海津ヨシノリの気まぐれコラム/2000年7月分(0159〜0189)


0159 ●これで日本もおしまいだ〜っ
某国の国会議員様のバカさ加減は与野党こぞって大した違いは無いのは小学生でもお見通しだ。もう国民はめったな暴言・失言・失策では驚かなくなっているが、流石に経営破綻のデパート救済に血税を投入するに至っては空いた口が塞がらない。関係する勤労世帯の数を無視出来ないというのが理由のようだが、それって資本主義の原理から外れるのと違うだろうか? いつから某国は社会主義国家となったのだろう? まっ、この際・・・主義などどうでもよい。民間企業の経営が破綻し、それを国家が税金らより救済することがまかり通ってしまっていいのだろうか? 某デパートはバブル期に支店の乱発をしている。ただでさえ経営難と囁かれていた時にである。しかも、責任者である前会長にいたっては都内の一等地に豪邸を建てて優雅な生活をしている。江戸時代だったら一族郎党すべて打ち首獄門だろう。大岡越前はいないのか! さて、この前例が今後足かせとなり、次世代に大きな負担となることは火を見るよりも明らかだ。いったい、そんなに血税が余っているのだろうか? 年金破綻問題などお金はいくらでも必要なはずだ。きっと増税と年金カットなどの政治的決断?によって急場をしのぐのだろう。こうして・・・勤労者の労働意欲が失われた時、国家は確実に崩壊する。まったくもって政治家は何を考えているのだろう? 例えば、アジアの平和だとか言って隣国の軍事費のために、せっせと経済援助したりと、まったくもって民を愚弄するとはこのことではないだろうか? 次に救済されるのはどの会社だろう? とりあえず、某デパート系列では今後一切買い物をしないと誓う私であった。
2000/07/01

0160 ●近未来?リハビリ初体験
6月29日、ここのところ溜まりに溜まったストレスが原因か? 1ケ月ほど前に階段から落ちた後遺症か? 気が付いたら右腕をおもいっきり動かすと痛みを感じることに気が付いた。ピッチングとか、ボウリングとか、そんな事でもしないと気が付かない状況なので気づくのが遅れたようだ。いつもはほとんど体を動かさない生活をしているツケがまわってきたのかもしれない。早速近所の整形外科に出かけてレントゲンを撮ると、右肩の関節に炎症が見られるとか。その関係で腕に大きな動きを与えると痛みが走るのだそうだ。で、痛み止めとシップ薬処方箋を受け、帰りにリハビリ室でγ?とかαなんとか波という光線を浴び・・・ちょっとした腕のリハビリ運動を行ってきた。しかし・・・こんな体験は当然ながら生まれて初めてなのだが、周りはすべて70歳以上のお年寄りばかりである。いくらなんでも、ちょっと場違いな私であった。しかし、近い将来、こういったリハビリを行っている年取った私を彼らにオーバーラップさせるのに、さして時間はかからなかった。しかし・・・恥ずかしいのは、こんなことではない。実は、その病院に知り合いの奥さんが勤めていたのである。階段から落ちた話やリハビリした話は、その日のうちにご近所の話題となってしまったのである。きっと1週間もしたら、とんでもない尾鰭がついていることは確かだ。ちょっと恥ずかしい今日この頃である。おっと、そんな事より早く元に戻さないと・・・。
2000/07/02

0161 ●スレスレの老婆心行為は一歩間違えると命取り
数日前、とある雑誌原稿の校正を受け取った。取りあえず自分の執筆したページの校正を完了させ、残りは複数の執筆者がランダムに語るコメントの校正に入った。ところが、ここで他の方の勘違いやミスをずいぶん発見してしまった。中には顔見知りの方もいる。普通であれば、人の粗探しのような行為は日本では御法度である。しかし、あまりに気になる部分が多い・・・と、散々悩んだ末に編集の方に打診してしまった。もっとも嫌な奴を私は演じてしまったのである。『×××が出来ない』(出来るのに出来ないと宣言しちゃまずいですよ)、『色表現は本当に正確なのか』(モニター調整していないのバレちゃいますよ)、『CMYKとGRBのモードを変更すると色が変わるのは不便』(CMYKとGRBでは色の関わり方が違うので、モードを変更したら色も変わるのが当然。これを公言しちゃうと、プロであることを否定するようなものでは?)、『Draw的、Paint的といった境界線が曖昧になった』(既成概念にとらわれてしまうような保守的な発想ってプロには必要ないのでは?)・・・等、プロとしてのコメントとしてはちょっとヤバイ発言だったりして、いらぬ老婆心が働いてしまった。実に私は嫌な奴である。しかも、締め切り直後であったので、知り合いの彼らには連絡することも出来なかった。事後報告というのも、なんだかいやらしいので、そのまま知らんぷりしてしまった。後は編集部の手腕に委ねるといったところである。もちろん反面教師であることは言うまでもない。
2000/07/03

0162 ●テレビ番組がつまらないのは大衆文化の衰退か
テレビ番組が本当につまらなくなって久しい。ほとんどが、本業の芸など見たこともないお笑い系タレントのバラエティーショーか、過去形となってしまったタレントや歌手による料理番組であったりする。もちろん、バラエティーや料理番組が下らないと言っているのではない。例えば、関西系お笑いグループという・・・ただそれだけで何故受けるのか?少し疑問に感じている。以前、あるタレントが関西弁を話すだけで、それを話さない関東芸人はハンデがあるという話しをしていた。なんとなく納得してしまう話である。多く日本のお笑い系タレントのネタは下ネタであったり、相手を罵倒する古典的なネタが多い。本当の日本のお笑い芸って、そんなものではなかったはずだ。例えば、古典落語などがいい例だろう。また、NHKなどで放映されている海外TVドラマのうち、ホームドラマ的なものの中の笑いというものは、実にセンスが良く話術の絶妙な組み合わせを遊んでいる。もちろん、海外のTVだけが優れているとは言わないが、何か、とっても下らない方向に大衆文化が落ち込んでいるような気がしてならない。文化というのは、たえず時代とともに柔軟に変化して行くものだ。不変的なものではない。だとすると現在の日本の大衆文化・・・とりわけお笑い系の文化って死滅しかけているのではないだろうか? どう見ても学生のコンパ芸のようなネタだけで盛り上がっているような気がしてならない。そして、本当に芸のある人も同列に見られてしまっている感さえある。いや、別にこんな事を問題視すること自体がナンセンスと言えばナンセンスなのだが、ますます低俗化する学生芸を謳歌する若手芸人の台頭を見るにつけて、センスの良い大人の笑いというものが死滅寸前であるという認識を持っている人も既に死滅しかけているのかもしれない。
2000/07/04

0163 ●フォトイメージング100連発の悪夢
先月半ばあたりから、フォトイメージング100点ほどを作成する仕事に入っている。100点は最終的な数であり、実際には倍は作成しなくてはならないだろう。それはさて置き、現在50点ほど作成したところだが、これだけデータ量が大きくなるとバックアップは地獄である。Photoshopで作成しているそれぞれの画像の元データは200〜400MBほどのサイズになっている。平均値の300MBで計算しても、既に15GBに達している。冷静に考えればDVD-RAMを酷使すれば済むが、問題なのは、DVD-RAMの書き込みスピードである。基本的に原理はMOなので、速いということは期待出来ない。また安全性やコストの面でもCD-Rを使う事が王道?かもしれない。かくして、CD-Rを酷使してバックアップを行うわけだが、既に18枚ほどのバックアップになっている。更に、いくらなんでもCD-Rにデータを焼き込んでいる間に作業は出来ない。当然ながら、その間はサブマシンでの作業となるが、こちらのデータが溜まれば早々にCD-R・・・そしてメインマシンでの作業・・・という具合だ。サブマシンにもCD-Rドライブが接続されていることが唯一の朗報とでも言うべき状況での作業は悪夢以外のなにものでもない。最終的に、いったい何枚のCD-Rを必要とするのだろうか? 私は常時、生のCD-Rメディアを最低でも50枚はストックしているようにしている。しかし、この作業に入ってからは、他の仕事のデータや、定期的なシステムバックアップ等により、あまりに頻繁にCD-Rメディアを使用するため、先月末に100枚ほど新規に仕入れてしまった。これもメディアが安くなったが故に可能な?物量作戦だが・・・願わくば高速なDVD-RAMドライブや、DVD-Rドライブのリーズナブルな販売に期待したいところだ。なお、現在までで一日に焼いたCD-Rの数の新記録は、30枚というのがある。まるで工場のような世界だ。
2000/07/05

