところがね学生時代にたまたま上野の美術館で岡本太郎の原画を見る機会を得て衝撃が走った。それは写真撮影されたものを印刷した本などから、あるいは映画やビデオなどの映像からは、絶対に岡本太郎氏の作品の力強さを感じ取ることのが出来ないということを知ったからである。その力強い筆の軌跡と絵の具の盛り上がり方。私は衝撃とともに、その瞬間から彼の作品が好きになってしまった。確かに印刷したものでも感銘を受ける作品というものは存在している。特にデジタル作品の場合は原画がデジタルという実態のない電子信号なのだから、これを否定することは出来ないはずだ。もちろん、デジタルだろうが、アナログだろうが、よく分からない作品というものも存在しているのは確かだが、総じて絵は原画でなくとも心地よいという場合の方が多いはずだ。だから印刷わ額に入れて鑑賞する人もいる。でも、そういったことで岡本太郎の作品は鑑賞できないと、若造だったその時の私は直感した。願わくば存命中に一度お会いしたかった。それが凄く残念で仕方がない。
2002/04/28

0826 ●上野から日暮里めぐり
28日、予定通りに上野に出かけ、東京都美術館のマルク・シャガール(ポンピドーセンター&シャガール家秘蔵)展と、東京国立博物館平成館の雪舟(Sesshu Master of Ink and Brush)展を見てきた。シャガール展はわりと早朝にでかけたのでゆったりと鑑賞できたが、雪舟展のほうはほとんど見たいモノを見ることが出来ないほど混雑していて閉口してしまった。どうして入場制限をしないのか。また、鑑賞者は、まるで駅のホームで電車を待つ関西人(個人的な恨みはない)のようにルールなど皆無。『ええやんけ〜』の世界だ。小さい子を連れた親子連れが随分と難儀しているのを見かけたが、私自身が見たいモノを見ることも出来ない状態では為すすべもない。せめて、中国に渡航した雪舟が、かの地で見た様々な国の民族や、始めて見た動物などを図鑑のように描いた巻物をじっくり鑑賞したかったのだが、そのたった一つの望みも叶えられなかった。さて、上野公園と言えばホームレスだ。数年前に出かけた時はあまりの数と我が物顔の行動に怒りがこみ上げてきたが、今回は少しだけ様子が変わっていた。それは、上野公園国立科学博物館から国立西洋美術館の側を占拠していたホームレスが噴水を挟んで、東京都美術館に強制移動させられたようだ。おかげで、半分だけは本来の公園の風情に戻り、私も小学生以来、数十年ぶりにここを歩くことができた。しかし、その結果、東京都美術館側は悪臭が立ち込め美観も損なう最悪の修羅場と化している。公園は人が住む場所ではない! しかも東京を、いや日本を代表する美術館と博物館の集合体のようなエリア内にこのような一角があることは文化の恥だと感じてしまった。こんな事が間違った人権保護だということに、いつも五月蠅い文化人も気が付かないのは『なんだかな〜』と思う。その後気分を取り直して日暮里の駄菓子屋横町に出かけた。買いたい物がたくさんあったが、箱単位でないと購入できないので断念してしまった。そして、近くで和菓子を購入し、曖昧な記憶を頼りに、岡倉天心記念公園を探し当てたが、いくら別邸跡地とは言え、あまりに条件が悪く、イージーな作りと、センスのない金無垢の岡倉天心像を祭った?お堂を見たとき、思わず『来るんじゃなかった』とつぶやいてしまった。ということで、今回は全て電車を利用しての行動だったので帰りの道のりは疲れがこみ上げてしまった。
2002/04/29

0827 ●パブリックガーデンフェア2002
29日、東急多摩川園駅前の多摩川ラケットクラブ跡地で、4/27〜5/6まで行われているパブリックガーデンフェア2002に出かけてきた。NPOや大田区議などの後援もあり、ちょっと不思議な空間であったが、概ね楽しめた。というより、一番気になったのは、ここが元多摩川ラケットクラブという高級会員制テニスクラブだったからだ。庶民の当然私は会員であるはずもなく、中に入ることは出来なかった。しかし、永年続いた伝統クラブも東急側のリストラ策により閉会となり、色々と騒ぎが発生したが、結果的に多摩川ラケットクラブは無くなり、政治的な問題から暫く今回のようなイーベト会場などに利用後、土地の評価基準を変更し、大型マンションを建設するらしい。こんなにすばらしい自然を破壊してまでマンションを建設する意味はまったくないと思うが、こればっかりは所有者の勝手なので、私ごときがとやかく言う筋合いではないのだろう。でも、もし、東急側が英断を下し、ここをこのままの状態で保護するとすれば100年後、200年後にその英断は歴史的(どこかの国のプロパガンダ的表現みたいで私としては好きな表現ではないが、適切な言葉が瞬時に見つからなかったので)に評価されることは確かだろう。そんな思いを込めて、もう二度とこの空間を拝むことも出来ないし、もともと会員でもない私は入る事すら出来なかったわけだから、このイベントの内容(実際、不謹慎ではあったが、私はイベトンの内容よりも、この場所の空間と景観を満喫していた)がどうであれ、私にとっては楽しみなイベントであった。会場内に、よくExpo会場に出没する謎の貴金属販売ブースがあったのと、派手なペインティングを施したフォルクスワーゲンが何の脈略もなく展示してあったのには笑ってしまった事と、相変わらずタダでもらえるモノに命をかけているどん欲な高齢者の常識の無い行動には閉口してしまったが、どこにいってもこんなものだろう。コラムでは激怒しているような事が最近多いが、本人はあんまり細かいことにカリカリしなくなっているのが実情だ。いちいち本気でカリカリしていたら外出なんか出来るはずもない。隠して連休の前半は見事に完了したのであった。
2002/04/30





このコラムは私自身の体験等を整理したもので、内容を推奨・保証するものではありません。


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