0164 ●野球は本当に衰退するのだろうか?
Jリーグが始まって何年たつのだろうか? 日韓ワールドカップ開催に向けて日本側はゴタゴタが続いている。まったくもってファンを愚弄するとはこのことだろう。何かを勘違いしている上層部は総取り替えしたほうが良いかもしれない。更に日韓ワールドカップ開催も、イレギュラーの開催決定に疑問点が残るが、下馬評?では、ワールドカップ開催地決定に向け、日韓のワイロ攻撃がエスカレートし、日韓どちらにも譲れなくなってしまったのが原因だとか。信憑性がありすぎて怖い噂話である。今やオリンピックを含めたスポーツの祭典は、国家上げての巨大ビジネスチャンスなのだから、開催に向けて、各国は手段を選ばない誘致合戦を繰り広げているのは皆さん周知の事実ではないだろうか。それはさておき、ファンのかたから見ると不謹慎な話で恐縮だが、日韓ワールドカップ開催は、力のない日本としては取りあえず韓国に譲ってもよかったのではないかと個人的に考えている。さて、そんな話はどうでもよい。実は、最近面白い話を仕入れたのである。聞くところによると、公立小学校ではクラブ活動が盛んだが、運動部は、ダントツでサッカー部だそうだ。クラブ活動以外にも学校関係のOBで組織しているFCも盛んだそうである。さて、クラブ活動に絞ると、当然野球部も存在しているが、なんとバトミントン部よりも入部者が少ないそうだ。もちろんバトミントン部を軽視しているわけではない。概ね、1クラスで野球部に参加してる生徒は1〜2名程度だそうだ。それに引き替えサッカーは女子も含めて大人気である。私は特別サッカーが好きというわけではないが、冷静に考えてみれば野球は人数が揃わないと遊ぶことすら出来ないが、サッカーなら2人いれば、取りあえず遊ぶことが出来る。更に、野球はある程度のスキルが必要だが、サッカーは、特にそのは必要ない。もちろんこの話は、新入部員のスキルという意味である。スピード感という意味でもプロ野球はJリーグに負けているだろう。米国のベースボールの試合を見ると、あまりの違いに落胆した方はいないだろうか? 小手先の小細工勝負が幅を利かす日本のプロ野球と違い、ストレートで、小細工無しのベースボールは見ていると、思わず興奮してしまうのは私だけではないはずだ。国民性と一言で切り捨ててしまうのは簡単だが、なんだか、今の子供達が親になる頃には、野球の結果が大手新聞には掲載されなくなってしまうような予感すらする。かつてプロレスの試合結果が大手新聞に掲載されていた時代があったことを考えると、案外この予想は、数年後には現実のこととなるのではないか・・・と、今はどこが首位なのかすらまったく興味もない、遠い過去の阪神ファン(私)は心配するのであった。
2000/07/06

0165 ●危機管理の無さは国民性・・・では笑えない
突然降って沸いた雪印乳業事件は笑い事ではない。経営トップは消費者そっちのけで自己の責任回避と隠蔽工作にのみ神経を費やしている。社長の『私は寝ていない』発言は小学生ですら『あのオジサンはバカと違う?』と言わせるのに、何の説明も必要ない状況である。しかも、これは大坂だけの問題だと思われていたが、とうとう東京でも発生してしまった。更に、こんな時期において大阪で余ってしまったパッケージを無神経にも東京で使い回しするといったバカを通り過ごした行為まで行っている。真面目に勤務している社員の方には申し訳ないが、今後一切同社の製品を購入する気分にはなれない。この呆れるほど、まるっきり危機管理が無いというのがなにか我が国全体を象徴しているようで背筋が寒くなる。例えば、近年、幾度となく無断実行されている某国艦船による我が国の排他的経済水域内反復航行は、遂に今年に入り我が国一周を実行するに及び、この行為は、某国が主張する海洋調査とはとうてい考えられない。ミサイルが我が国に向かって配備されている事実が明るみに出るに至り、隣国奪回のために、我が国に核ミサイルを打ち込むことにより米国が全面戦争を恐れて手を出さないであろうという某国要人のシミュレーション発言が冗談ではなくなっている。なにより、我が国はこういった話はほとんど報道されない不可思議な国なのである。考えたくもないが、丸腰に近い我が国がもし攻め込まれたら瞬時に占領されてしまうだろう。もちろん、だからと言って軍備増強しろと言う話をしているのではない。それは別問題だ。しかし、相も変わらずバカの一つ覚えのように『友好』を連発して官民揃って某国に詣でる国民性?がすべてを象徴しているように思えて仕方がない。遣唐使や遣隋使の時代ならイザ知らず、現代でそれが本当に必要なのだろうか? わざわざ、民主主義もなく人権も無視され、何を考えているか解らない国と、対等に付き合う必要などないのではないだろうか・・・と思ってしまう。つまり、我が国は、国民こぞって脳天気で平和ボケしていると言われても返す言葉は無いはずだ。結局、我が国の危機管理は国民こぞって皆無だったのである。残念ながら、第二の雪印乳業事件は続発するであろうと私は予測している。実に悲しい話だ。
2000/07/07

0166 ●七夕は今日も雨だった
腹立たしい事件が多発していた関係で、ついつい過激な発言を多発してしまった。これでまた怖い人というイメージが膨れてしまうのかも知れない。2000年の幕開けがつい先日のような気がしてならないが、気が付けば今日(7月7日執筆)は7月7日である。しかし、あまりに腹の立つことが多発してしまったために、すっかり七夕の事を忘れてしまった。七夕と言えば、ほぼ確実に毎年雨というのが定番だ。もちろん梅雨時の事なのではれる確立のほうが少ないのは確かだが、雨が降ったほうが七夕の寓話にリアリティーが増すような気がしてならない。こんな話をするといい年してバカじゃないだろうかと言われそうだが、季節感を楽しむことが出来る日本人は、節目節目の行事にもっと関わってもいいのではないかと最近強く感じている。これは近年、こういった行事がビジネス利用されていることへの反発なのだが、もっと土着の原始的な行事に徹底してもいいのではないか・・・と。考えてみれば、季節ごとに味わっていた果物も、いつのまにかハウス栽培で一年中手に入るようになってしまった。そうなると、味覚で季節感を味わうことは出来ない。最後に残された風流とでもいう精神性は、こういった行事ではないかと、考えている。とすると大嫌いな飴も七夕の日に関しては必要なものなのかもしれない。ピーカンに晴れた七夕というのはちょっと遠慮したい気分である。ただし、今年は台風の影響でちょっと雨が強すぎるのは気になりますが・・・。
2000/07/08

0167 ●珍しく朝から風邪でダウン
久しぶりに風邪を拗らせたようで、朝から頭痛に悩まされ寝込んでしまった。鬼の霍乱だろうか? いつもこういった状態になると決まって、もうちょっと日頃から注意していればと後悔してしまうのだが、いざ元気な時ほど無頓着になるのは誰もが同じではないだろうか。風邪は万病の元であり、場合によっては死んでしまう方も多いと聞く。特効薬というものが存在しない以上、可能性は大なのである。たかが風邪とは言い切れないのだが、意外と風邪に対しては軽視している方が多いようだ。私は体調を崩す手前で自分にしか解らないシグナルが出るので、直ぐに寝てしまったり、昔から呪いのように続けている独自の処方箋を取り入れたりする。例えば、柑橘類を異常摂取したり、牛乳とコーンクリームだけで作るスープがぶ飲みなどがそうだ。医学的根拠などはどうでもよいのである。これさえ徹底すれば取りあえず快復するからだ。もちろん、1日様子を見て改善の兆候が無い場合には、まっすぐに医者に向かうのは言うまでもない。このシグナルを感じるようになったのはいつ頃からであたかは忘れてしまったが、たいていは体調が悪化する前日あたりに出ることが多い。もちろん風邪ばかりではなく、様々な体調の変化に対してシグナルは出るのであ。もしかすると誰でもこのシグナルは持っているのかも知れない。シグナルに気づかない人が多いだけなのかも知れない。所謂、第六感みたいなものかもしれない。もっとも、先月頭あたりから積もり積もったストレスに対してはコレといった特効薬とも言える呪いを私は知らない。案外これを解決すれば全てが丸く収まるのだろうが・・・。
2000/07/09

0168 ●スティーブン・セガール映画の中の非アメリカ文化?
ステーブン・セガールの昨年公開された【沈黙の陰謀/原題”THE PATRIOT”】を見た。これは、彼の代表作である。【沈黙シリーズ】の中では、【沈黙の断崖】と【沈黙の要塞】に類する傾向の映画である。もちろん設定はまったく異なっているが、どことなく西洋文化を否定したあたりが似ているように感じた。3つの作品とも、アメリカ・インディアンやエスキモーの精神性のようなものが描かれている。ただし、【沈黙の断崖】と【沈黙の要塞】はどちらかと言うとストーリー展開の中で、この精神性の描写がやや諄い感じがするが、【沈黙の陰謀】は実にスマートに描かれている。考えてみると彼の主演作品の大多数の舞台は大都会ではない。広大な山脈であったり、自然が生き続けている森林であったりするのが逆に緊張感もたらしているような気がする。もちろん、ファン心理というオブラートがあることは確かだが、シュワルゼネッガーなどとちひと味違うアクションスターとしての彼の魅力は一度填ると抜けられなくなってしまう。さて、この【沈黙の陰謀】の監督は、『ダンウ・ウィズ・ウルブズ』でアカデミー撮影賞を受賞しているディーン・セムラーである。そして、キャストが抜群にいい。『マスク・オブ・ゾロ』や『ワイルド・バンチ』に出演しているL.Q.ジョーンズ、『ロストワールド』に出ていた可愛い子役のカミーラ・ベル等・・・。考えてみると、スティーブン・セガールの映画に多く登場する老人や子供達は全体の完成度を高めているような気がする。そんな中で【沈黙の陰謀】の中では、自身が他の作品では、監督・脚本家・プロデューサーでもあるL.Q.ジョーンズが演ずるフランクは圧倒的な存在感がある。余談だが、彼は、1955年のデビュー作では芸名に本名のジャスティス・エリス・マックィーンを使っていたが、以後、このデビュー作の役名であるL.Q.ジョーンズを名乗るようになったそうだ。しかし、敵キャラのゲラード・サーテンは、ちょっと迫力に欠けていたような気がした。しかし、派手な銃撃戦を見せ物にする映画ではないのに、しっかりステーブン・セガールの映画となっているのが、なんともファン心理をくすぐる作品である。
2000/07/10

0169 ●荒唐無稽な夢を冷静に判断出来ない不可思議
映画の見過ぎや、本の読み過ぎで時々変な夢を見ることが多い。多くは映画の一場面やゲームの中に唐突に登場していたりする。例えば宇宙服も着ずに宇宙空間で浮遊していたり、酸素ボンベも付けずに水中で長時間敵?と戦っていたりと、思い出せば、まったくもって荒唐無稽なシーンなのである。しかし、どんなに馬鹿げた、非現実の世界であっても、目覚めるまでは夢と気が付かないのはどうしてなのだろう。起床直後に、今見た夢をメモしておくと面白いと言う人もいる。たいていは、暫くすると忘れてしまうのだが、私の見る夢はどう考えてもSF映画の世界のようなものばかりである。たまには有名スターとデート(今はやっぱり、レイチェル・ワイズかな?)していたりする夢など見たいものだが、なかなか見ることが出来ない。夢とは潜在的な願望や近未来の予知が含まれているとする説がある。私自身は、このことについて真剣に調べたり考えたりすることはなかったが、もし、本当にそうだとしたら、私はSF映画の中に出演したい?といった?願望があるのだろうか? あまり真剣にそんな事を考えたことはないが・・・どちらにしても夢を見ることが出来るのは良いことかもしれない。夢など見なくなってしまったら人間生きている意味ないのではないだろうか?とさえ思うことがある。しかし・・・だからと言ってSF映画の夢ばかりというのも、なんだか寂しいモノを感じる。しかも、夢の中の私は、決してヒーローではないのである。やはり・・・といったとろだろうか。
2000/07/11

0170 ●語学講座の例文の非現実性?
NHKなどでは様々な語学講座が花盛りだ。大昔に、英語講座を1年ほど見続けたことを思い出した。あまりに怠慢な私としては良く続いたと思うが、結局いい加減に視聴していたため身には付かなかった。いやいや、真面目に視聴していたとしても今とたいして違わない英語力であったろう。ところで、語学学習と言うと例文がつきものだ。そして、もし日本語を学ぶ人はどんな例文を学習するのだろうか?という疑問が唐突にわいてきた。そこで、小林克也氏が進行役を行っている日本語会話講座を見てみることにした。実は、一部でこの番組は馬鹿受けしている内容なのである。さて、実際に見てみると、ベースは英語で数名の外国人生徒が、氏の説明する例文を例文事例ビデオを元に練習するのだが、このビデオ(コントのような映像)が実に可笑しいのである。出てくる日本人が実に怪しいし、なにより、こんな日本語言う人いるのだろうか?という場面も時々出てくる。もしかすると我々が英語やフランス語といった外国語講座で学ぶ例文というのも、その言語をネイティブに話す人から見ると、ちょっと滑稽なのかもしれない。いや・・・可笑しいと思っている日本語が実は正しい日本語なのかもしれないという気持ちにもなってきた。友人の中に、何を言っているのか解らない人って案外多いのではないだろうか? いやいや私が一番何を言っているのか解らない奴かもしれない。Son of a bitch ?
2000/07/12

0171 ●ファーストフーズ戦国時代
最近見たニュースで、衝撃的なものがあった。現代のアメリカ人の成人の半数は肥満なのだそうだ。しかも、肥満が原因で毎年1000名ほどの人が亡くなっているそうだ。更に驚くことに、この傾向に近年拍車がかかっているというのである。しかも、それに比例するようにファーストフーズの売り上げが急増しているそうだ。もちろんファーストフーズがイケナイという話をしているわけではない。しかし、冷静に考えてみると最近の子供達の好きな食べ物は『ハンバーガー、フライドチキン』なのだそうである。かつてある学者が面白い事を話していた。『年老いたときに食べる食べ物は幼児期に食べた物に戻る』というのである。更に、『おふくろの味とは何か?』という質問をした時に、子供達がもし『ハンバーガー、フライドチキン、ラーメン、カレー』なんて答えを言ったとしたら、『母親は恥じるべきである』という話もされていた。よく考えてみるとゾッとする話である。確かに便利でお手軽なファーストフーズというのは時代のニーズに答えている事は確かだ。しかし、幼稚園児がハンバーガーを求めるのは食べたいからではなくオマケの玩具が目当てであることに気が付く親は少ないようだ。もちろん、価値観や食感は時代とともに変化するものであり、昔の価値観で全てを否定してしまうことはナンセンスだが、本当にこんな事でいいのだろうか?と時々思うことがある。更にこの問題で現代の日本人が見落としている事がある。元々肉食であった欧米人が肉食中心の食生活をするのと、そうではなかった日本人が肉食中心の食生活をするのとでは体にきたす影響が違ってくる。つまり、日本人に直腸ガンが増えているのは、急激な肉食中心の食生活の影響だそうだ。日本人の腸は穀物を消化するのには適しているが、肉を消化するのには適していないそうだ。もし、欧米人と同じ食生活に耐え慣れるような腸になるためには、数世紀という時間が必要となるそうだ。代々受け継がれてきた遺伝子は、そう簡単に変更できないのである。でも、聞けば欧米人は中高年になると平均して、積もり積もった宿便とでもいうべき肉が体内に5キロほど溜まっているそうだ。貴方は今何キロため込んでいますか?
2000/07/13

0172 ●壁を作られたら待避するのみ
とかく面倒なことが嫌いな私は案外ドライな行動に徹している場合が少なくない。例えば解りやすい例で言うと交友関係などである。学生時代や会社勤めで知り合った友人ではなくフリーとなってから知り合う友人というのは実に面白い。年齢もマチマチであり職業も千差万別だからだ。ヒトの出会いの話は何度もコラムに書いているので重複は避けるようにするが、私にとってもっともエキサイティングする時間である。多くは飲み会や様々なパーティー会場などで知り合うことが多い。仕事絡みでない出会いのほうが長続きすることが多いからだ。もちろん仕事がらみで知り合った方の中にも長いおつき合いをさせていただいている方も多い。さて、何度か様々な場所で偶発にせよ会うようになると次第にうち解けてくるようになる。当然本音で話すようになるのだが、ついうっかり相手が堅いガードのままだということに気が付かず、こちらだけが本音でヘラヘラと話しかけてしまったりする失敗をよくしてしまう。こういったガードの堅い方というのは、多分何年おつき合いしてもガードは崩さないだろうことは大いに予想がつく。5回会ってもうち解けない人は100回会ってもうち解けないはずだと・・・。そんなガードの堅い人でも仲のよい友人はいるはずだ。遠巻きに観察していれば直ぐにわかるのだが、もしかしたら、それすらもポーズであるのではないか?とすら勘ぐりたくなるほどガードの堅い人というのが時々いる。いや、別にムリして仲良しになりたいなんて言っているわけではない。どうして、そんなに壁を作ってガードを固めているのか不思議でしかたがないのである。人にはそれぞれ考え方があってもいいのは解る。こういった場合、徹底的に話し合うことを良しとする考えもある。それは正論だと私も思う。しかし、人にもよるが、無理して時間を割き話し合ってまで、本当に交友関係を構築する必然性が本当にあるのか?と考えた時、私は新しい友を見つけるためにエネルギーを割くことに動き出してしまう。つまり待避してしまうのである。もちろん、全ての状況において同一の行動を行うわけではないが、これは、やはり直感的なものであることは否定出来ない。金銭面の話(親しき仲にもタブーあり)以外で、イザという時に声をかけてくれる本当の友人というのは案外少ないものではないだろうか? もちろん数が多ければいいというものでもないが、良い友にどれだけ出会ったかは、その人の人生の勲章のような気がしてならない。
2000/07/14

0173 ●平均年齢を縮めるニュータイプの子供達
なにげなく見ていたTVのニュース特番で、背筋の寒くなる現実に直面した。現代の子供達は明らかにニュータイプなのである。なにがニュータイプか?と言うと、まず体温が高いのだそうだ。子供によっては37.5度が平熱という理解を超えたケースもあるそうだ。理由は乳飲み子の頃から快適なエアコン生活に慣れ、暑い的は汗を出して体温の調節を行うという自然の摂理を体が学習しないまま子供に達してしまうことが原因だそうである。結果として少しの運動量で疲れやだるさ、腰痛、肩こりといった成人症状が現れるのだそうである。更に肥満は著しく増えている。また、コンピュータゲームを不自然な姿勢で長時間行うことにより、背骨が湾曲するといったケースが多数報告されているそうだ。親の立場からは、コンピュータゲームを長時間行うことにより目の疲れだけに神経が行き、背骨の湾曲までは気が付かないらしい。こういったニュータイプの子供達が成人すれば確実に平均寿命は短くなるはずだ。なにより、歪曲した背骨は成人してしまうと元に戻せないそうである。更に、現代の大学生の体力低下は深刻な問題なのだそうだ。右手でボールを投げる時に右足を前にだして投げるという理解出来ない行動を平然と行う大学生が多いとか。身長は年々高くなっているそうだが、それに反比例して体力は確実に低下している現実は、何か恐ろしい近未来を予感させるのに十分な材料である。やはり、便利になった代償というものは確実にジワジワと我々に尾裁可買っているのかもしれない。そんな現実を無視するかのように、便利なコンピュータ制御された住宅も2年後には実用化されるそうだ。そう、数年前に見たSF映画の世界がすぐそこまで迫っているのである。なんだか、所謂先進国という世界は、どうやら何もしなくても自滅の道を歩んでいるのかも知れない。かつて花粉症など無かった頃の日本人は今の日本人の数千倍の微生物を体内に飼っていた。快適な生活と薬づけによりバランスのとれた微生物との共存が崩壊し、我々は少しのことで体調を崩してしまうようになったことをどれだけの人が意識しているのだろうか。
2000/07/15

0174 ●Apple Creators Portfolioに参加
本日(15日)2年ぶりにApple Creators Portfolioが有楽町の東京国際フォーラムにて開催された。もっとも、初回のApple Creators Portfolioは会員制のクローズなパーティー形式であり、今回のような大イベンではなかった。メインは、Appleがことのほか力を入れているFinal Cut Proのカンファレンスが中心となった。これからは映像の時代であることは私も認識している。だからこそ、Adobe Premiere, After Effects, Apple Final Cut Proもゲットして試行錯誤を繰り返してきたが、やはり、一人で何もかも作成するには、あまりにも膨大な時間が必要となる。しかし、それだけの理由で断念するのは何かもったいない気がしてならない。これを機会に本格的にムービーにチャレンジしたくなってきたが、8月末ぐらいまでハードディクスに大きなデータの空きが作れないので、少し我慢の日々である。さてさて、会場では心優しき我が悪友達がパティー終了後のお茶会を今か今かと待ちわびていた。Apple Creators Portfolioそのものも興味を引くイベントであることは確かだが、実は、その後の怪しいお茶会が一番の楽しみでもある。しかし・・・やはりくじ運の悪い私は、Cinema DisplayとG4、そしてFinal Cut Proの豪華景品には当たらなかった。それはさておき・・・3時間半も座りっぱなしというのは流石に疲れてしまった。
2000/07/16

0175 ●空き箱コレクションを泣く泣く整理
コンピュータのソフトウェアやオプションパーツのハードウェアなどの空き箱をコレクションするのが癖になっている私だが、遂に整理する時がきてしまった。何度かコラムでも触れているが、部屋のスペースには限界がある。いくら畳んで保存していても、いつかは限界がきてしまう。そして、遂にそれらを処分しなくてはならなくなってしまった。そうなったら思い切り捨てるしかない。当然ながら多くは資源ゴミとしてリサイクル可能なので、先月の頭あたりから少しずつ分別処理にはいったが、いったいこれだけの箱が部屋の中に本当に収まっていたのか?というくらい出てきた。出てきたと言うよりは沸いてきたというニュアンスの方が強いだろう。さて、私はプラスチック系の箱は直ぐに捨ててしまうが、紙箱は捨てることが出来ない貧乏性なのである。ただし、Painterの缶(3缶所有している)は別である。ところで、最近はどのメーカーも経費削減で箱も簡略化されており、遊び心のある箱は少なくなった。紙箱系で、過去に感銘を受けたのは、MS-DOS時代の富士通製品の箱や初期のAdobe製品、Fractal時代に販売されたExpressionの箱だろう。特にExpressionの箱の英語版は、ひもも付いている変わり種である。ひもこそ無いが、このバージョン1.0のExpressionの箱は、MS-DOS時代の富士通製品の箱と同様の作りである。流石にこれらは捨てることが出来ないが、それ以外のメーカーの箱は狂ったように処分してしまった。リサイクル後にまた私の元に戻ってくるだろうか? しかし、リサイクルされる紙が再度ソフトウェアのパッケージとなる確率は少ないだろう。今後、ソフトウェアは、パッケージ販売という形では、少数派になる傾向に向かうようだ。オンライン販売や簡易パッケージの製品が多くなっている。ユーザーとしては寂しい気もするが、資源の無駄遣いとそれに伴う価格の高騰を望むユーザーは誰も居ないはずだ。さて、仕事場でのソフトウェア類の箱の廃棄に話を戻すと、実は、それらの中に入っていたマニュアル類も処分した。平済みにして4m近くになった。もちろん、Digital Dark RoomやAdobeとなる前のSuper Paint等、忘れられないソフトウェアはお宝の領域であり、箱ごとまだ保管しているが、今回の大掃除で、残った過去のソフトウェア関係のほとんどは、Adobe系のマニュアルと箱だけとなってしまった。これらは色々な思い出がつまっているので、生涯捨てることはないだろう。
2000/07/17

0176 ●実録七人の侍のその後を調べれば・・・やはり?
このネタは、資料調べで1ケ月もかかってしまったが、楽しいひとときであった。さて・・・【賤ヶ岳の七人槍】という七人の侍が活躍した戦いが戦国時代にあったことをご存じの方は何人いるだろう。事の起こりは、本能寺の変後、山崎の合戦で明智光秀を討ち取った羽柴秀吉が織田信長の後継者争いで柴田勝家と争い、その決戦の火蓋が賤ヶ岳で行われ、賤ヶ岳で秀吉軍が圧勝し、勝家は居城の越前北の庄に戻り、お市の方とともに自刀した。この時の七人を【賤ヶ岳の七人槍】という。だが、実際には九名であったそうだ。その九名とは、当時秀吉の馬廻役であった、福島正則、加藤清正、加藤嘉明、脇坂安治、加須屋真雄、平野長泰、桜井家一、石川一光である。ただし、討ち死にした石川一光と、九名の中で別格であった福島正則を除いた七名とする説もあるが、秀吉没後の関ヶ原の戦い以前に死去した桜井家一と石川一光を除いた七名とするのが順当だろう。さて、その関ヶ原での行動と、彼らの家系を調べてみると興味深いものがある。まず唯一西軍に属した加須屋真雄は戦後死罪は免れ(理由は不明)、幕府に取り立てられている。他の東軍に属していた武将も、調べた範囲では、明治維新まで藩主として家系が続くのは、加藤嘉明と片桐且元(実際に続いたのは弟の貞隆の家系)だけである。この違いはなんなのだろうか? 更に調べてみると、両家は秀吉に始めて仕えた武将ではないことが判明した。両者ともそれ以前の代から武将であり、所謂成り上がり者ではなかった。加藤嘉明の祖は平安後期の藤原利仁から七代の後裔景通。片桐且元の祖は信濃の豪族で、父直貞は近江の浅井氏に仕えていたが浅井氏滅亡後に且元と弟の貞隆は羽柴秀吉に仕えている。【賤ヶ岳の七人槍】の中でもっとも有名な福島正則と加藤清正は結果的には、一代で消滅した大名ということになる。やはり・・・と言ったところだろうか。なお、【賤ヶ岳の七人槍】の主な資料は次の通りである。【福島市松正則(1561〜1624)】/関ヶ原の戦いでは東軍の主力として活躍し、安芸広島49万石の城主となるが、1619年(元和5年)広島城の修築を理由に除封。ただし嫡子忠勝には越後・信濃に4万5000石が与えられるが、1620年(元和6年)に没し、所領は返上。正則も信濃国高井野村で蟄居生活を送るが、死後所領は没収。ここに福島家は断絶となる。【加藤虎之助清正(1562〜1611)】/関ヶ原の戦いでは東軍に属し、肥後一国54万石の城主となる。没後、嫡子忠広が家督を継ぐが、1632年(寛永9年)忠広の嫡子光広が叛乱の謀書を作成したことにより改易。忠広は出羽国庄内へ、光広は飛騨国高山へ配流。ここに加藤家は断絶となる。【加藤孫六嘉明(1563〜1631)】/関ヶ原の戦いでは東軍に属し、伊予国松山20万石。1627年(寛永4年)陸奥国会津43万石に移されるが、嫡子明成の時に領地は没収、孫の明友が石見国吉永で1万石を受けた。後に嘉矩の時、近江水口2万5千石を領し、以後は代々水口藩主を経て明治維新後は子爵。代々徳川家に仕えた伊予国大洲版の加藤氏(明治維新後は子爵)とは祖が同じ。【脇坂甚内安治(1554〜1626)】/関ヶ原の戦いでは東軍に寝返り、1609年(慶長14年)伊予国大洲5万3千石に転封。【加須屋助右衛門尉真雄[加須屋武則/糟屋武則](生没年不詳、1600年頃までの生存は確認されている)】/関ヶ原の戦いでは西軍に属し、伏見城の攻撃、9月の結線に参加して失領するが、2年のに幕府に5百石をもって起用される。以後の家系の資料は不明。【平野権平長泰(1559〜1628)】/弟の長重、父の長治とともに、関ヶ原の戦いでは東軍に属し、のち徳川秀忠に仕える。大阪の陣では、大阪方につくことを家康に願い出るが、許されず江戸留守居役を命ぜられる。親族の中では一番の出世頭だが、5千石程度の知行に甘んじている。以後の家系の資料は不明。【片桐助作且元(1556〜1615)】/関ヶ原の戦い前の知行は1万石。秀吉没後は秀頼に近侍し、関ヶ原の戦いには不参加。関ヶ原の戦い後は、家康の信任を得て、茨木城主、翌年加増され大和竜田版に移る。慶長19年、方広寺の鐘銘事件が起こると、淀殿、及び大野治長一派から挙動を疑われ、大野治長らの襲撃をかわし、弟の貞隆とともに大阪城を脱出、茨木城に籠もり、家康に援軍を求める。大阪の陣後は加増され、大和、河内、山城、和泉で4万石。貞就の時、嫡子なく断絶(1694)。ただし、且元の弟の貞隆は小泉藩主として明治に至り、維新後は子爵となる。【桜井佐吉家一(?〜1596)】/関ヶ原の戦い前に死去。【石川兵助一光[石河一宗]?〜1583/戦死)】/賤ヶ岳にて討ち死。
2000/07/18

0177 ●ハムナプトラ/失われた砂漠の都
1932年のユニバーサル映画『ミイラ再生』のリメイク版である『ハムナプトラ/失われた砂漠の都』はSFXをふんだんに使い、オリジナルの持つ不気味さ一辺倒の内容とは違ったエンターテイメント作品に仕上がっている。オリジナルは、過去に3度ほど見ているが、流石に細かい部分は忘れてしまった。可能ならもう一度じっくり見たいと痛感した。さて、『ハムナプトラ/失われた砂漠の都』の方は、特に後半、アーノルド・ポスルー演ずるイムホッテプの僕である僧侶のミイラ数体と戦う主人公のリック・オコーネル役のブレンダン・フレイザーの演技は圧巻である。従来の映画であれば、この部分はマペット撮影したミイラ群と俳優の合成なのだが、今回はコンピュータグラフィックによるミイラ群の映像と俳優の合成となっている。俳優の演技力がもっとも求められる部分なのだが、完成作品では違和感などなく完璧と言いきってよい仕上がりである。更に、ヒロイン役のレイチェル・ワイズ演ずるエヴリンはオッチョコチョイだが、チャーミングで可愛らしい役側を見事に演じきっていると言っていいだろう。また、小悪党として登場するベニー役のケビン・J・オコナーの演技と話し方も作品に花を添えている。何より、作品全体が単なるホラー映画という視点を越え、スペクタルシーンあり、リアルなミイラの登場あり、銃撃戦ありと、完全にエンターテイメント作品に仕上がっている点が私はとても気に入っている。なにかインディアナ・ジョーンズ・シリーズのような感もあるが、あれほど硬派(インディアナ・ジョーンズ・シリーズが硬派?かは別として???)ではない。なにより、ホラー映画でありながらテンポが小気味よいのがイイ。主要人物のキャラクター説明が小気味よい冒頭から、画面に釘付けになる画面構成とカメラアングルも文句がない。もし、文句があるとしたら、ホラー映画としての恐怖感が少ない点だが、このあたりはスティーブン・ソマーズ監督の意図したところだそうだ。考えてみると、古典的ホラー映画のキャラクターと言えば、ドラキュラ、フランケンシュタイン、オオカミ男、そしてミイラなのだが、ミイラは3000年前のエジブトの神秘的な話が加味されている点が他の作品とは違った恐怖感を与えるのだろう。もし、膨大な予算があって、他の古典的ホラー映画のリメイン版を規格しても、恐らくスティーブン・ソマーズ監督は腰を上げないだろう。どちらにしても、主役級の俳優の英語の発音が綺麗なのはイイ。
2000/07/19

0178 ●イギリスから来たモルツクラブ
今日(19日)、二子多摩川園内にあるサントリーモルツクラブという店に出かけた。何故か?横にいたイラストレーターの某Y氏と馬鹿っ話に花が咲いて気がついたら10時になっていたというのはご愛敬として・・・ここは今日までまったく気がつかなかった店である。とはいうものの、ナムコワンダーエッグには数回出かけているし、【いぬたま】にも数回出かけているのに期がつかなかった私はちょっとばかり間抜けである。なにせ、この店はナムコワンダーエッグの入り口の真ん前にあるのだから・・・。しかも近くの東急自動車学校前は頻繁に車で通り過ぎている場所である。案外頻繁に訪れる場所から少しだけ外れた場所にあるものには人間は気がつかないのかも知れない。でも、普段飲み歩くという習慣の内私にしてみれば、ケーキ屋や和菓子屋は目ざとく視界に入るが、酒場関係は見落としがちなのも影響していたのかもしれない。でも・・・ここって確か・・・数年前はプールだったはずだ。そうだプールだ。私は数回遊びに来ていた。いったい何時の間にプールは消滅してしまったのだろう。なんだか町並みが胃じょぅまでに日々変化していることに少々不気味さを感じる。さて、この店の作りは完全にイギリス風である。凄いな〜と感じていたが、資料によるとイギリスから運搬した材料で作成したらしい。もちろん古い木材などの話である。基本部分はコンクリートだが、古き良き時代の英国のビアガーデンを内部に移築したような作りである。残念なことに車で出かけたのでビールではなくてコーラになってしまったが、次回はビールを堪能したくなった。それまでに店が消滅していないことを祈る私であった。
2000/07/20

0179 ●新型Macintoshは購買意欲を駆り立ててるデザイン
NYC(New York City)で開催されているMacworld Expoにて新型のMacintoshが沢山発表された。中のでCubeと呼ばれる新型のG4はシンプルなハード構成ながらハイスペックであり、なにより斬新なデザインが目を引く。本来なら現地で現物を見ていたはずの私としては少し残念な気持ちでいっぱいだ。直前まで本当に出かける予定でいたがちょっとしたアクシデントで断念しなくてはならなくなってしまった。NYCに住んでいるガールフレンド(6年近く前からの米国のもっとも親しい友人の一人。ただし主婦)の家に行ったり、市内見物なども計画していたのが本当に残念でしかたがない。さて、新型Macintoshだが、もうコンピュータのデザインに関してはAppleの右に出るメーカーは無いと言っても過言ではないだろう。もちろんAppleのデザインが全て素晴らしいとは言わないが、少なからず過去のマシンのデザインも含めて業界に様々な影響を与えていることは確かだ。近年iMacのデッドコピーマシンが沢山現れては敗訴により市場から消えた事件は記憶に新しい。コンピュータは処理能力がもっとも重要視される問題であることは確かだ。また、デザインの善し悪しも当然ながらアップルのものを否定する意見もある。当然それは間違いではない。全ての人が満足するデザインなどあり得ないのだから。しかし、無味乾燥としたWindows系のコンピュータは、そろそろ方向を変更してもよいような気がする。確かに若干のメーカーは試行錯誤を繰り返している。もっと多様なデザインが市場に溢れてもいいような気がするのは私だけだろうか。単に市場での普及率が高いというだけの理由で、何も考えずにコンピュータを購入する方がいまだに多いようだが、なにをしたいか?も含めて使いやすいことをポイントに置きながら、購入を考える方はまだまだ少ないようだ。そしてなにより購入価格というものも大きな問題である。一見高いように見えても実際のスペックでは安いというものも少なくない。最近のアップル製品は高性能低価格の筆頭だろう。かたや新聞や雑誌などで低価格高性能を唄っているマシンの大多数の実体は低価格低機能でしかないことをどれだけの人が気がついているのだろうか? 良い道具とは直感的に仕えることと、愛着の沸くデザインに全てが凝縮されているような気がする。
2000/07/21

0180 ●キーボードとマウスはいつまで生き続けるか?
Appleの新型マシンの発表の影に隠れてしまい話題性では少し落ちてしまうが、不評であった丸形マウスの後継として設計されたオプチカルマウスと、やはり同様に使い勝手の悪かったキーボードのプロ版は、個人的に大いに期待している。そもそも、今まで使ってきた全てのコンピュータ用のキーボード(サードパーティー製も含む)は20種類ぐらいになるだろうか。それほどキーボードには拘ってきたつもりだが、AppleのADB拡張キーボードを越える仕様と使い勝手の良いキーボードに私は出会っていない。いや、これだけ様々なキーボードを試してきたのに出会えなかったと言うことは、そんなキーボードは存在しないと言いきってもよいだろう。結果として最近購入したG4マシンにもアダプターを使ってそのADB拡張キーボードを使っている。同様にマウスもADBのマウスである。実際の仕事ではマウスよりもタブレットの利用率が高いので、ある意味では割り切ってもいいのかもしれないが、やはり、気になってしまうのは問題だ。違和感を感じる道具は思考を分断してしまうからだ。そんなけで、残念ながらUSBタイプとなったAppleの丸型マウスとキーボードは使う気分にはなれなかった。そんな状況下での今回の発表は正直言って大いに期待している。実際に現物を試していないのでなんとも言えないが、あれだけ不評だった丸型マウスよりは新型のオプチカルマウスの方が優れているだろうという意味である。もし、これが使いにくいものであったら・・・いったいこの先マウスを何処で仕入れたらいいのだろうか?という不安が私の頭の中を過ぎる。さて、新型のプロ仕様?キーボードだが、キータッチとキートップの位置関係も大切だが、私は黒いキーボードが嫌いだ。当然PowerBookよりもiBookのほうが好きである。しかし、今回のキーボードも黒であったことは少々がっかりしてしまった。せめてグラファイトカラーだけでもと思うのは私だけだろうか。更に私は仮名入力にも関わらずJIS配列がダメな変態?なのでますます旧型のADB拡張キーボードに依存してしまう。慣れの問題なので割り切ってしまえばいいのだろうが、なにか納得がいかない。と思ったら、今回のキーボードはUSA仕様もデフォルトとして購入出来るようだ、刻印は英字だけだが私の求めているASCII配列である。そんなにキーボードやマウスに拘るのは愚かだと指摘されたこともある。確かに将来はこれらのインプットデバイスはタブレットや音声認識の研究が進んだときに消滅するかもしれない。でも、まだ数年あるいは10年ぐらいは残り続けるのではないだろうか・・・と。
2000/07/22

0181 ●聖職としての自覚を持った教育者はもう居ない?
目くじら立ててゴーマニズムしているわけではないが、最近、そんな風に私のコラムを読んでいる方もいるらしい。さて、それはさて置き、教職者の免許を定期的に更新すべきという論調がにわかに高まっているらしい。東京の某市の自虐的教育者の驚くべき行状を見れば誰だって納得する話だ。いや、そういった過激思想の教職員を断固閉め出そうなんて話をしているわけではない。小学校・中学校の時に受けた様々な衝撃と感動は生涯を左右するという話をしたい。思えば私がこの世界でプロとして活動するキッカケは、実は小学校の時の図工の先生の影響なのである。わりと自由奔放に、どちらかと言えば私だけ個別に好き勝手なことをさせてくれた図工の先生の影響は今も残っている。もし、この時に図工の先生が画一的な対応を私にしていたら、私は違った職業を選んでいたかも知れない。もちろん、今の仕事に就くには、他にも様々な要因があったのは事実だが、最初の要因が少なくとも、この小学校の図工の先生であったことは確かだ。教えるというよりは、自分で考えることを導いてくれた尊敬すべき先生の一人である。人が人を教えるとうことは、例え200歳となっても難しい問題であると私は感じている。何故なら、人は年齢に関係なく個別の意識と価値観があるからだ。それは親子関係でも同じである。年齢的には親は永遠に子供の師であるはずだか、実は、子供を育てる・教育するということは、親が子供に育てられ・教育させられているに他ならないと私は考えている。つまり、教職者は生徒に教えるのではなく、生徒から学ばなくてはならないのではないだろうか・・・と。よく子供と話す時は子供の視線の高さで話すことが大切と説く教育論者がいる。これは、子供の立場にたって考え・話しかけるという姿勢に他ならない。誰だって、自分以外の人間の行動は時にとして気分を害することがある。それが恋人であろうと、連れ合いであろうと子供であろうと、親であろうと、ムカツクことは多々発生する。しかし、普通はそれを抑制しながら歩み寄ろうとするのが本来の人間特有の生き方ではないだろうか・・・。そういった歯車が崩れた時、世間を騒がせる猟奇事件に発展するのではないだろうか?と私は考えている。見かけや実年齢は立派な大人でも、実は大人に成り切れていない親が子供を得た時、取り返しのつかない悲劇は起きてしまうのではないか・・・と。だとすれば、教職者の免許を定期的に更新すべきという論調は納得出来る。健全な精神の話ではないが、健全な教職者に出会えなかった子供が大量に出来てしまうことは、国民の恥ではないだろうか。ガンバレ教職者。そう言えば医師免許も定期更新が必要だと思うが、その話はまたそのうち・・・。
2000/07/23

0182 ●今季初プールで疲労困憊
まだ肩の調子が直らない私は、暑さも手伝い、早朝一番で近くの区営プールに突進した。近い・安い・綺麗と大変気に入っている場所だが、なにやら年ごとにマナー欠如の方が増えているようだ。ネツクレスやプレスレットの着用は禁止されているが、基本的に守らない方が多い。監視員の方はそれらの方へ注意を促すのに走り回っているという状況である。なんだか見ていて監視員の方が気の毒になった。なにしろ注意を受けると怒り狂う輩がいるからだ。さて、そういったオバカさんは放って置いて、私は適度に温度の上がっている一般用のプール(ここは幼児用も入れると4つのプールがある)で肩慣らしの水泳を自分のペースで楽しんだ。あまり最初から無理な運動は禁物なので平泳ぎでゆっくりと往復を繰り返すという感じである。もっとも私は自由形・・・つまりはクロールが出来ないので、選択の余地はあまりない。出来るのは平泳ぎと【伸し】と呼ばれる手足をのして泳ぐ日本式の古式泳法と背泳ぎだけである。立ち泳ぎと犬かきは泳法に含まないとして。まっ、私の生活にはスピードを競うようなことは必要もないし、遠泳であれば平泳ぎで充分である。だからあえて今更クロールを学ぼうとは思わない。しかし、この頑固さ?故、中学校(小学校時代にはプールは無かった)で随分と体育の教師に苛められたものである。なんたってその当時に最初に覚えた泳法が【伸し】なのだから。平泳ぎは中学の後半に覚えている。だから水泳の授業では泳げない生徒の烙印を押された。更に当時は今と違って強制的に飛び込みを行わされたことも私にとって嫌な思いでである。今はあまりに事故が多いので、小学校などでは競技でも無い限り飛び込みは行わないそうだ。だいたい、プールで泳げるようになっても、海ではまず泳げない。それに気づかずに過信して事故を起こす方が多い。実際に試したことは無いが、まっ、今だったら海なら1キロぐらいは泳げる自身はある。でも、多分それは自発的には行わないだろう。意味のない危険を冒す必要などどこにもないからだ。じゃプールならどの位か?と聞かれると、多分300mが限界と答えるかもしれない。プールって水は臭いし、浮力が低いですからね。それにしても今日は疲れてしまった。年かな?
2000/07/24

0183 ●夏休みの東京は快晴だが熱帯夜は増え続ける
毎年、正月と夏休みは東京の空が澄みきっている事にどれだけの人が気がつくだろうか? 人も車も少なくなるからというのが原因なのだが、やはりこの位の状況でちょうど良いぐらいではないかと感じている。何時通過しても渋滞の道や、人で溢れた繁華街などはテレビのニュースなどで傍観している分にはいいが、実際にその場所に自分がいることは出来るだけ避けたいものだ。そう言えば夏には必ず熱帯夜という悪夢のに日が訪れる。この言葉はいったいいつ頃から使われるようになったのか詳しいことは知らないが、この20年ぐらいの間に自然発生したようだ。そして年々この熱帯夜の日数が増えているのである。20年前と今とでは実に2倍になっているそうだ。これはエアコンや自動車の放つ放熱が都会のコンクリートジャングルに反射し、逃げ場を失って沈殿してしまうことに原因があるそうだ。大昔の東京は一部の中心部を除き道路はまだまだ土であった。土なら熱を吸収してくれる。結局は熱帯焼き人工的に人間自身が作り出した悪夢なのである。このまま続くと夏場は全て熱帯夜となるのも時間の問題だろう。でも、一つだけメリットがある。それは冬場が暖かいということだ。どこにいっても暖房がきき、都会にいる限り、昔のように防寒服を着込む必要もほとんどなくなっている。冬の好きな私にはちょっと寂しい現象だが・・・もしかすると冬という季節そのものも、このままいくと日本の都会には存在しなくなってしまうかもしれない。だいたい私の仕事場には暖房機器が一切ないのである。逆にエアコンは春先から利用している。もうそろそろ放熱しないコンピュータというものがリリースされてもいいのではないだろうか? もし放熱がほとんど無いコンピュータが出たら、どんなに不格好でも私は多分買うだろう。ただし・・・Macintosh互換である必要はあるが・・・。
2000/07/25

0184 ●紙ケースが懐かしいAdobeのCDケース
Illustrator 9.0のアップデート専用パッケージと、新製品のLiveMotionのパッケージが届いて唖然としたことを思い出した。今までAdobeのCD-ROMはお洒落な専用の紙ケースに収まっていたのに、今回から?プラスチックケースになっている。ご丁寧にAdobeのマークまで入っているプラスチックケースだ。私は個人的に以前の紙ケースが気に入っていた。なによりエコロジーだし、スペースを取らない事でだ。多分コスト軽減の苦肉の策といったところだろう。既に製品パッケージの中箱は共通化されていることを考えれば、いつかは訪れる結果であった。でもこれは、やはり寂しい。このプラスチックケースは残念ながら私は好きになれない。しかし、コストを上げることによりAdobeそのものの経営が悪化してしまうのは避けたい。もちろんその程度でどうのこうのとなるような会社ではないだろうが・・・。ところで、Adobeも含めて相変わらずソフトウェアーカーのパッケージは中がスカスカのものが多い。輸送途中でのトラブル回避の意味も含まれているようだが、そろそろもっと軽減化に含みって喪いいのではないだろうか? 例えばアップデート専用パッケージは単なるダンボールでもいいような気がする。もっとも、これはこれで店頭販売も行われることを考えれば、やはり致し方ないのかもしれない。そう言えば今回はデジタル・アートショウに作品の掲載依頼が来なかったので、てっきり外されてしまったのだと思っていたが、そのデジタル・アートションそのものが消滅してしまったようだ。今までIllustratorやPhotoshopはCD-ROM2枚組だったのに1枚となっている。なにか、初期の各ソフトウェアは、まるで宝箱を開けるように、パッケージを開封した時に正規ユーザーとしての楽しさやうれしさが、一緒に梱包されていたような気がした。今はそれがだんだんと薄れているのが残念だ。時代の波と言ってしまえばそれまでだが、やはりソフトウェアメーカーというのは、『開発費はかかるがコストはキープしたまま』という、相反する状況でリリースされることを考えると、このようなコスト軽減の方向性は加速していくのだろう。
2000/07/26

0185 ●書き留める習慣は必要不可欠なようだ?
普段イラストの下絵スケッチのようなものは積極的にクロッキーブックやチラシの裏などに鉛筆で描き込んだりするが、文字を筆記具で書き留めるという習慣が無くなって久しい。多くはコンピュータ上で処理できてしまう事に影響している。たまに宅配便の伝票の宛名を書く時に、筆圧が異常に高くなり、疲れてしまうことがある。このままではいけないな〜とは思いつつ、メモすることにより紙や筆記具を買い求めたりすることの非生産性に疑問をもっていたが、やはり、これは間違いだと気がついた。ちょっとしたメモや記憶に止めたい事柄をコンピュータ上のテキストに打ち込んで保存していても、記憶に正しくインプットされることがないからだ。やはり、実際に自分の手で、なにがしかの用紙やノートに書き留めるという行為をしないと記憶に残らないことが解った。これって、もしかしたら私だけの事かもしれないが、記憶力が低下するととめどもなく低下の加速は高まるらしい。出来るだけ記憶力を維持し、新しい情報を脳にインプットさせるためには、手書きが一番ではないだろうか・・・と最近考えを改め始めた。確かにパーム系の電脳機器を使ったメモ書きが流行っている現在、私のやろうとしていることは時代に逆行していることは確かだが、やはり、これも、気がついたら電脳機器しかなかったという世代ならば無用の長物なのかもしれない。結果・・・私のようなオールドタイプの人間にとって、デジタル思考は、まだまだアナログ思考には敵わないのかもしれない。もちろん書き留めたことを全て記憶出来るはずはないが、繰り返し書き留めることにより記憶にインプットされる確率が高まっていることは私自身が経験している。さてさて、コンピュータを使うようになって、すっかり忘れてしまった漢字の多くをどれだけ思い出すことが出来るだろうか? 小学生に戻ったつもりで新たに漢字の学習をしなくてはいけないかもしれない。
2000/07/27

0186 ●何年ぶりかで、突然の銭湯
衝動的に銭湯に出かけた。なんたって、徒歩2分もしない距離に銭湯があるのだから利用しない手は無いはずだが・・・、やはりついつい出不精になってしまうため、あんなに好きだった銭湯へも出かける機会が少なくなり、気がつけば最後に出かけたのは3年ほど前だった。当然ながら、そんな状況なので料金が解らない。入り口の老婆に500円玉を出したら100円しか戻ってこなかったのには唖然とした。これでは風呂上がりのパンピーが飲めないかも? さてさて、この近所の銭湯だが、一応温泉である。実はこの界隈は温泉が多いので有名なのだが・・・銭湯だと風情は半減する。で、この銭湯・・・ちょっとばかり趣味が悪い。平塚や仙台で使った七夕の飾りを失敬してきて天井からぶら下げているような状況を想像してもらいたい。さらに、柿の木やバナナの木、ココナッツの木の作り物のがワサワサと配置されている。相当な世界である。私にはこの世界は理解出来ない。と言うわけで、しばらく視線が天井や壁に釘付けになったのは言うまでもない。かつて地方自治体の補助金導入により、『残そう日本の銭湯文化』みたいな風潮が盛り上がったが、京都のように、家風呂が無い文化財的に古い家屋が密集している地区や地域は別として、確実に銭湯文化は崩壊しつつある。いや、銭湯文化の崩壊は加速している・・・と言うべきかもしれない。人々の生活が多様化し、誰もが風呂に入る時間は同じという時代ではなくなって久しい。確かに家風呂と比較したら、その醍醐味は比べものにならないが、好き勝手な時間に銭湯に入ることは出来ない。もう都会の銭湯は、愛好家の場ぐらいに変貌してしまったのかもしれない。私が子供の頃は全ての年代の人が入り交じってカランを譲り合っていたが、今は中高年者ばかりが目立つ。もちろん全ての銭湯で統計を計ったわけではないが、その傾向は大なり小なりあるのではないだろうか?
2000/07/28

0187 ●石井竜也のDRAGASIA
ちょっとしたキッカケで・・・今日(29日)東京国際フォーラムで好評につき追加公演されていた表題のライブを見てきた。何故か、いつものように横にいたイラストレーターのY氏と2階の最前列でファンの踊りで震度5ぐらい揺れる席にヒヤヒヤしながら楽しんでしまった。さてさて、エンターティナーとはまさに彼の事を言うと断言しても過言ではないだろう。ファンサービスは好感のもてる良質なものであった。しかし、この手のコンサート系には思えば最近出かける機会が少なかった。もうちょっと足を運ばないといけないな〜とは痛感するが、あまりに観衆が低年齢傾向にあるようなコンサートだと、やはり入場するのに勇気がいる。さて、このDRAGASIAだが、会場のほとんどの女性はアジアの様々な民族衣装を着込んで棒立ち状態である。流石に最初・・・入り口付近で彼女らに遭遇したときには別のイベントの入り口ではないか?と勘違いしてしまったほどだ。更に驚くべき事は、親子でチャイナドレスなんていうケースが意外に多かったことだ。これって凄いことだと思う。それだけ広い年齢層に石井竜也氏は人気を得ているわけである。かく言う私がどうして石井竜也?かという話は自分でも面白いというか・・・もともとはTVドラマの主題歌であった『君がいるだけで』(当時は米米CLUB。ドラマのタイトルは『素顔のままで』)を聞いたのがキッカケである。ドラマも中森明菜が出演していて好評を得た秀作であった。特に私の涙腺をメチャクチャ刺激したラストの顛末は、特にファンであったわけでもない中森明菜の演技が今も鮮烈に印象に残っている。きっと、そのイメージが見事に主題歌としての『君がいるだけで』にマッチしていたのが引き金になったのかもしれない。当時気がついた時にはアルバム【K2C】と【Octave】をゲットしていた。さて、コンサートが終了して楽屋に出かけてご本人とお会いしたが、会場で見るエネルギッシュなイメージとは逆に繊細で腰の低い好青年であった。一発でファンのボルテージが上がるというものである。当然持っていたカメラで、イラストレーターのY氏と3人で収まったのは言うまでもない。完全にミーハー状態の私達である。
2000/07/29

0188 ●永遠に5年前であり続ける学生時代
昨夜の石井竜也さんのコンサートの興奮が続いている今日この頃(昨夜のコラムは先ほど若干修正・加筆した)だが、夏場の日課?であるプール、サッカー、蝉観察(捕獲した時点で逃がすので、蝉取りではない)を終わった頃には相当疲れが溜まっているが、気まぐれで学生時代によく聞いた曲を漁ってみた。もっとも当時のLPレコードはプレーヤーが無いので聞くことは出来ないが、少しずつ買い求めたCD-ROMは所有しているので作業は簡単である。こうして時々学生の時を想像するのだが、どうも、実感としては卒業してからまだ5年ぐらいしか経過していないというイメージが私の中にある。過去の感傷に浸っているわけでもなく、過去を賛美するつもりも、まったくないが、普段の私の生活が学生の時となんら変わっていないからなのか? あっという間に学生の時の精神状態にタイムスリップ出来てしまう。いいことなのか?よくないことなのか?は別として、ちょっとした特技かもしれない。逆を言えば、私は、あの学生時代から、なにも進歩していないまま生き続けているのかもしれない。もちろん絶対に進歩しない人間など居ないが、あの時に得た・受けた様々な衝撃や事件・・・感動の延長上に今の自分が存在している以上、その延長上から外れるようなことをしない限り永遠に進歩していないような気がするのである。なにか話が抽象的になってしまった。私自身も的確な言葉を見つけだせずにいる。曖昧な表現だが、特に突き詰めて解答を得るような話ではない。過去の縛られることほどナンセンスな事はないからだ。でも、過去の経験は無意識のうちに未来へと繋がっているような気がしてならない。それは経験値としての過去を未来に活かすという事ではなく、過去に得た衝撃が未来を形成している・・・というようなニュアンスである。この話はまた今度・・・。
2000/07/30

0189 ●映画の面白さはヒツコイ鑑賞によって沸いてくる
ビデオやDVDで見逃した作品や、何度も見たい作品をゲットしては毎日少しずつ鑑賞している私にとって、最近は映画の見え方が少し変わってきた。基本的に私は例え世間でB級とレッテルを貼られたものであっても、自分なりに面白いと感じれば大騒ぎすることにしている。そんな延長上にこのコラムで時々発表する映画の話がある。ところで、まず決定的に映画そのものに対する考え方が変わったのは、何度も繰り返して見るという行為だ。ビデオなど無かった頃にはせっせと映画館に足を運ぶ必要があった。当然お金もかかるし同じくらい時間も消費する。しかし、今はビデオテープの欠点を補って余りあるDVDの恩恵で、瞬時に見たいシーンを繰り返して鑑賞出来るようになった事で、今まで見落としていたような些細なシーンが面白くなってきた。更に、吹き替え無しのオリジナル原語(所有ビデオは、ほぼ100%英語)に英語字幕という変態的な鑑賞を行っている関係で、俳優の肉声に慣れてしまい。たまにテレビで放映される映画の吹き替えを見ると、極度に違和感を感じるようになってしまったことだ。良い傾向なのか?悪い傾向なのかは別として、それだけヒツコク見るようになったということだ。そして今・・・3時間の大作『ボストマン』を1ケ月がかりで鑑賞している。流れの中で解らないシーンを繰り返したりしているうちに1ケ月たってしまった。もちろん一日に30分程度の鑑賞を繰り返しているのだから仕方がない。そろそろ納得のゆく鑑賞に達したのでいつものように近々に感想をアップする予定だが・・・この『ボストマン』は余りにスケールが大きく、そしてアメリカ人の国民性を垣間見ることの出来る近年たぐいまれない傑作である。
2000/07/31





このコラムは私自身の体験等を整理したもので、内容を推奨・保証するものではありません。


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